黯の中4

 その瞬間、俺は夢の少女が目の前の少女と同じだという事がハッキリと分かった。同時に俺はその少女をどうしても助けなければいけないという想いに満たされた。その手を掴まないといけないと強く思った。

 だから微塵も隠せない程に愕然とする中、その小さな手に向かって手を伸ばし始めた。すぐそこにある手を掴もうと手を伸ばした。徐々に近づく指先。あと少しで触れる。


「渡サナイ。コノ子ハ……誰ニモ」


 だが憎悪に満ちた声が囁くようにそう言うと、一瞬にして後ろから伸びてきた無数の真っ黒な手に少女は包み込まれ俺から遠ざけられてしまった。気が付けば少女の姿はなくそこには大人ぐらいの影が立っていた。ブラックホールより黒く、暗闇より深く濃い影が。そして少女だった影を抱き締めるその体からは揺れる炎のように黯い何かが溢れ出している。一言で言い表すなら禍々しい。

 しかしそんな事よりも今一番重要なのはこれが一体なんで、どこからどうして現れたか。いや、そもそもこれが現実である保証も無い。俺が思い出そうとしすぎて自分の中に入り込んでしまってるだけかもしれない。だとしたら今すぐにでも我に返って……。


「お、おい。これなんだよ?」

「一応確認するけど僕だけが見えてるって訳じゃないよね?」


 戸惑いに揺れる声に俺は後ろを振り返った。二人の視線は俺を通り過ぎ後ろへ向かっている。


「お前らにもアレが見えてるのか?」

「見えてるも何もそこにいるじゃん」


 どういう訳かそれは確実にそこに存在してるらしい。取り乱す程、驚きに呑み込まれないのは恐らくあの出来事のお陰だろう。ついこの間、幽霊を目の前にしたのだから。

 でもあの時と違いどうしたらいいかは全く分からず、ただ目の前の光景に視線を送り続けるだけ。


「渡サナイ。オ前ラニモ……誰ニモ」


 またあの声でそう聞こえると影は床へ沈み始めた。そして完全に消えて居なくなるとあの影と同じ色の液体が柱のように噴き出した。俺は思わず身を守る為に腕を前に構え顔を逸らし目を閉じた。数秒の間、そうしたが体には何の異常も感じられず恐々としながら目を開いていく。


「おい。これって現実か?」

「分からない。でも僕も同じ景色を見てると思うよ」


 辺りの景色はアパートの一室から一変し、黯一色に変わっていた。三百六十度。上も下も右も左もない、全てが同じ色。

 でも俺はその景色に見覚えがあった。


「夢と同じだ」

「夢? ……じゃあ夢と同じ事が起きてるって事?」

「分からない。でもさっきのは同じだった」

「な、ならこの後はどーなんだよ?」

「夢はいつもここで終わってた。分かる訳ない。お前らもそうだろ?」


 この空間に存在する(俺と足元の鞄を除いて)たった二人の莉緒と夕晴は一度、互いの顔を見合わせてから再び俺の方を見た。


「――おい。あれ」


 すると莉緒が俺の後ろの方を指差しながら何かを見つけたような声を出した。その声に俺は振り返る。

 そこには一人を先頭にした三人組の何かがいた。何かと言ったのはそれが真っ黒な影だったからだ。でも先頭の影はお腹の出た一回り大きな体をしていて、その後ろの二人は普通の体格だという事は分かる。そして背は大体、俺らと同じぐらい。


「オイ。オマエ、弱虫泣キ虫ノクセニ調子乗ッテンジャネーヨ」


 影のはずなのに口か動いてるのが分かる。それは太っちょ影が言っていた。


「なぁ夕晴。これって」

「うん」


 二人は身に覚えがあるようだったが俺は全くない。だから振り向き二人に何の事かを尋ねようとしたその時。誰かがスイッチでも切り替えたかのように辺りの景色がまた一変した。

