黯の中3

「そのアパートの部屋に入った時、少女の事を。多分だけど、僕は彼女を知ってる。いや、知ってた。分からないけど確かに僕はあの部屋を訪れた事がある」

「本気で言ってるのか?」

「もちろん。だから莉緒も一回あの場所に行った方がいいと思う。僕と蓮が言ってる事が分かるよ」


 夕晴がそう言うと莉緒は少し戸惑ったような表情を見せ、俺の方へ顔を向けた。


「俺も少女の事は思い出した。でも名前も顔も分からない。それに夕晴はあの場所が嫌な感じがするって言ってたけど俺にはそれは分からなかった。だからもし一緒に行くなら覚悟はしといた方がいいかもしれない。あの時みたいな事が起こるかもしれないからな」


 俺から目を逸らさず莉緒はほんの数秒だが黙ったままだった。そしてその後、莉緒はその答えを口にした。


「――なら二人で行ってきてくれ。オレはいい」


 少し考えての答えかそれとも答えは決まっていたのか、莉緒は俺の目を見ながら返事をした。


「そうか。分かった。何か分かったら教える」

「そりゃどーも」


 莉緒は立ち上がりながらそう言うとそのまま教室を出て行った。


「それで、また行くっていつ行くの?」

「別に決めてない。今日でも俺はいい」

「じゃあ明日にしない?」

「分かった」

「ありがと」


 微笑みでお礼を口にすると夕晴も立ち上がり教室を後にした。

 そして予定通り次の日の放課後、俺はあのアパート前へ一足先に来ていた。それから少しして夕晴と合流した訳だが。


「来ないんじゃなかったのか?」


 夕晴の隣には莉緒の姿もあった。


「そのつもりだったよ。でも……」

「僕が昨日もし何もなかったら来なくてもいいよって連れて来たんだ」

「それで今日もいるって事は」

「お前らの言う通り確かにオレも覚えがあった。少女が家の中に立ってて迎え入れてくれてた」

「お前も夕晴みたいに変な感じはあったのか?」

「あった。不気味でこれ以上近づきたくないって思わせるような感覚がな。お前はほんとに何も感じないのか?」

「なにも。少女の事は確かに思い出した。でもそんな感じは全くない」


 俺の答えに莉緒と夕晴は顔を見合わせた。


「今回は中に入ろうと思ってるが、お前ら大丈夫か?」

「出来る事ならヤだけど、たぶん大丈夫かも」

「来たからにはな。覚悟してる」

「止めたかったらいつでも言ってくれ」


 言葉の後、先に歩き出した俺に続いた二人と共に階段を上り二〇三号室へ。そしてもはやお決まりのように夕晴がサクッと鍵を開け、まずは玄関に足を踏み入れた。

 何度見ても確かにそこには嬉しそうな少女がいて俺を迎えてくれたという記憶が残されている。そして二人の言う不気味な感覚は相変わらず全くといっていいほどに感じない。

 だが莉緒と夕晴は人見知りな子どものように少し俺の後ろに隠れていた。


「行くぞ?」

「うん」

「いいぞ」


 少し制服を引かれる感覚を感じながら俺は靴を脱ぎ家へ上がった。その片足が框を越えフローリングに触れたその瞬間。何かが起こるかもと思ったが別にそんな事は無かった。そして俺を含め後ろの二人も完全に家の内側へ。


「何か変わったか?」

「いや。僕は何も」

「オレも」


 後ろからの返事を聞いて異常が無い事を確認した俺は辺りを見回しながら少女の向かった襖へとゆっくり足を進めた。玄関から進むとすぐに(あまり広くはないが)キッチンがあり、そこを通り過ぎると目的の襖前。


「開けるぞ」


 返事は無かったが代わりに服を引く感覚が少し強まるのを感じた。

 そして襖へ手を伸ばした俺はやや勢いよく一気に横へと引いた。そこに広がっていたのは何てことない和室。部屋の前で中を一見してから中へ足を踏み入れる。

 するとあの記憶の続きが脳裏へ――そこへ広がった。時間的には少し進んでいたがそこにはテーブルとそれを囲み座る少女と三人の男の子の姿。少女と違いハッキリとその顔が見えるのはその子たちを俺が知ってるからだろうか。それは子どもの夕晴と莉緒と俺だった。


