黯の中2

 それから須臾の間、俺はアパートの前でその相手を待っていた。


「れーん」


 するとその声と共にその相手が現れた。夕晴だ。


「悪いな。急に」

「いや、いいよ。別に用事も無かったし。それより本気?」

「あぁ。ここの二〇三号室だ。にしてもお前、本当にピッキング出来るのか? 一応、アパートだぞ?」


 俺の疑問に対して夕晴は両手を腰に当て胸を張った。


「自慢じゃないけど、僕は映画で華麗にピッキングするとこを見て一時期ピッキングにハマってたんだよね。それで南京錠とか色んなやつで練習しまくって割と開けられるようになった。ほら、僕って器用だし」


 広げた両手の指をウェーブさせながら夕晴は自慢気な表情を浮かべている。でも事実、凄い。


「なら頼む」

「任せて」


 そして自信満々の夕晴と共に階段を上り俺は再び二〇三号室の前へ。


「周りは見とく。手早くな」

「やる前に一応言っておくけど、練習は沢山したけど実践は初めてなんだよね」


 映画の真似でもしてるのか髪の中からピッキングの道具を取り出した夕晴は今更ながらそんな事を言い出した。でもここで止める訳にもいかない。(待ってる間に確認したのだが)幸いここは人通りが少ない。後はこのアパートに住む人の出入りがない事を祈るだけだ。


「失敗しても別に警報が鳴る訳じゃない。気楽にやれ」

「調べたの?」

「いや。でも見た目からして鳴らないだろ」

「貴重な情報ありがとう。少し緊張してきた。でもやる気も出て来た」


 それから俺は通りや他のドアを気にして、夕晴は(何をしてるか分からないが)鍵を開ける為にカチャカチャと何かをしていた。


「あっ。開いた」


 それは突然かつあっけない声だった。カチャという開錠の音が聞こえたかと思うと夕晴が零すように呟いた。


「本当か?」

「うん。ほら」


 夕晴は証拠だと言うようにドアノブを捻りドアを開けて見せる。


「でもほんとにこの場所が関係あるの?」

「確証はない。だけどある気がする。理由も無いがな」

「ほんとに大丈夫?」


 そう心配そうな表情でこちらを見る夕晴から俺はドアノブを取った。


「もう帰ってもいいぞ。あと、助かった」


 お礼を伝え俺はドアを完全に開けた。そこに広がっていたのは、狭い玄関と短い通路、向こうには閉じた襖。それと横から覗き込む夕晴。何てことない入居前の空き部屋だった。


「別にふつーだね」

「そーだな」


 俺はそう答えると一度、周りを確認し玄関へ足を踏み入れた。そんな俺の後を追い夕晴も玄関に入ると後ろでドアがゆっくり閉まる間、俺らはただ部屋の中を眺めるだけ。そして数秒という時間をかけドアはカチャリと閉じた。

 ドアの音が室内へ波紋のように広がり消えると、部屋の中は不気味な程までに森閑としまるで人の侵入を拒むよう。

 でもそう感じるだけでそれ以外を除けばただの空き部屋。それにここまで不思議な感覚を感じていた割には今のところ何もない。


「ねぇ。何か思い出した?」


 俺が若干の落胆を感じていると隣で夕晴がそう尋ねてきた。しかも気のせいかその声は恐々としてる気がする。


「いや」

「僕……。ここ、来たことある」


 その言葉に横を見遣ると夕晴は真っすぐ正面を見たまま顔を固まらせていた。


「あの子の家だ」

「あの子って。お前、何言って……」


 俺はそう言いながら顔を前へ戻した。狭い通路が伸びて奥に閉じた襖がある目の前の光景へ。

 だがそこにはさっきまでいなかったはずの少女が一人立っていた。


『いらっしゃい。今日はお母さん少し遅いからゆっくりしてってね』


 後ろで手を組み上半身を小さく左右に動かすその少女は嬉しそうだが少しだけ面映げでもあった。なのに顔ははっきりと見えない(だからそう感じるというだけで本当は違うかもしれない)。そしてその少女は後ろを振り返ると向こうの襖へと消えてしまった。

 それが俺の記憶の中のものだという事はすぐに気が付いた。事実、眼前の光景は何も変わらず実際に少女が居た訳じゃない。夕晴の言う通りこの家に来た時の事を思い出したのだ。