 今度は昔よく遊んでた公園。でも目の前の影はそのまま。


「やっぱり。莉緒にちょっかい出してた他小の奴らが言ってた事とおんなじだよ。遊具を譲れっていっつも自分勝手」

「確かオレを突き飛ばした奴もあんな風に太ってたしな。でもなんであいつらが。一体どーなってんだよ?」


 でもそれに答えられる者はいなかった。少なくとも俺らの中には。


「なに? こいつら倒さないといけないってこと? あの時みたいに」

「さぁーな。でも向こうはそんな感じだな」


 突然の状況にどうしたらいいのかと考えていると莉緒が俺らの前へ出た。


「とりあえずやってみれば分かるだろ。そもそも見た目からして本物じゃなさそうだし、別に倒したからって問題ねーって」


 莉緒は怖がるどころかむしろやる気を燃やしているように見えた。もしかしたらその燃料は復讐や雪辱を晴らそうとする気持ちなのかもしれない。しかもこの異常な状況を脇に置いておけるのだから莉緒にとって余程嫌な出来事だったんだろう。


「それにあの時と違ってオレも随分と――」


 余裕綽々な様子で言葉を口にしながら一歩二歩と足を進めていく莉緒だったが、太っちょ影の前で足を止めると同時に伸びてきた手に体を突き飛ばされてしまった。その所為で言葉は途中で止まり突き飛ばされた莉緒は尻餅を着いた。


「おーい。このまま泣いたら昔と何も変わらないよー」


 そんな莉緒に透かさず夕晴が煽るように声を飛ばす。


「泣くかよ! つーか昔も泣いてねー」

「まだ言いますか」


 後ろを向き夕晴に一言返した莉緒は立ち上がると再び影を見た。


「生意気ナ奴メ。痛イ目見セテヤル」

「ほんと昔とおんなじじゃねーか」

「莉緒。一応訊くけど、相手三人なのに一人で頑張るつもり?」


 そこは何も考えてなかったのか莉緒はラグがあるように遅れてから返事をした。


「――ま、まぁ。オレの目的はあくまでもあのデブだけだからな。うん。他はお前らにやるよ」

「いや、別にいらない。全部あげるよ。まぁ手伝って欲しいなら別だけど。でも人に手伝って欲しいならちゃんと頼まないとね」


 見るまでもなく夕晴は意地の悪い顔をしてるんだろう。


「――手伝ってください」

「えっ? なに? よく聞こえないだけど?」


 確かにその声は早口で小さかったが聞き取れないほどじゃない。でも夕晴は少し大袈裟にそう返していた。

 そんな夕晴に莉緒は両手を強く握り締め、心の中での葛藤を表情に出しながら振り返った。


「――分かったよ! お願いします! 手伝ってください。あの時も助かりました! ありがとう。……これでいいか?」


 それは莉緒が目を瞑り開き直ったように大きな声で言葉を口にしていた最中だった。後方の影(太っちょ影の左後にいた影)の一人が隙を突くように莉緒へ向かって走り出したのが見えた。だがその直後、隣から発射されたように莉緒へ向かう姿が。

 恐らく全てを言い切り目を開けた莉緒が最初に見た光景は自分の方へ跳んでくる夕晴の姿だろう。その光景に理解が追い付かず莉緒は唖然としているのが見えた。

 そしてそんな莉緒の真横を通り過ぎた夕晴の足は丁度、莉緒のすぐ後ろまで迫った影の顔へ直撃。夕晴は影の顔を蹴り飛ばすと壁キックでもするように後方へ跳びそのまま空中で宙返りをして着地した。にしてもなんつー運動能力。なんつー容赦の無さ。


「話長いよ莉緒。ほら、早くしないとあいつら今にも襲い掛かりそうだって」

「なっ、お前が……。まぁいい。それより」


 夕晴の言う通り今にも襲い掛かりそうな影の方へ莉緒は体の向きを戻した。


「お前に恨みはねーが、昔のリベンジ! ここで果たす!」

「ほら、蓮も。さっさと終わらせてこの訳の分かんないとこから出ようよ」

「そーだな」


 こうなる直前のあの少女と影の事も気になるが今はこの状況を何とかしないと。俺は夕晴の言葉に頷きながら莉緒の隣に並んだ。

 そして(あの時を俺は知らないが)あの時を再現するように、(起き上がった影も含め)三つの影との戦いが始まった。あの時は戦いと言うより単なる喧嘩なんだが。でもこれも戦いと言っていいかは疑問だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る