「俺が撞くって言ったから」

 かねの音を、真咲と新九郎は本堂の回廊かいろうから聞いていた。

 アモリと名乗った怨霊大将おんりょうたいしょうを、真咲が膂力りょりょくに物を言わせて堂宇どううの奥へと弾き飛ばしたその刹那せつな、深い鐘の音が響いて来たのだ。

 怪異たちがだらりと武器を下げ……やがて、美しく輝く光となって、次々と回廊から朝焼けの空へと昇って行く。

 汚泥おでいにまみれた本堂の床が、見る間に乾き、元の姿を取り戻す。

 苦悶くもんのうめきを上げる黒い影も、尼たちの読経どきょうも、静かに消えて行った。その講堂こうどうも五色の美しい光に包まれ始めている。

「終わった、な。」

 ほっとして、真咲が大刀を下げる。新九郎が明るく笑いかけた。

「ほんとだ。良い音で鳴ってる。今夜はせっかく真咲が怪異に慣れる機会だったけど、それもここまでだな。」

「それを言うならおめえだろ! 最初はぶるぶる震えていたくせによ!」

「うるさい、今だってお化けは大嫌いだ。」

「へっ、おめえらしいや」

 真咲が境内けいだいに降りようと、きざはしに足をかけたその瞬間……!

「真咲……ッ!」

 新九郎が絶叫して飛び出した。



 バキィ……ッ!

 骨が砕ける胸の悪くなるような音がして、新九郎の身体が本堂の中へと吹っ飛ばされた。

 仰天して振り返った真咲の目前に、怨霊大将、アモリナガサトが立ちはだかっていた。

 鐘の音が聞こえるたびに、身体が五色に反応している。それは、闇色の鎧をびくびくと奇妙な形にゆがめていたが、その巨大な鎧姿は微動だにせず、すさまじい殺気を放ちながら、しっかりと床を踏みしめている。

 救いの鐘をもしのぐ強力な恨みの心が、彼を未だこの世につなぎ止めているのだ!

 背後から真咲に斬りつけてきた鋭い刃風に、一瞬早く新九郎が気付いた。

 咄嗟とっさに飛び込み、捨て身で受けた陣刀じんとうが、怨霊の大刀を跳ね返した。

 しかし不自然な体勢ではじいたために、怨霊が素早く繰り出した、次の横殴りの一撃を防ぐことが出来なかったのだ。

 全てがあっと言う間の出来事だった。


 わき腹が熱い。やられた。肋骨アバラを折られた。


 半身を起こそうとして、激痛に突っ伏した新九郎に、素早く近づいた怨霊大将が、その身体をひっ抱え、本尊ほんぞんを支えるはちすの台座の上へと跳んだ。

「新九郎! くそうっ!」

 叫んだ真咲が全力で後を追う。

 巻物台を足場に台座に飛び移る。

 しかし、怪異が朋友をさらった場所はさらに上だった。

「くそおおお! 間に合わねえ!」

 アモリナガサトが、投げ出した新九郎の身体に馬乗りになった。

 首をく体勢だ。

 今も凌介がいている、鐘の音が遠く聞こえてくるのに、全く、動じる気配がない。

ツノル恨ミ……未ダ晴レズ……長濱人ナガハマジンニ死ヲ……」

「くそ……しつこい……さっさと昇天してくれ……」

 眼がくらむような激痛に、新九郎はうめきながら毒づいた。


 幽霊のくせに重さがありやがる。

 なんで俺を……

 ああ、

 実際にいたのは出石だけど……老僧に……かね撞きじじいに、返事したのが俺だったからか。


 くと言っても殺される

 かないと言っても殺される

 こいつらが、っていたんだな

 寺に訪れた人たちすべてを


 怨霊大将が、血にまみれた脇差わきざしを、高々と掲げた。

 下方で、真咲が叫ぶ声がする。

 びた刃がうなりを上げて、首筋目掛けて振り下ろされる。


 だめだ。終わった……。


 新九郎は、痛みも衝撃も感じなかった。



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