「僕らここで遊んだよね?」

「オレも今、同じ事思い出してた」

「そうだな。細かくは覚えてないけど楽しっかったことはちゃんと覚えてる」

「うん。楽しかった。――でも確か、途中でその子のお母さんが帰ってきた」


 ガチャリとドアの開く音がすると鍵と袋の揺れ動く音が先行して聞こえ、それを追うように声が聞こえた。


『帰ったわよー』


 その瞬間、少女は体をビクッと跳ねさせ焦り出した。俺らはそんな少女を小首を傾げながら見てる。

 そして足音が近づいて来て襖が開くと買い物袋とカバンを持った少女の母親がそこには立っていた。顔は黒く塗りつぶされたみたいに思い出せない。


「そーいえば。なんかすっげー怒ってたよな」

「凄い怖かったんだよね。あの子のお母さん。この時も怒鳴られたし」


 床に落ちる買い物袋とカバンとは逆に上がった母親の手は俺らを指差した。


『あんたたち誰よ! 何してるの? いや! いやよ!』


 母親は取り乱しながらそう言うと少女の手を掴み部屋の外へ引っ張り出した。


『あげないわよ! この子は私だけのものなんだから! 出て行って! 早く出て行きなさい!』

『みんなごめんね。今日はもう遊べないみたい』


 俺らは母親に対して恐怖を抱きながらも訳が分からないまま立ち上がると玄関へと歩き出した。


「こーやってお母さんとあの子を見ながら玄関に歩いてた」


 警戒しながら玄関へ向かう俺らから守るように少女を後ろから抱き締めた母親からもまた鋭い警戒心を感じた。いや、それは警戒心と言うよりは敵対心と言う方が正しいのかもしれない。

 そして俺らは玄関に着くとそのまま家を出て行った。記憶ではそうだが、実際の俺らは未だ玄関に居た。


「あの時も思ったけど、何であんなに怒ってたんだ?」

「知らないよ。あの時が会ったの最初で最後だったと思うし。それに子供だったっていうのもあるけど、凄く怖かったからこれ以上会わない方がいいってのも分かってたし、深入りもしない方がいいって思ったから」

「ていうか、オレたちが感じてるのって母親との記憶の所為じゃねーのか?」

「まぁ言われればそうかも。じゃあ蓮はあの時、怖くなかったって事?」

「いや。怖かった」


 俺は夕晴に答えを返しながら和室を見つめていた。


「お前らあの少女が誰か思い出したか? 名前とかここ以外の事とか」

「んー。それがよく思い出せないんだよね」

「ここでの出来事は確かにあった気ぃすんだけどな。それ以外はなんにも」


 颯羊の名前はすぐに思い出せた。でもこの少女の事は中々思い出せない。この家に来た時の事以外は何も。

 俺は何もないこの家の玄関前に記憶と重ね合わせ少女を見ていた。俺らが玄関に入り迎えてくれた時の少女を。一歩二歩、その少女に近づくとすっかり変わってしまった目線を合わせる為にその場にしゃがみ込む。互いに手を伸ばせば届く距離を開け俺は顔の見えない少女と向かい合った。


「蓮?」


 後ろから聞こえる夕晴の声に答えるように俺は頭で考えてたことを口にした。


「お前は一体誰なんだ? 名前は?」


 だが少女は後ろで手を組み嬉しそうだが少しだけ面映げなまま。でも別に俺も記憶の中の少女が答えてくれるとは思ってない。強いて言えば尋ねてるのは自分だ。何かを思い出せと自分に言ってるだけ。


「今、お前はどこにいる?」


 まるで俺の言葉に合わせるように少女は右へ上半身を傾けた。


「夢で見た子と同じなのか?」


 次は反対側へ。


「俺らはどうして忘れてる?」


 少女の頭は正面に戻ったがまだ手は後ろのまま。


「どうやったら俺らはお前を思い出せる?」


 そして少女は後ろから持って来た小さな手をゆっくりと上げ始めた。だがそれは記憶にない行動だった。でも全く知らない事を突然思い出したりする内に、もはや今の俺にとって自分の認識している記憶には信用があまりない。だから若干の驚きを感じながらも少女を見つめていた。ゆっくりと後ろから姿を現し俺の方へ伸びてくる手。

 すると突然、それを見ていた俺の頭に複数の場面が――というより言葉が、声が響き始めた。


『いらっしゃい』

『えー! ズルしたでしょ!』

『ほら、もっと勢いよく』

『いっちばーん!』

『自分の大切な物を入れるんでしょ?』

『ごめんね』

『私は大丈夫だから』


 次々と聞こえる声は、その手に合わせるように段々と足早に過ぎていく。笑い声や嬉しそうな声、少し怒ったような声。どれもここに来た時に思い出した少女の声と同じ。

 そして少女の手が俺の方へ真っすぐ伸びたところで止まると声が止んだ。戸惑いの中、少女を真っすぐ見つめる俺。

 するとそれは他の声と重なることなくハッキリと聞こえた。目の前の少女が俺に言うように。


「助けて――蓮」

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