黯の中5
実際には鳴ってない開戦のゴングが響くと、俺と夕晴は影二つと、莉緒は希望通り太っちょ影と。目の前の影が何なのかという疑問は依然とあったが、今は飛んでくる打撃から身を守り相手を動けなくするのが先決。別に普段から喧嘩っ早いという訳でも喧嘩慣れしてるという訳でもないが、この影にはさほど苦労はしなかった。まともに殴られ蹴られたのは数回程度。
そして決着は割とすぐだった。先に俺と夕晴が終わり、少しして莉緒が念願の勝利を収めた。まるでボクシング映画さながら太っちょ影が倒れると莉緒は両手を大きく上げた。
「よっしゃ! オレだってやれば出来るんだ! そしてオレはあの時、泣いてない!」
「いや、それは関係ないでしょ。泣いてたし」
だが聞こえてないのかその振りなのか(恐らく後者だ)莉緒は少しの間、両手を上げ天を仰いだ。少し荒れた息を整えながら。
すると俺らを取り囲むこの公園に変化が起き始めた。まず起きた変化は初めに地面に倒れた影。塵が風に飛ばされるように徐々に姿が消え始めたのだ。そして次は公園の景色自体。辺りは再度、黯に包まれ出した。
そしてたった数秒で最初の黯い空間へと戻ってきた。最初同様に俺ら三人だけがいて足元には俺らの鞄が落ちてる。
「一体どうなってるの?」
夕晴の動揺した声を聞きながら辺りを見回してみるがやっぱり何も見当たらない。
「おい。夕晴」
「ん?」
すると突然、やけに落ち着いた声で莉緒が夕晴を呼んだ。何かと思い俺も夕晴と共に莉緒を見遣る。
「落ち着いて聞けよ」
その言葉に俺は莉緒から夕晴へ視線を向けた。一瞬、何を言ってるのか分からなかったがすぐに莉緒が言わんとする事は理解できた。
「なに?」
「今、お前の右肩にそこそこデカい虫が――」
莉緒が言い切るより先に夕晴は虫という単語に反射的に反応したように右肩を払った。そして素早く右へ視線を向け下に落ちた何かの幼虫を確認した。それは先程のと同じように影で出来た虫(姿形からか虫だという事はハッキリ分かる)。
「うげぇ。キモっ!」
言葉と共に顔一杯を染め上げる嫌悪感。
だがどうして夕晴の肩に虫が乗っていたのかは分からない(しかも突然)。そもそもこの虫が本物なのかも。たった一匹の虫だけではなくそこには大量の疑問が現れていた。
するとそんな疑問に囲まれていると上から降ってきた何かが夕晴の頭に当たり俺らの前まで飛んできた。俺と莉緒はその何かへ同時に視線を落とす。
それは虫だった。
「何で虫が?」
莉緒がそう呟いた直後、視線の先で頭上から夕晴へ向け滝のように何かが降り注いだ。それは虫だった。一瞬夕晴の姿が見えなくなるほど大量で多種多様な虫。
でも何故、夕晴なのかは分からない。それにそんな疑問もありはしたが、俺と莉緒は眼前の光景を何も言えず唖然としながら見つめるしかなった。虫滝の中から出て来てこちらへ歩いてくる夕晴の姿をただじっと。
だが無言のまま足を進め淡々と体に着いた虫を払う夕晴は、思ったよりは穏やかな表情をしていた。夕晴にとってもそれぐらい突然で色々と謎の多すぎる出来事だったのだろうか。
そしてすぐ目の前までやってきた夕晴は自分で体をチェックすると次に俺らへ両手を横に広げて見せた。
「他についてない?」
そしてそのままぐるりと一周。
「いや、ついてない。見たところはな」
「良かっ、んっ!」
すると突然、声を上げ背中を逸らせた。
「待って……。背中に一匹いる。取って」
そう言って夕晴は制服をズボンから出しながら背中を向けた。
「真ん中辺りにいる。服にくっ付いてるから」
俺は手を入れると言われた場所まで伸ばし、そこにいた一匹の虫を取り出した。
「取れたぞ」
そう言いながら取り出したその虫はそのまま適当に放り捨てた。
「ありがと」
お礼を言うと夕晴はベルトを外し服を直し始める。
「おい、夕晴。大丈夫か?」
やけに落ち着てて平然としてるからだろう、そう尋ねる莉緒が逆に恐々としていた。
「うん。まぁ虫自体は昔から平気だし。あんなキモいのが体に触れてとてつもなく不快だけどね。でも強いて言うなら順番は逆にしてほしかったな」
「それって何の順番だ?」
答える前にシャツをしっかりズボンに納めた夕晴が振り返る。
