四月の季節2
そよ風と一緒に流れていく線香の香り。雲ひとつない蒼穹のように辺りは静まり返り、気温が冬と夏の出会いを知らせている。そんな中、しゃがんだ私服姿の咲良は両手を合わせ目を閉じていた。その前にあったのは一つのお墓。
少しの静寂が過ぎ去ると咲良は手を下ろし目を開けた。少し寂しげな双眸はお墓を真っすぐ見つめている。
「ひとつ訊いていいか?」
「ん? なに?」
俺の声に咲良が顔を見上げた。
「お前は――恨んだりしてないのか?」
そう訊きながらさっきまで咲良が手を合わせてたお墓を一瞥した。
「んー。恨んでは、ないかな」
「でもお前にあんな事したんだぞ?」
「そうだけど。別に酷いお母さんじゃなかったから。話した事あったっけ? お母さんの事」
「いや」
俺は傍にいた莉緒と夕晴の顔も一度見てみたが二人も聞いた事はなさそうだ。
そして俺が視線を咲良に戻すと、彼女はお墓に顔を戻してから口を開いた。
「私にお父さんがいないのって実は出てちゃったからなんだよね。浮気しててそれがお母さんにバレて最後はその浮気相手と一緒に出てった。それから私とお母さんは二人だけになってあのアパートに引っ越したんだ。お母さんは仕事もしながら今まで通り私の事を育ててくれてたの。でもやっぱり色々と辛かったみたいで離婚してからちょっとずつ参ってきちゃって。こっそり薬とかも飲んでたんだよね。夜に泣くこともあったし。だけど私にはずっと優しかったし愛してくれてた。ただ――」
咲良は一度言葉を止めると俺の方へ顔を向けた。
「私が自分から離れるのが怖かったみたい。ずっと一緒に居てね、とか。咲良は私の事を捨てないでね、とか。言ったりね。まだ小学生だったから少し嬉しかったけど、でもそれをちょっと異常なぐらい求めてるっていうのは分かってたんだ。だけど私も頑張ってるお母さんを支えたかったし。まぁ、それがちょっと異常って事はみんなも良く分かるでしょ? あの時――お母さんが遅くなるって聞いてたから私がみんなを家に招待した時の事で」
その時の出来事はすぐに頭に浮かんできた。
「みんなが帰った後もお母さん取り乱してて。みんながお母さんから私を連れ去ると思ったらしくてね。それにみんなほら、男の子だからお父さんの事もあって余計に」
確かあれ以来、咲良の母親と会う事は無かったけどそれでよかったんだ。
「そんな風にお母さんと一緒に暮らして。――そしてあの日が突然やってきた。みんなには家の前で待っててもらって私が中に入ったら、そこにはお母さんが立ってて。でもいつもと様子が違くて不気味で変だったけど、私は近づいて来るお母さんにぎゅっと抱き締められた。実はそこからはあまり覚えて無くて。あとはみんなが助けてくれた。現実世界っていうのかな。まぁ戻ったらお母さんは部屋でああなってたし、それから警察が来てもそれで処理は進んで。その後は親戚の猫葉夫婦のお世話に――ってここら辺は知ってるか」
あの時の光景は正直に言って忘れられない。トラウマにならなかったのがせめてもの救いだ。それと咄嗟に夕晴と莉緒に見せなかったのは子どもながらよくやったと思う。夕晴は大丈夫かもしれないが、莉緒にはトラウマになってただろうし。
そして咲良はまた俺からお墓へと視線を戻した。
「だから、お母さんは私の事を大切にして愛してくれてたっていうのがちゃんと分かるから、別に恨んだりはしてないよ。でも怒ってはいる。だってあんな風に化ケ物になってみんなに迷惑かけちゃったし――それにもう会えなくて私も寂しいから。少しぐらいね」
言葉の後、そっと伸びた咲良の手は墓石に触れた。まるで母親に触れるように優しく。
「でも私も愛してるよ……お母さん。これからもずっと一緒だからね」
するとその言葉に返事をするように風が吹き咲良の顔を撫でた。そのほんの少しの静寂の中、もしかしたら咲良は母親の声を聞いていたのかもしれない。彼女は微笑みを浮かべ静かに目を閉じていた。
そして風が止むと同時に目を開けた咲良は膝に手を着けて立ち上がった。
「――よし。それじゃあ行こっか。三人共一緒に来てくれてありがとうね」
「いーよこれぐらい」
「また次も一緒に来るって」
二人の言葉を聞いた後、咲良の顔は俺の方へ向いた。
目が合い笑う咲良。それは太陽が照る青天の下、金色に染まった向日葵畑が良く似合う――咲良によく似合う笑顔だった。
「ありがとう。――蓮」
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