手を伸ばして2
「は? 何言って……」
俺はまず自分の耳を疑った。それから何かを言う事すら忘れる程、夕晴の言葉の意味を脳で解析し始める。だがどう考えても最終的には同じ場所に戻ってくる。
そんな風に困惑している間に、隣に居た子どもが立ち上がるのが視界の端で見えた。
そして俺は夕晴の言葉を上手く噛み砕くことが出来ぬまま顔を目の前の子どもへ。でもそこにあったのは――やっぱり颯羊の顔。俺がおかしいのか、二人の見ているものが間違ってるだけなのか。正直、決断を下す事は出来ない。何故か二人が間違ってるとも思えなければ、目の前の颯羊を否定する事もしたくない。
俺の頭の中は動き続ける天秤のようにハッキリとしなかった。
「さっき訊いてたよね。僕と莉緒が思い出したのは何かって。僕は前を走る背中を追ってたんだ。そしてその背中はあの真っ黒な手を避けながら、さっきの影みたいなのへ真っすぐ向かって走ってた。でもさっきのよりもっと大きくて、上半身は人みたいだけど下半身が大樹みたいな化ケ物」
同じだ。俺も走る背中を追ってた。その化ケ物へ向かう背中を。
「それで化ケ物ところまで先に辿り着いたその子は、呑み込まれいくあの少女を助けようとして手を伸ばしたんだ。少女も呑み込まれながら手を伸ばしてて。でも二人の手はすれ違いで繋がらなかった。あと一歩のところで少女は呑み込まれちゃったんだ。それでその子はその場で座り込んだまま自分の――握れなかった手を見つめていた」
脳裏でその瞬間が勝手に再生される。そうだ、俺はそれをすぐ後ろで見てたはず。必死に伸ばした手もすれ違って呑まれた小さな手も。全部覚えてる。その時の少女の声も。
俺は思わず頭を抱え片膝を着いた。
『助けて――』
そう言ってたのに手を握れなかった。全部覚えてる。その時のあいつの悔しそうで悲しそうな顔も。いや、感情そのものすら手に取るように分かる。
「その子は――蓮だよ」
そこには俺が居た。
いや、そんなはずなはい。俺はその後ろで見ていたはず。そこいたのは颯羊で――俺じゃない。
「その後に蓮も伸びてきた手に引きずり込まれそうになって、僕と莉緒で何とか助け出したんだ」
それは俺が颯羊を助けられなかった後で……。
そう言い聞かせるように頭で言葉を呟きながらも、あの時の記憶は電気が走るように別のものへと変わり始めた。
『颯羊!』
前を走る背中……はない。じゃああの時、何て?
『〇〇〇!』
少女の名前? そう、少女の名前を叫んだんだ。
一度確認した後ろには夕晴と莉緒。俺が先頭だ。走り続けて、見えてきた。少女が――呑み込まていく少女が俺に向けて必死に手を伸ばしている。助けを求めて呑まれんと必死に抵抗してる。もうすぐ。
俺は手を伸ばした。あと少し。逃げるように少女の手は行ってしまう。でも絶対にその手を掴む。
『〇〇〇!』
また呼んだ。颯羊じゃなくて俺が。
でも声は届いても手は届かなかった。その手が消える瞬間、少女が言ったんだ。
「助けて――蓮」
その声は隣の子どもから聞こえてきた気がした。俺は、長宅颯羊だと思っていたその子どもへ視線を向けた。
でももうそこに長宅颯羊はいなかった。そこに立っていたのは俺だ。暗然とした子どもの俺。
その瞬間、全て分かった。いや、思い出した。
あの時、俺はあいつの手を掴めなかった事を酷く悔やんだ。そんな自分を酷く責めた。その場で少しの間、座り込んだまま動けない程に。それにもし先頭にいたのが俺じゃなくて夕晴や莉緒なら彼女の手を掴めて助けられたかもしれないって。俺じゃなきゃ、俺が手を掴み損ねた、俺があいつを救えなかった、俺が……。
俺は無意識のうちにそんな自分から目を背けてしまった。
しかも丁度、彼女を呑み込み捕らえた事でこの世界は俺らを外へ放り出した。気が付いたら俺らはドアの前に居たけど、何でここにいるのかが分からなかった。彼女との記憶も、その存在すら忘れてた。程無くしてそのアパートの事も。
「多分。俺があの夢をたまに見てたっていうのは、後悔なんだろうな」
「あの時、手を掴めなかった?」
「そんなの仕方ねーだろ」