「さっきの公園のがこの次だったらよかったのにってこと。だってそうしたらちゃんとスッキリ出来たのになぁーって」
笑みを浮かべながらも胸の前で握った手は今にも軋む音が聞こえてきそうなほど強く握り締められていた。そんな夕晴に俺と莉緒は思わず横目で目を合わせた。恐らく思ってる事は同じだろう。
「(めっちゃイラついてる)」
夕晴の内側で怒りの炎が燃え盛る中、俺らを取り囲んでいた景色はまたもや一変した。黯から変わり今度は。
「石段? あと鳥居だ」
異様に長い石階段がそこには伸びておりその頂上には鳥居が立っていた。だが距離がある所為かあまり大きくは見えない。
「おっけ。それもいいがまずはこっち見たほーがいいと思うぜ」
引き攣った表情をした莉緒を中継し視線をその指が差す先へ(夕晴の後ろ向こう側)向けてみる。
そこに居たのは今まで見た事もない(恐らくこれからも見る事の無い)大きさの虫だった(もちろんこれも影)。顔を忙しなく動かしてはいるが今のところは動く様子はない。
「ちょっ! 僕、これマジで苦手なんだけど。なのにこの大きさって……」
眉を顰めすぐさま俺の後ろに隠れた夕晴の声は少し震えていた。恐怖と言うより嫌厭によるものだと思うが。
だがこの大きさは通常サイズが大丈夫な俺でも流石に眉間に皺を寄せてしまう。
「これってさ。今のうちにこの階段上るべきなのか? それとも隠れる場所探すべきなのか?」
「さぁな。だがここから離れた方が良いのは確かかもな」
「だったらさっさとそうしようよ。僕、あれもう見たくないんだけど。キモ過ぎ」
「あーっと……。これってオレの気のせいか? あいつこっち見てね?」
莉緒の言う通りその虫は動かしていた顔を止めじっとこっちを見ていた。
「え? なになに? もしかして……」
すると虫は夕晴の言葉に答えるように突然、俺ら目掛け走り出した。その光景に俺らは数秒だけ遅れ振り返ると、誰が何かを言うまでも無く全力で階段を上がり始める。
「僕ら食べられようとしてる?」
「知らねーよ!」
「とにかく今は走れ」
それからはアスリートの練習さながら全速力で階段を上がる事に全てを集中させた。一歩でも多く一歩でも速く階段を駆け上がっていく。だが巨大だからか虫だからか最初に距離があったにも関わらず後方からの追手はずっと俺らを捉え続け、それどころか徐々にその距離を縮めていた。
しかし俺らは(最初の分の距離があったおかげで)追手より幾分か早く階段を上り切り鳥居を通り抜ける事が出来た。
「うわっ! ちょっ、待って!」
だが俺より一足先に鳥居を通った夕晴と莉緒は突然、急ブレーキをかけ立ち止まるとこれ以上一歩たりとも進むまいと腕を振り体を反らせた。その声と行動に俺は二人より先にブレーキを踏んだ。
そのおかげで俺は鳥居の先に存在しなかった道の続き――崖の手前で止まる事が出来たが、二人は勢いを抑えきれず奈落の底へと体を倒し始めた。奥の方で滝が流れ落ちるのを背景に目の前でどうにか止まろうとする二人。
正直、それは咄嗟の判断だった。もはや反射と言ってもいい。奈落の底とそこへ落ちて行こうとする二人の姿に手が伸び間一髪のところで俺は莉緒と夕晴の手を掴んだ。だが二対一。俺はじりじりと大きく奈落側へ傾いた二人へと引っ張られていた。
「蓮! お願いだから絶対に離さないでよ!」
「すぐにそっち戻るからな」
二人同様――いや、二人以上に俺は踏ん張った。返事をする事すら疎かになる程に。
だがその最中も当然ながら追手が着実に俺らへと近づいて来ている事は確認するまでもない。刻一刻と迫り来る追手。こっちへ戻ってくるには多少なりとも時間が掛かる。しかも二人が戻ったところですぐそこまで迫った追手から逃れる術はない。
俺は身勝手ながら相談はせず一人で決断を下した。
「悪いな。莉緒、夕晴。こうするしかない」
「え? (は?)」
重なり合う二人の訳が分からないという声。
だが返事をしている暇はなく、俺は自分の決断を信じて踏ん張るのを止めると二人と共に奈落の底へ身を投じた。二種類の叫び声と共に俺は暗闇の底へと落ちて行った。ただひたすらに下へ落ちて落ちていく。
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