香港から来た女
宋が死んでから五日目。
客待ちのタクシーの列に、自身が運転するレクサスESを割り込ませ、本国から派遣された殺し屋を待つ。
ここぞとばかりに、彼は
最近の健康・喫煙ブームは裏社会にも影響を及ぼし、新義安アメリカ支部の事務所でも室内全面禁煙の令が出されていた。
アメリカ支部でも数少ない喫煙者である周は、肩身の狭い思いをしながらも未だにニコチンを捨てきれないでいた。
現に、車の灰皿には吸殻が山盛りになっている。
しかも、フィルターギリギリまで吸ったものばかりだ。それは彼がどれだけ、ニコチンを愛しているかが分かるほど盛られていた。
煙を味わう様に、周がチビチビ煙草を蒸かししていると、不意に窓が叩かれた。
見回りの警官か、それともタクシーの運転手がケチを付けにきたか。
「なんだ」
ドスを効かせた声で応える。
そこに立っていたのは、若い女だった。窓を叩く手には黄龍の入れ墨が彫られている。
「っ!」
一瞬にして、周の血の気が引いた。彼が今ガンを飛ばした相手こそ、本国から派遣された殺し屋だったからだ。
彼はまだかなり残っている煙草を、吸殻の山に突っ込み運転席から飛び出た。
そして、女に対し頭を下げる。
「
勿論、本当に無礼な事をした謝罪の意もあるが、十歳は年下であろう女性にマフィアの幹部がへりくだっている。
それは暗に、新義安と彼女の関係を表すものでもあった。
しかし、彼女は周の謝罪を気にも留めず、無表情で後部座席に座った。
その対応に少々面喰いながらも、周は改めて運転席に座り車を発進させた。
「
ハイウェイにハンドルを切りながら、殺し屋に問う。
彼女はバックミラー越しに周の姿を見た。その事に気が付き、彼は内心ドキリとした。
彼女は三十秒程、周を見ていたがやがてフッと息を吐くと。
「
そう言った。
周は頷いて、張っていた緊張を緩める。
安堵から、彼はメーターの所に置いていた煙草のパッケージを取り、一本咥えたが。
「
あからさまに不機嫌な声で言われてしまった。
「……
周は素直に煙草を仕舞うも、これからこの女のお付きをしなければならない事を思うと、気が滅入ってきた。
事務所はブルックリンにあり、輸入食品会社のテイを取っている。
事務所のテナントが入っているビルに入ると、周は社長ことボスの部屋へ向かった。
勿論、殺し屋も一緒だ。
樫材の扉をノックする。
「社長。周です」
「……入れ」
扉を開けると、ボスは応接用のつがいのソファーに座っていた。
周は社長の隣に座り、社長は殺し屋に向かいの座るよう勧めた。
彼女は何も言わず従う。
「いや、はるばる来ていただいて、本当にありがたい」
「仕事だから――」
礼の言葉にも、殺し屋は淡々と応じる。
感情のネジが吹っ飛んでいるのか、とその反応を見ながら周は考えた。
元々感情を表に出すような職業じゃないにしろ、もう少し愛想よく接してもいい気がする。
無愛想もここまで来れば、失礼の域に達しそうだった。
だが、ボスは顔色も変えずに応対する。
器が大きい。流石、支部を任させるだけある。
「ええ。こちらの標的は――」
「ISS強襲係。特定の四名の抹殺」
「――その通りです」
当然だが、この女もプロだ。
スラスラと答えた。
「得物の方は、今本国から運ばせてます。……ただ、去年ここの港で密輸騒ぎがありましてね。ちょっと遅くなりますが、よろしいですかね」
「構わない。……プロとして、仕事は熟す」
輸入食品会社の看板を掲げている理由は、こういう本国からの贈り物の受け取りを、スムーズにするためだ。
しかし、ここのところISSの働きのお陰で、悪い事する奴等にとっては、面倒くさい事になっている。
それは、新義安にとっても他人事ではなかった。
「滞在中は、この周専務が案内します」
周の会社での肩書は専務取締役。組織のNo3だ。
ただの殺し屋相手なら下っ端でもいいのだが、彼女は別格だ。
応対するのが専務クラスじゃないと、釣り合わない。
それに何かあった時に、専務クラスがケツを拭かなければならないほど、ISS局員の殺害というのは重大かつ重要な案件なのだ。
あとは、標的の顔を知っているのが、周しかいないというのもある。
「……改めまして、周馳です」
周の挨拶に、殺し屋はチラリと視線を投げただけだった。
内心、「このクソアマ……」と罵ったが、周は紳士面は崩さなかった。
「まぁ、得物が来るまで、のん――」
ボスは“のんびりしていって”とでも、言いたかったのだろう。
しかしそれも。
「ISS本部まで案内してください」
「……え?」
彼女のプロ意識に遮られた。
「まさか、獲物を目の前にして、ハンターが昼寝をすると思うのですか?」
「………………」
ボスの笑顔は引きつったが、こればかりは周は正論だも思った。
「そ、それもそうですね。……ほら、専務案内しなさい」
「……はい」
周が立ち上がると、殺し屋も立ち上がった。
ここから本部までは、一時間もしない。
だが、この女と過ごすその時間は、世界一つまらないだろう。
周の内心を知って知らずか、彼女はスタスタと社長室を出ていってしまった。
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