「あの子って、もしかして……」

「夢の女の子?」

「いや、分からない。そうな気もするけどそうじゃない気もする。どっちとも断言は出来ない。でも何故か……」

「懐かしい感じがする」


 俺は心を読まれた気分だった。まさにそう思っていた事を言い当てられ、思わず夕晴の方を向く。そこでは待ち構えてたかのように夕晴のこっちを見る視線があった。


「僕も同じこと感じてた。でもさ。なんか怖くない?」

「怖いって?」

「不気味っていうか何て言うか……」


 もう一度、部屋の中を見てみるがそんな感じはしなかった。


「いや。大丈夫だろ」


 俺はそう言って部屋へ上がろうとした。

 だが夕晴が腕を掴みそれを止めた。


「やっぱ止めようよ。お願いだから」


 顔を向けてみると何かに怯えたというよりは嫌悪感のような表情を浮かべていた夕晴が俺を真っすぐ見ていた。いつもと違い冗談などではなく真剣だという事を語るその顔を少しだけ見つめてから、俺はその言葉に従う事を決めた。この先に何かしらのヒントや答えがあるかもしれないが、普段と違う夕晴を無視するのは気が引ける。それに別に今じゃないといけない理由はない。


「分かった。出よう」


 最後に部屋へ目をやってから振り返りドアを開けた。そして周りに誰もいない事を確認して素早く外へ。


「夕晴。頼んだ」

「おっけ」


 俺に続いて出て来た夕晴は最初と同じように道具で鍵穴を弄ると、開けた時同様(もしかしたらそれより早く)あっという間に鍵を閉めてしまった。


         * * * * *


「それで? そのアパートに不法侵入したってわけか?」


 腕を組んだ制服姿の莉緒は目を瞑り微かに眉間へ皺を寄せると少し黙り続けた。

 そして目を開くと同時に腕組みを解除し言葉にジェスチャーを添えた。


「何やってんだよ?」

「空き部屋だし大丈夫だろ」

「そーだけど。誰かに見られたら最悪通報だぞ? しかもまた行くつもりって……はぁ」

「別に強制じゃない」


 溜息と共に顔を俯かせてた莉緒は、俺の言葉の後にゆっくりとその顔を上げた。


「――お前少しこだわり過ぎじゃないのか?」

「そりゃこだわるだろ。あの少年も――颯羊も思い出したし、それに少女の事も。もしかしたら俺らが忘れてるだけで今もどこかにいるのかしれねーんだぞ?」

「でもいないかもしれないだろ? そんな分からない事でまたあの時みたいに命の危険に陥るかもしれないだぞ? 今度は死ぬかもしんねーし」


 あの時の恐怖の所為だろう。莉緒の口調は少し強く、声も大きくなっていた。


「確かにお前があんな目にあったのは悪かったと思ってる――でも止めるつもりはない」


 そこに嘘はない。あの時の事は俺も後悔してる。ちゃんと集中してればって。だけど、もしあの時と同じ事が起こる可能性があってもやっぱり俺は確かめたい。本当の事を。長宅颯羊が何故いなくなったのか。あの少女は誰でどんな関係があって、今はどうなってるのか。知りたい。


「いつからかは覚えてないが、昔から何度も夢を見てた。お前らに話した夢だ。変な夢だとは思ってたがただの夢だとも思ってた。だけどあの夢の少年が長宅颯羊という俺らの知ってる、それどころか一緒に遊んでた子だと分かって――実在した人物だと分かってからは、少し見方が変わったんだ。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないが、俺には忘れるなって自分を探してくれって言ってる気がする。いや、俺が自分に言ってる気がする。もしかしたらあの頃の俺が言ってるのかも。だから危険だとしても可能性があるなら、俺はやる。あの夢の少年と少女が何者でどうなったのか、今どうしてるのかを知るまでは。そして忘れてしまった理由を知るまでは」


 莉緒はまた溜息をひとつ零した。


「――分かった。でもその前にひとつ教えといてやるよ。オレ――」

「僕も思い出したんだよ」


 すると突然、莉緒の言葉を夕晴が遮った。割って入るように若干ながら勢いよく。

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