第五章:手を伸ばして
手を伸ばして1
「――ん。――れん。蓮!」
夕晴の声。何が起きてるんだ?
「おい! 蓮!」
莉緒の声。頭がぼやけてる。
二人の声が聞こえ俺はゆっくりと目を開けた。心配そうな二人の顔が覗き込んでいる。目が合うと同時にそれは安堵のものへと変わった。どうやら俺は仰向けで寝転がってるらしい。段々と鮮明になっていく意識。俺は体を起こした。
「良かったぁ」
「ビビらせやがって」
その声を聞きながら辺りを見回してみるがそこは変わらずただただ黯いだけの空間。どうやらこれまでの全てが実はただの夢だったとはいかないらしい。
だが意識を失う前の状況とは大分異なっていた。俺らの体に巻き付くあの真っ黒い手も無ければ、あの影も無い。
「どうなってるんだ?」
「それが僕らにも分からなくて」
「急にあの影が苦しみ出したかと思ったらどっかに消えちまったんだよ」
何が起きたかは分からないがとりあえずは助かったらしい。
その事に胸を撫で下ろしていると、あの薄れゆく意識の最中での事を思い出した。
「そういや。俺、ここに来た事あったんだ」
俺の言葉に夕晴と莉緒は一度顔を見合わせた。
「実は僕らもその事、思い出したんだ。あの手に捕まれながらこう頭に流れ込んでくるみたいに。思い出した」
「まだ名前も顔も思い出せねーけどあの少女を助けにだろ?」
「あぁ。でも颯羊はその手を掴む事が出来なくて。そのままあいつも……」
あの時の光景がまた頭に思い浮かぶ。思わず俺は片手をやった顔を俯かせた。
「だからあの二人をどうにかして――」
そう二人の方を向いたが、莉緒と夕晴は何か言いたげな表情をこっちへ向けていた。
「何だよ?」
どこか申し訳なさそうな二人の表情が俺を見つめる。
そして二人は何かを確認するように一度、顔を見合わせてから再び俺へ戻した。
「僕ら蓮に謝らなきゃいけない事があるんだ」
「何だよ。謝らならないといけない事って」
その表情がどこか不安を煽る。今のところ謝られないといけない事は思い当たらないが……。
「実は、僕も莉緒も」
それはほんの数秒だったかもしれないが、俺にとってはより長いものに感じた。今からどんな言葉が出て来るのか若干の不安に駆られていたからだろう。
「――本当は長宅颯羊なんて子……知らないんだ」
その言葉は予想の遥か彼方、何光年も先から飛来したものだった。
「……は? お前ら何言って――」
俺はすぐにはその言葉が理解できなかった。まるで俺の知らない言語であるかのように。そして少ししてこんな状況にも関わらず二人が冗談を言ってるんだと思った。
だが改めて二人を見ても冗談を言っているような雰囲気はない。それが余計に俺を混乱させた。
「お前がたまに見てたって夢もホントは見てねーんだよ」
「じゃあ秘密基地で思い出したっていうのは?」
「あれもほんとはただ合わせてただけ。ずっと。――でもあの家で少女の事を思い出したっていうのはほんと。もちろん、今も蓮と同じ景色を見てる」
突然の事に俺は訳が分からなかった。まるで理解出来ない。
「なんでそんな事……」
「蓮が最初にその颯羊の事を思い出したって秘密基地で言った時。あまりにも真剣だったから、どういうことなのかなって思ってその日に莉緒とラインしたんだ。それでちょっとの間だけ話を合わせて様子を見ようってなったんだ。もしかしたらその子は僕らは知らない蓮の友達で、何かのキッカケで忘れちゃってるだけかもって。それで僕らとの記憶に混合しただけかもしれないし。とにかく蓮は真剣だったけど何も分からなかったから……。だから僕と莉緒は同じタイミングであの夢を見たって言ったんだよ。でも蓮のとは少し違った感じにした方がいいかなって思って、知ってるような気がしたって言った」
「じゃあ……あの岩では?」
「何にもなかった。それにあの岩に書かれた名前もオレと夕晴には三人分しか見えてなかった。だからずっとお前が何か勘違いでもしてるのかと思ってたよ。でも川子ちゃんが現れたはマジだったし、ちゃんと見えてたから。マジでビビったし」
少し混乱した頭で考えてみれば確かにこれまで夕晴と莉緒は自分から颯羊の話をしたことはない。毎回、俺が言ってそれに合わせるように話してただけだ。
じゃあもしかして長宅颯羊という人間は本当に存在しないって事なのか? だけど確かに記憶では一緒に居るし、何度だって思い出せる。ただ二人が少女のように思い出せてないだけ? それとも……。
「俺の頭がおかしくなったって思わなかったのか?」
「んー。そこまでは思わなかったけど。でも最初はもしかしたら僕らが忘れてるだけかもって思ったけど、段々やっぱり違うとは思い始めてたかな。でもあの家で少女の事を思い出してからそれは変わったよ」
「まぁ、まだその颯羊の事は何も分からないままだけどな」
でも確か二人は俺と同じようにここへ来た事があると言っていた。だとしたら俺と同じようにあの時の事を思い出してるって事だ。だとしたら颯羊のいない二人の記憶は一体どうなってるんだ?
