日が出た後は元の破(や)れ寺

 ぽた ぽた ぽた ……

 

 ほおに熱い液体を感じ、新九郎はうっすらと目を開けた。

 最初に思ったのは、わき腹に走る変わらぬ激痛。次に背中いっぱいに感じた台座の冷たさ。最後に見たのは四つんいになって自分をおおう老僧の姿……。

 つぶらな目を強く宙にえ、歯を食いしばったしわだらけの顔が、小刻こきざみに震えている。

 その背に深々と、恨みの脇差わきざしが突き込まれている。

 一体どこから飛び込んで来たのか。

 最後の瞬間に現れた老僧が、我が身を投げ出し、新九郎の盾となったのだ。

「和尚さん!」

 老僧の胸から突き出た脇差しの切っ先から、ぽたり、ぽたりと、赤銅色しゃくどういろの液体が、新九郎の頬に落ちてくる。

「うわあああ! ちくしょう……ッ!」

 叫んだのは、悲しみか、怒りか……新九郎は自分の気持ちもつかめないまま、動かない足を強引に振り上げ 、向こうに見える怨霊大将のすねを、必死で蹴り飛ばした。

 よろいが台座にこすれる音と共に、脇差わきざしを手放し、力を無くしたアモリナガサトが、壊れたからくり人形のように暗い床へと落ちていく。そこには、真咲の刃が待っていた。

宿願シュクガン……未ダ果タサレズ……」

「てめえは負けたんだ。もう、いさぎよ往生おうじょうしな。」

 静かに言った真咲の大刀が、闇と救いの狭間はざまに引っかかっていた怨霊姿を、そのよろいごと、粉微塵こなみじんに打ち砕いた。



 最後の怨霊、アモリナガサトの昇天を見届けると、老僧はゆっくりと視線を下ろした。

 泥と血にまみれ、おびえた少年のような新九郎の顔が、引きつった表情で見上げて来る。

 老僧の胸から、まるで異物のように突き出すびた刃の切っ先。そこから今も途絶とだえることなく、赤銅色の液体が流れ出ている。

 老僧の眼には慈愛じあいの光、ほころんだ頬には喜びの涙があった。

「よくこそ、よくこそいて下された。勇敢な若人わこうどたちよ、感謝しますぞ」

「和尚さん……。待ってくれ……和尚さん……」

「そもじも、達者たっしゃでのう」

 新九郎を見やって、にっこりとうなずき、しずかにを合わせた老僧の姿が、光に包まれ、やがて消えて行った。



 日が完全に山の上に昇った時、そこに現れたのは、荒れ果てた六桐寺りくとうじ全貌ぜんぼうだった。

 磨き上げられていた大床は、風雨にさらされてあちこちがめくれ、三人が泊まった清楚せいそ僧坊そうぼうは、屋根が腐って落ちている。

 講堂こうどうに至っては、小さな瓦礫がれきのかたまりを、山野草がびっしりおおう空き地だった。

 怪異の気配は、最早、欠片かけらも見当たらない。そこにあるのは、さびれ、朽ちかけた、ただの山寺だった。

 所々に穴のあいた本堂のきざはしで、三人は精根尽せいこんつき果て、思い思いにへたり込んでいた。

 重傷だったのはあばらを折られた新九郎で、鐘楼しょうろうから駆け戻って来た凌介と真咲に助けられ、なんとか台座から降りる始末だった。

 今は真咲が、半身裸にした彼に、単衣ひとえいた布をぐるぐる巻いて手当てしている。

「ちくしょうが! 長い夜だったぜ! ったく、冗談じゃねえ。後から後からわいて来やがって、一体、どんだけ怨念強いんだ」

 痛がる新九郎の肋骨あばら付近を、文句を言いながらぎゅうぎゅう締め上げて固定した真咲が、壊れかけた欄干らんかんに、急にげんなりともたれかかる。

「強いはずさ。みんな、この寺で非業ひごうの死をげたんだ」

 手当ての間、新九郎の体を支えていた凌介が、ぽつりと答えた。

「どういう事だ……?」

 真咲のいぶかしげな声に、凌介はボロボロになった一冊の本を取り出した。

 あの猛烈な戦闘の中で、奇跡的に残っていたふところの冊子。

 深山六みやまむ桐縁起ぎりえんぎ

 開かれたぺーじにはすべて、色彩豊かで美しい絵と、ことばがいっぱいに描かれていた。

「忘れていたよ。長濱ながはまではきりは女性の象徴。だから御台みだい様の鏡台きょうだいも桐なんだ。……六桐寺りくとうじは、尼寺だったんだ。」

「尼寺……!」

 かたわらで新九郎が驚いて目を見張みはり、真咲がごくり、と息をのんだ。


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