コミュニティーにて

 ハイウェイの高架下。段ボールとブルーシートが形成する空間に踏み込んだ瞬間、何とも言えない気持ちが男の中で湧いてきた。

 ニューヨーク。摩天楼が並ぶ島のど真ん中にも、このような場所は存在する。ここを根城にするホームレスは、生気が感じられない虚ろな目を来訪者である男を見ていた。

 男は木箱を大事に脇へ抱えながら、そこの真ん中あたりまで進むと、そこで寝転がっていたホームレスに声を掛ける。


「ここを仕切ってるのは?」


 男の見た目は一見優男だが、口調含めた態度は高圧的だ。

 安眠を妨害されたホームレスは、不機嫌な声で男に言い放つ。


「失せろ。回れ右して、ママのおっぱいでも飲んでな」


 言い終えるとホームレスは男に背を向け、また眠り始めた。

 だが、男はホームレスの目の前に十ドル札を三枚落とした。


「……これでいいか?」


 するとホームレスは目の色を変え、札をポケットに入れる。


「……付いて来い」


 億劫そうに立ち上がるも、声は若干上ずっていた。

 男はホームレスの後を付いて行き、しばらく段ボールハウスの間を進んでいると、不意にハウスが無くなり開けた場所へ出た。

 そこにはポツンと一つの小屋があった。段ボールハウスではなく、木とトタンで作られた掘っ立て小屋だ。

 入口はビニールで、元々は半透明であっただろうそれは紫外線やら劣化やらで白く濁っていた。ホームレスが近くの壁を叩く。


「ノアさん。俺です、アララトです。客が来てます」

「通せ」


 アララトと呼ばれたホームレスは、扉代わりのビニールをめくる。

 小屋の中には、やはりホームレスが座っていた。

 しかし、金が無いが故に身なりに関する概念がおざなりになっている他のホームレスに比べ、ノアと呼ばれたホームレスは髭を剃り、老化で白くなった髪も短くしていた。

 服が数枚、干されていた。洗濯もしている様だ。微かに石鹸の匂いもする。


「なんだ。小僧」


 このホームレスコミュニティーのボスは、威厳たっぷりに口を開いた。

 男は友好的ですよと顔で表し、座りながら木箱をノアの前に置く。


「……初めまして、ノアさん。わたくし、ジャッカルと申します」


 リーダーを前にして口調を改めるが、態度に見え隠れする、ホームレスを見下す感情は隠しきれてない。


「偽名にしては仰々しいじゃねぇか。殺し屋気取りか? それだったら、ジャッカス大馬鹿にでも改名したらいい」


 ノアは“ジャッカル”の元ネタを見抜いた。組み立て式の狙撃銃を使う殺し屋だ。

 一瞬、男の動きが止まったが気を取り直し、笑顔をノアへ向ける。


「……分かります?」

「まぁな。ここに本名なんて概念なんてありはしない。……どいつもこいつも、大なり小なりがあって、ここに居る訳だからな。シェルターにも行かず、炊き出しにも行かない奴が集まる場所だ。ここはな」

「……なるほど」


 口では同調するも彼が言った事を理解した上で、男はここを銃の最終試験場として選んだ。

 男が処分に困った銃の試作品をホームレスに押し付けたせいで、市内のホームレスが集まる場所の警察による巡回が強化された。

 男が知る限り、安全に銃の試し撃ちが出来るのは、残す所ここだけだった。


「今日は、貴方達にお願いがあって来ました」


 本題を切り出し、箱を開ける。

 その中には、ISSがブルーガンと呼称する銃が二丁。.38口径SP弾の紙箱が収まっていた。

 ノアが身を乗り出し、しげしげをブルーガンを見る。


「この銃の試し撃ちをお願いしたい」

「……へぇ」


 感嘆とも呆れとも取れる呟きの後も、ノアは銃を眺めていたが。


「手に取ってみていいか?」


 そう男に訊ねた。男が了承すると、ノアはゆったりと腕を伸ばし、ブルーガンを手に取った。


「……ほう」


 彼はあれこれと様々な角度から観察し、銃口を明後日の方に向けて引き金を引き感触を確かめる。

 撃鉄が落ちる音にしては軽い音が小屋に響く。


「おい――」


 それから、厳かにノアが話し出そうとしたが、小屋に入ってきたホームレスにかき消される。

 そのホームレスは先程、男をここまで案内した人間だった。


「ISSだ! この男の似顔絵持って、ここに来てる!」


 それを聞くなり、男は血相を変え木箱を抱えると小屋を飛び出していく。

 呆然と見送るノアの手には、男が回収しそびれたブルーガンがあった。



 車から降りた俺は、今まで掛けていたサングラスをTシャツの襟へ挿した。


「少しだけ、涼しいわね」


 影を作る高速の効果を見上げながら、マリアもグラサンを外す。


「ジメジメしてねぇだけ、こっちアメリカのがマシさ」


 俺は日本の不快な湿度を思い浮かべ、よく日焼けした肌を撫でた。それから羽織るシャツの下に隠したシグへ、チラリと視線を向ける。

 今から踏み込むのは、警察すら介入を渋るホームレスコミュニティーだ。拳銃一丁というのも不安だが、虎穴に入らずんば虎子を得ずなんて言葉もある。

 何事もリスクを負わなければ、成し遂げられないものだ。


「行くぞ」


 同じ様に自身のグロックを確認していたマリアに声を掛け、根城へ踏み入る。

 段ボールハウスで形成される場所にしてはいささか大袈裟な例えかもしれないが、雰囲気はその昔香港に存在した九龍城砦を彷彿とさせた。

 今回の犯人はホームレスに多く接触している。

 だから、調査係は強襲係の俺達まで駆り出して、ニューヨーク中のホームレスに犯人の似顔絵を見せているのだ。

 幸いにもホームレスは向こうから来てくれる。


「出てけ。ここは、テメェ等みてえのが来る場所じゃねぇ」


 ……友好的な態度ではないが。

 もっとも、そんな事ぐらいで引き下がるわけがないが。


「まぁまぁ、コイツについてなんか知ってる事教えてくれれば、すぐ回れ右しますんで」


 睨むホームレスに対し、俺も飄々と接する。


「今すぐ帰れ」


 ……けんもほろろとはこの事を表すのだろう。

 マリアと顔を見合わせ、どうしようかと思っていたところ、何かを蹴飛ばす音が聞こえた。

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