危険な遊び9

 まだ痛みの信号は体中を駆け巡り息苦しさが胸を圧迫するように残っていたが、俺は傍らに落ちたあの刀を手に取ると両手を地面へ。全てに耐えながら立ち上がり、莉緒の元へ急いだ。

 そして刀を振り上げるとソレ目掛け全力で振り下ろす。

 だが刀が届く直前で顔が俺を見上げ片手が防御の動きを見せた。正直、直後はどうなったか分からない。ただ刀を握る手には何かる当たる感触があった事だけは分かる。


「ぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛!」


 でも俺がそんな不安を感じている間にソレは悍ましくも苦痛に満ちた声を上げ莉緒から離れると顔を押さえ悶えながら後退りし始めた。よく見れば押さえた頬から黯い霧のようなものが漏れている。やったのか? そんな事も思ったが俺は先に莉緒へ視線を戻しながらしゃがみ込み手を伸ばした。


「莉緒! 大丈夫か?」


 酷く咳込んでいるが無事だという事にとりあえずホッと胸を撫で下ろす。


「蓮!」


 するとそんな俺を夕晴の声が呼んだ。その聞くだけですぐに急用性が伝わるような声に引っ張られ俺は莉緒に手を伸ばしたまま顔を夕晴へ。

 夕晴は丁度(飛ばされた時に落としたんだろう)術札を拾い、配置した術札の場所へ走りしていた。自分の役割を果たそうとしてるんだろう。そしてその術札の傍には未だ悶えるソレの姿があり、引き寄せられるように覚束ない足取りで術札の中へ近づいていた(それが偶然なのか何かの力によって本当に引き寄せられているのかは分からない)。

 俺はその二人を確認した後に顔を傍に置いていた刀へ。次に術札へと向けた。同じ視界に収まった光景の中でソレは今まさに足を踏み入れようとしていた。

 そしてついにソレは覚束ない足取りに導かれるように術札の中へ。若干の不安を煽るような沈黙を挟み、夕晴が駆け込むように最後の術札を置いた。直後、何が起きたのかは正確には分からない。ただ漫画や映画のように光の柱が空へ向け伸びソレを囲い込んだ。

 するとソレは今までより激しく声を上げ悶え暴れ始めた。頬から漏れ出していた黯い霧のようなものが全身から溢れ出しより一層苦しそうだ。

 あとどれくらいあの術札がもつのかは分からないが、もう対話なんて言っている場合じゃない。俺は刀を握り締めると立ち上がりソレへ向かって走り出した。この刀の効果は既に実証済み。でも本当に退治しきれるのかは未だ不明。その事に対し不安を抱きながらも俺は足を進めた。

 だがそれは数歩分ほど進んだところだった。突如、ガラスの割れる音が辺りに響き、目の前の光が停電したみたいに消えた。

 でも俺はずっと目を向けていたから分かる。酷く暴れていたソレは術札へ何度も体を激しくぶつけ、最後には突き破りそのまま川へと飛び込んでしまった。術札からソレは逃げ出し川へと消えてしまったのだ。どうなったのかは分からない。

 だけど今自分たちがすべきことは明確に分かっていた。


「おい、夕晴。行くぞ!」


 夕晴にそう言って真っ先にまだ倒れたままの莉緒の元へ。


「莉緒。大丈夫か? 走れるか?」

「あぁ……大丈夫」

「じゃあ立て。行くぞ」


 手を貸しながら莉緒を立ち上がらせると、俺らは椅子なんかの荷物はほったらかしにしたまま走り出した。どこへ向かうかなんて話し合ってない。でもただ少しでも川から離れる為に、この場所を出る為に走った。周りの景色が木々からコインクリートに変わっても。息が切れ、酷く呼吸が乱れても。

 それからどれくらい走ったんだろうか。体力をかなり消耗しここまでくれば大丈夫かという気持ちもあったが、正直に言うと気が付けば走るのを止めて立ち止まっていた。街灯が等間隔で並ぶ道の途中、二階建てのアパートの前で。