「もう少しだったんだ。もう少しだけ、速く、遠くへ――もう少しだけ何かがあれば届いてた。俺の所為であいつは吞み込まれた」
「蓮の所為じゃ――」
「分かってる。今はな。でもあの時は違う。後悔を、自分を責める強い気持ちを持ったまま俺は忘れちまった。なのに俺は無意識で別の誰かを作ってそんな自分を守ろうとした。長宅颯羊って名前の人間を作ってそいつにミスを背負わせた。そうすることでそのミスを仕方ないって片付けようとしたんだ。でもそのミスも原因も何もかも忘れちまって記憶が変にごちゃついたのかも。長宅颯羊が昔からいるような気がして、勝手に記憶に埋め込んで色々と思い込んでたのかもしれない」
俺は立ち上がると二人の方を見た。
「でも今は分かる。長宅颯羊なんていなかった事も――。すべき事も」
そして俺は辺りを見回し、自分の鞄を探すとそこまで歩を進めた。
「あの時はあいつが呑まれて終わったけど、今回はこの中の誰かか全員かも。呑み込まれたらどうなるか分からないし、最悪――」
言葉にはしなかったがそれでも二人には十分通じてるだろう。俺は鞄を手に取るとチャックを開け中を探った。
「どうする? もし一人でも俺は行く」
「どーするって。蓮。――今それ訊く?」
わざわざ言葉にするまでも無い、夕晴はそう言いたげな雰囲気だった。
「それに蓮の所為じゃないよ。あの時、あの場所には僕らみんながいたんだ。だから蓮だけじゃなくて僕らみんなの所為、でしょ?」
「何だったら今回はオレが先頭を走ってやろーか?」
「莉緒は遅いからダメ」
「んだと?」
もしあの時、全てを忘れて無ければ俺はきっと目を逸らさずに乗り越えられたんだろう。この二人に支えられながら。いつものように言い合う(というかじゃれ合う)二人を眺めながら俺はふとそんな事を思った。
「わりーけど。思い出したからには俺が行く」
「リベンジ。いいじゃん」
そして俺は鞄の中からある物を取り出し、鞄はそのまま下へ落とした。
「それってあの時の?」
「何で持ってんだよ」
俺が手にしていたのは術札の貼られた玩具の刀。
「ずっと鞄に入れっぱなしだったから」
そう説明をしながら再び足はドアへ。
「あっ、そーだ。ちょっと待って」
すると夕晴はそう言って自分の鞄からペットボトルを取り出した。喉でも乾いたのか。そう思いながら見ていると蓋を開け飲む前にペットボトルを少し掲げ始めた。
「えーっと。僕らの友情と、もちろん今から助ける子もね。戦いに」
そう言って呷るように一口。それから蓋を閉めると俺の方へ放り投げた。片手でそれをキャッチすると夕晴は飲んでとジェスチャーで伝えてきた。恐らく映画かドラマかで戦う前に一つの酒を仲間で回すシーンを真似てるんだろう。俺は蓋を外すと軽く掲げて同じように一口。
それから蓋を閉め莉緒へ投げた。受け取った莉緒も同じようにして最後は夕晴へ戻るとペットボトルは鞄の中へと帰って行った。
「よし! それじゃあ行こう」
そして俺らはあのドアの前へ。
「ねぇ、そっちの蓮は?」
俺はドアの横に立ちっぱなしの子どもの俺を見た。その表情はずっと変わっていない。
「警告か謝りにでも来たのかもな」
正直、俺にも分からない。でも俺はそんな自分の頭を軽く撫でた(子どもとはいえ自分で自分を撫でるっていうのは変な感じだ)。
「別にお前の所為じゃねぇよ。大丈夫。覚悟は出来ている」
そう言って俺は鍵の閉まっているドアを蹴破った。そこには短いのか長いのか分からない一本の道が伸びていた。
俺はその通路を一見してから視線を横の子どもの俺へ。さっきまでとは違い子どもの俺は――笑ってた。昔の自分から今の自分へ託すように。
「子どもの頃の蓮って結構可愛いよね」
「不愛想だろ」
「クールでしょ。でもそう言う人がたまに笑うと結構ポイント高いんだよね」
「マジか。じゃあオレも今度からクールに――」
「止めといた方が良いよ。莉緒は今のままいいと思う」
「おっ! そーか?」
「お前ら行くぞ」
そして俺らは通路へと進んだ。
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