最終章:四月の季節
四月の季節1
「咲良!」
俺は少女の名前を叫びながら顔を上げた。
だがそこに広がった景色を目にした俺は、驚愕どころかもはや思考が一時的に停止してしまった。
俺はいつの間にか学校の教室に居たのだ。生徒のいない暗くなった教室。俺は唖然としながら辺りを見回した。
すると視線はすぐ隣に立つ一驚を喫する女子生徒で止まった。その人は俺を見ながら何を言っていいか分からないといった様子。
停止していた思考の所為か一瞬、その髪の長い女子生徒が誰だか分からなかった。学校でも見た事ない生徒だと。だが正確には違った。見た事ないという点ではそうだったが、俺はその生徒を知っていた。その顔を見て少し遅れ何故か分かったのだ。知らぬ間に記憶が入り込んできたかのように俺にはそれが誰だか分かる。
でもそれはとても信じ難い――理解出来ぬことだった。頭がぐちゃぐちゃにかき混ぜられたように混乱してる。その所為で俺は思わずその生徒の両肩を掴んでしまった。
そして答えを聞いたからといってこの混乱が収まるとは思えなかったが、そう訊かずにはいられなかった。
「七宮咲良……なのか?」
「う、うん。そうだけど……。いきなりどうしたの?」
ついさっきまで俺の目の前には少女としての咲良がいたはず。なのに気が付けば高校生の――しかも高校の教室に咲良がいる。この状況を冷静に理解出来る人間がいるのならば、そいつはある意味でイカれてる。
でも目の前で喫驚と言う言葉がぴったりな表情をしているこの女子生徒は確かに七宮咲良だ。それはまるで生まれた頃から呼吸をすることを知っているかのように分かる。
「あの、蓮? ちょっと痛いんだけど?」
「――あぁ。悪い」
動揺のあまり力んでしまった手を離した俺は彼女から少し離れた。そしてまだ混乱してる頭を少し垂らし、俯かせた顔に手をやる。
「大丈夫? まだ寝ぼけてるの?」
そう心配そうに俺の顔を覗き込む咲良。
「いや、まぁ――」
「はぁー。にしても、全く二人に続いて蓮まで。私の事からかってる? まぁとにかくもう帰るよ。二人も待ってるし、ほら鞄持って」
俺は言われるがまますぐ傍のロッカー上にあった鞄を手に取った。
「行くよ」
それを見た咲良は、髪とスカートをふわりとなびかせながら体を回転させ先に教室の外へ。
その後姿を見送った俺はすぐには歩き出さず一度教室を見回した。
「何がどーなってんだよ」
これ程までに今の俺の気持ちを表している言葉はない。そう思えるような言葉を呟くと、とりあえず咲良の後を追って教室を出た。
「あっ、やっと来た。おっそーい」
「おい、蓮。お前はいつまで寝てんだよ」
教室を出るとそこにはいつも学校で見る莉緒と夕晴の姿があった。まるでさっきまでの出来事が俺の単なる夢であるかのように二人はいつも通り。
「ほんとにね。しかも今日は夕晴と莉緒に続いて蓮まで変な事言って……。やっぱりどーせ三人して私をからかってるんでしょ? 全くもう」
夕晴と莉緒に続いて? という事はあの二人も同じ事があったって事か?
俺がその言葉に引っ掛かっている間に咲良は先に歩き出した。でも歩き出したのは彼女一人だけで莉緒と夕晴は逆に俺の元へ。咲良に聞かれないようにしているのか小声でこんな事を訊いてきた。
「蓮。変な事訊くけど、もしかしてついさっきまで咲良の事を完全に忘れてて彼女を助け出してた?」
「ほら、お前だけが知ってたあの男の子の名前は覚えてるか?」
「……長宅颯羊?」
その瞬間、二人はホッと胸を撫で下ろした表情を浮かべた。でもそんな二人とは違い、俺は依然と状況が把握できていない。
「実は、僕は五日前、莉緒は三日前。気が付いたらここに居たんだよ」
「そうそう。確かお前の身代わりになってあの手に捕まってて、お前があの化ケ物の中に体を突っ込んだぐらいで急に目の前が眩しくなったんだ」
「そう。そして気が付いたらここにいて咲良もいたし、咲良の事もちゃんと覚えてた」
「オレも同じだ」
そんな事、信じられない。と普通なら言いたいところだが、それをまさにたった今体験した俺は受け入れざるを得なかった。
でもひとつ疑問が生じた。
「ちょっと待て。五日と三日前だろ? その間、俺はどうなってた?」
「ちゃんといたよ。別にいつもの蓮で何も変わらなかった。でもそうやって咲良の事を助けたのは子どもの頃だって言うだよ。三日より前は莉緒も同じ事言ってた」
子どもの頃。俺は少し落ち着きを取り戻した頭で記憶を辿ってみた。すると確かにそこには記憶があったが、言う通り咲良を助けたのは子どもの頃。それにそれからの小学校生活も中学もここまでの全ての記憶には咲良が一緒に居た。あの秘密基地で一緒に遊んだ思い出も。あの岩にある俺の名前の隣に彼女の名前が刻まれてる事も。全部そこにはあった。
でも同時に失敗した時の記憶もある。失敗し咲良を忘れてた時の事も覚えてる。まるで二つ分の世界の記憶を同時に持ってしまったみたいで少し変な感じだ。
「一体どうなってんだよ?」
「分かんないよ」
「でもひとつ確かなのは、オレらはちゃんと助けられたって事だろ?」
「おーい! なになに? 私は仲間外れにして三人でまーた何か企んでるの?」
するとそんな俺らの会話を遮り咲良が割り込んできた。
「いやいや。そんな事ないよ。ただ蓮は寝過ぎだよねって話をしてただけ」
そんな咲良に対し夕晴が透かさずそう返した。それに咲良が返し、更に莉緒が加わる。
その間も俺はまだこの現実が実感出来ずにいて咲良をじっと見ていた。
すると俺の方を向いた咲良と目が合った。
「ん? なに? どうかした?」
もう暫く、この自分だけ世界からズレたような――違和感のような感覚を味わい続けるのだろう。
でも確かに目の前には咲良がいて、俺も咲良の事をちゃんと覚えてる。
それにしっかりと咲良の事を救えた。今の俺にとっては何よりもそれが大切なのかもしれない。
「――いや。何でもない」
俺はそう言うと咲良の横を通り過ぎ先に歩き出した。
「そー言えば。さっき蓮が起きる時に私の名前呼んでたんだよね。こう、咲良! って」
「えー、ほんとに?」
「咲良の夢でも見てたんじゃねーか?」
「ねー蓮。どんな夢見てたの?」
「――花見」
少しめんどうな事になりそうだと感じた俺は、どうこの場を切り抜けようか考え咄嗟にそう答えた。
「あぁなるほど。咲良じゃなくて花の方の桜ね」
「ってことはただ咲良が勘違いしただけじゃねーか」
「という事は、蓮が咲良の名前を呼んだんじゃなくて、咲良が蓮に名前を呼んで欲しかったってこと?」
「ちょっ! 違っ! 蓮が嘘ついてるの! 普通そんな桜単体で叫ばないでしょ」
「まぁ夢なんてよく分かんないからな」
「そーだけど!」
それからも初めてなのにどこか懐かしいような、いつも通りのような会話をしながら俺らは帰路に就いた。
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