 そして足を止めた俺は両膝に手を突き荒れた呼吸に身を任せた。自然と視線も下がり俺はずっとあの刀を握り締めている事に気が付いたが、今は乱れた呼吸に手一杯でどうでもいい。吸ったと思った時には既に吐き出し、そう思った時には既に吸っている。そんな呼吸に必死だった。それに加え心臓は今にも飛び出しそうで脚も疲弊してしまってる。

 でも(そのどれも全く落ち着きは見せてないが)少しすると俺は同じように後ろで息を切らしている二人の方を振り返った。


「大丈夫か?」

「ちょっと怪我しちゃったけど、僕は大丈夫」


 そう言われ夕晴の額(左の眉山の上辺り)に傷があり少し血が出ているのに気が付いた。同時に自分の頬が痛みを訴えている事にも。膝から片手を離すと指の背でそっとその痛みの場所に触れてみた。その指を見てみると少しだが血が付いていた。でも痛みからして大した傷じゃない事は分かる。

 その間に段々と落ち着きを取り戻してきた呼吸に俺はもう片方の手も膝から離すとまだ手を付け俯いたままの莉緒に目を向けた。


「莉緒?」


 だけど返事は無くただ呼吸に体が揺れてるだけ。俺は莉緒に近づくと肩に手を伸ばした。

 すると指先が肩に触れた瞬間。莉緒は勢いよく俺の手を払い、同時に怯えた声を出し一歩二歩と後ずさりし俺から離れていった。俺はその事に払われた手を下げるのさえ忘れる程には一驚を喫し、莉緒はそんな俺へ怯えた顔を向けていた。

 だが数秒後、我に返った莉緒は俺と夕晴を一度ずつ見ると顔を逸らし小さな言葉を口にした。


「わりぃ」

「大丈夫か?」

「大丈夫」


 俺の問いかけに莉緒は復唱するように一言だけ返したがとてもそうとは思えなかった。声だけじゃなく手も震えまだ恐怖が顔を強張らせている。


「――いや、嘘だ。大丈夫じゃねーよ」


 自分でも隠せない程に恐怖が溢れ出していると気が付いているのか莉緒はすぐに訂正した。


「あのオレを見る憎悪に満ちた目も顔に当たる濡れた髪も喉を締め付ける冷たい手も。全部がこびり付いてる。思い出すだけで……」


 莉緒は自分の震える手を見つめた。

 そして俺はそんな莉緒を見つめながら罪悪感を感じていた。あの時、動揺せずにすぐ夕晴から視線を戻してれば……反撃出来たかもしれない。そうすれば莉緒が襲われる事も無かった。鮮明になった視界で見た首を絞められる莉緒の姿。俺の脳裏にもその光景は悪夢のように焼き付いていた。


「でももう大丈夫だよ」


 するとそんな莉緒の手を夕晴は握り締め慰めるような声でそう言った。


「大丈夫だから」


 その言葉に莉緒の顔は自分の手から夕晴へ。


「――あぁ。ありがとう」


 そして俺も莉緒の傍へ。


「悪かった。俺が気を逸らしちまったからその隙に」

「いや。蓮は悪くねーって。だってアイツは……」


 言葉を詰まらせ少し顔を俯かせる莉緒。だが何が言いたいのかは分かる。


「今日はもう帰ろう」

「そーだね。時間も遅いし。莉緒。家まで送ってあげるよ」

「悪いな」

「いーよ」


 先に莉緒と夕晴が歩き出し少し遅れて俺も家へと歩き出した。

 だが少し進んだところで俺は足を止め一度後ろを振り返った。目に映る何気ない住宅街の道。でも振り返るぐらいにそこには違和感のようなものがあった。何かは分からないが何か引っかかる。


「蓮?」

「――今行く」


 だが俺は夕晴に呼ばれると顔を戻しすぐに二人を追った。きっとあんな体験をしてしまった所為なんだろう。単なる気の所為だ。

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