「じゃあお前らがさっき言ってたここに来たことがあるっていう記憶はどんなんなんだ?」
「それは――」
「ちょっと待て。あそこ。ドアがある」
夕晴の言葉を遮った莉緒は他所を指差していた。言葉の続きも気になったがまずは先に莉緒の指の先へ目を向けると確かにそこにはドアが一枚あった。
「あれって……あのアパートのと同じじゃない?」
言われてみれば似てる。俺らは特に何も言わぬままそのドアへと近づいて行った。
不自然に立てられた一枚のドア。そのドアには数字が書かれていた。
「二〇三。やっぱりあの部屋だよ」
俺はそのドアの前まで足を進めるとドアノブへ手を伸ばした。だが鍵はかかっている。夕晴なら開錠できるか? そう思いながらドアノブから手を離したその時、後ろから二人の息を呑む声が聞こえた。その声に右回りで後ろを振り返ると二人は、言葉など無くとも世界のどこでも伝わるような驚愕一色の表情を浮かべていた。
「どうしたんだよ?」
「れ、蓮」
「横……」
二人の視線は俺ではなく俺の右横(少し下の方)へ真っすぐ向けられていた。同時に俺に知らせる為の指もそこを指差している。
俺はそれらを追い右横へ顔を落とした。
そこには体育座りで小さくまとまった子どもの姿が。
すると俺の視線に気が付いたのか、その子どもはゆっくりと顔を上げ俺を見上げた。目と目が合いその子どもが誰だか分かった。それは知ってる子。ずっと探していた子だった。
「颯羊?」
確かにそれはあの日思い出した――あの時、俺の前を走っていた長宅颯羊だった。だが確信はあれどやはり何故かその顔は未だハッキリしない。霧がかったようにぼやけてる。
でもその姿に俺はどこかホッとしていた。見つけられたということもあるがやっぱり記憶通りちゃんと長宅颯羊は存在したんだという事に。
「やっぱりちゃんといたんだ! 無事で良かった颯羊。でも何でお前は子どもの頃と同じ姿なんだ? いや、それより……」
思わずしゃがんでいた俺は態勢はそのまま二人の方へ顔を向けた。未だ信じられないと言った表情を浮かべていた二人へ。恐らく颯羊が全く分からないとは言っていたが、本当にいたことに驚いていんだろう。
「ほら。やっぱり颯羊はいたんだよ。お前らがあの少女みたいに忘れてただけで――」
「……蓮」
だが二人は眉を顰め、さっき颯羊の事を本当は知らないと打ち明ける前と同じ表情を浮かべた。その表情に(さっきの所為か)嫌な予感が胸をざわめかせる。何か聞きたくないような事を言われるような気がして。
「僕らにはそうは見えない。それは長宅颯羊なんかじゃないよ」
「は? じゃあ誰なんだよ? 誰もいないって言うのか? それとも全く知らない奴か? 大体、お前ら颯羊の顔も分からないだろう」
何故か俺はそう必死になって言い返していた。心の不安を少しでも消すように必死で言葉を口にしていた。
「確かに長宅颯羊は知らない。でもその子の事は知ってる。よく知ってるよ。僕も莉緒も」
「蓮。オレも夕晴も正直、まだ信じられないし意味が分からない。でも確かにその子は長宅颯羊でも他の誰かでもない」
「僕らに見えてるその子は――」
ほんの少しの間だったが俺にはとても長く感じた。まるで判決を言い渡される前のようで、全ての意識がその次の言葉に集中していた。
「――蓮。君だよ。子どもの頃の蓮。僕らにはそう見えてる」
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