手を伸ばして4

 しかし俺は間一髪のところでジャケットを脱ぎ捨てその場を脱出。後方で手が俺を捕まえ切れていないのに気が付く頃には既に先へ走り出していた。

 それから化ケ物までの残りの距離を確実に縮めていく。もうすぐ目の前。すぐそこまで迫ったその時、俺の不意を突き横から忍び寄った手が足元を掬おうとした。

 だが俺はその直前で大きく跳び、それを躱しながら一気に化ケ物へ。頭上で刀を振り上げ、化ケ物へ突っ込みながら振り下ろした。刀が化ケ物の体へ入ると、苦痛に満ちた叫声が耳をつんざく。柄を握る両手は重みを感じていたが上から下へとスムーズにその役割を果たしていた。

 そして化ケ物の体に無事一本の線を描いた刀は、着地と同時に燃え上がり消えてしまった。

 しかしながらそんな事は気にも留めず俺はその切れ目へ両手を突っ込み左右へと力を入れた。口を開けるように大きく開くと見た目同様に中にもただの暗闇が広がっていたが、より黯く不気味だ。


「おい! 約束通り助けに――」


 その瞬間、俺の体には後ろから追いついてきた手が巻き付いてきた。体中に巻き付き動きづらく息苦しい。だが不幸中の幸いか(恐らく刀で斬ったおかげかだろう)手の力は抵抗できる程に弱まっていた。

 すると化ケ物の――暗闇の中からこちらへ必死に伸びてくる一本の手が見えた。真っ黒ではない少し日に焼けた小さな手。掴んでくれる誰かを求めるように必死に伸びている。

 俺は残りの力を振り絞り右手を動かした。全ての力を右手に集中し、その小さな手へ。徐々にだったが俺の手は動き向かっていく。化ケ物の中へ身を乗り出し、その手を目指す。その間も誰かを呼ぶように動く手。上半身を突っ込みこっちも必死で手を伸ばした。


「あと……少し」


 指先同士が近づき、何度も掠りぶつかる。

 そのもどかしさを振り払うように、俺は最後の力を振り絞り手を伸ばした。ほんの数センチだが一気に伸びる手。

 そして俺の手は小さく温かなその手を握り締めた。今度こそしっかりと掴む事が出来た。


「アァ。私ノ……。嫌ダ。嫌ダ。連レテカナイデ。嫌ダ。モウ捨テラレルノハ。――嫌」


 今までと違い悲嘆に満ちたその声が徐々に小さくなっていくのに連れ、動き辛さも息苦しさも、体からあの真っ黒な手も消えていった。

 気が付けば俺の握っていた手の少女は目の前に立っていた。それに加え俺はあの頃に――子どもの姿に戻っていた。でも何故かその事に戸惑いはない。今はただその目の前の少女を見つめていた。まだ顔に霞が掛かり名前の思い出せないその少女の事を。

 お互い何も言わず手を握ったまま見つめ合っていると少女は笑みを浮かべた。気がした。そして俺の方へ一歩近づいた少女は手を離し、そっと俺を抱き締めた。天使が触れるような柔らかさが首を包み込み、お日様のように温かで、懐古しているように不思議な心地好さ。

 そしてその瞬間、俺の中で花が咲き全てが蘇った。その顔も、笑みも。その存在も、名前も。

 彼女の名前は――咲良。七宮咲良。

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