明けゆく空に鐘を撞け!

 紫雲しうんが夜明けの空にたなびき、東の山嶺さんれいの頂上が、黄金色に輝き始めた。

 もうあと少しで、が昇る。

 凌介は猛スピードで境内けいだいを突っ切り、土塀どべいの切れ目から上へと続く丸木の階段に飛びつくと、一段飛ばしで駆けあがった。

 腕に、身体に、宙を飛んで来た人魂がきつく張り付く。

 しかし、かまっている暇はない。腕を強く振って払いのけ、ひたすら鐘楼しょうろうを目指して走る。


 バアン! 


 足元でちかけた丸木が飛び散った。

 野草の葉と土、朝露がぱっと宙に弾ける。

 木の上で怨霊化した別の弓兵きゅうへいが、ねじれた身体を枝にからみつかせながら、りずにこちらを狙っている。

 ここで射られてはたまらない。だけど突っ切るしかない。今を逃せば、次のかねをつく機会、すなわち日没まで怨霊たちと死闘することになる。いくら戦慣れしていても、とてもそこまでの体力はない。それは、三人の死を意味していた。

 飛んでくる矢を寸前でかわし、更に速度を上げて山上を目指す。

 上方に鐘楼しょうろうが見えてきた。崖の上に石垣を積まれて建てられたそれは、茜色あかねいろの空を背景に、未だ黒い影のまま、静かに時を待っている。

 楼上ろうじょうに続く石段に、多くの影が海藻うみものようにゆらめいた。一瞬ハッとしたが、襲ってくる気配もない。本堂で見たのと同じ、おそらく殺された里人の影だ。もう構わずに横をすり抜け、鐘楼しょうろうの横木を跳び越える。


モリカミカイニテ……ワレボンシュトモス……殺シ足リヌトオオセヨヤ……恨ミ晴レヌト仰セヨヤ……」


 ぞろり、と影が声をそろえた。

「阿守……アモリナガサト……」

 凌介には、全てが解っていた。里人の言葉の意味も、怨霊大将おんりょうたいしょうもり長郷ながさとの怨念の理由も、この寺でかつて起こった、残酷で哀しい事件も……。

 全てが、あの冊子に記されていたのだ。

 しかし凌介は激しく首を振った。


 滅びしは正、滅ぼししは邪。


 阿守長郷あもり ながさと怨念おんねんを肯定するなら、敗者の論理を認めることになる。

 それは、できない。戦世いくさよはただ勝ち残りしが正義の、矛盾の世界。里人さとびとに愛された名将であれ、このおきては絶対だ。


 感情は役に立たない。

 それなら俺は、ただ自分の信じた道を行くしかない。

 深山みやまみやまむぎり縁起えんぎ

 あれを見た自分の直感を信じ抜くしかない!


「すまない。だけど、俺にはこれしかできない!」

 悲痛のうめき声を振り切って、鐘楼しょうろうにかけ込む。

 目前には、青銅製せいどうせい大釣鐘おおつりがねが下げられていた。かねく為の撞木しゅもくも、朽ちてはいたが健在だ。

 天平てんぴょうの産らしく、撞座つきざの位置が高い。

 林に飛んでいた人魂が、おぞましいまでに寄り集まって、巨大な火の玉と化し、すさまじい速さで崖をいあがって来る。

 鐘楼しょうろうの横木を乗り越えて、ふくれ上がった怪異の波が凌介を飲み込もうと迫ったその刹那せつな

 ぴかっと東の山上が輝き、朝日がきらめきながら顔を出した。

 間髪かんはつを入れず、凌介は撞木しゅもくつなを握って、力いっぱい、びた名鐘めいしょうを打ち鳴らした!


 ドォーン!

 ドォーン!

 オンンンン……


 明けゆく空に、深く重々しい鐘の音が響き渡った。

 荘厳そうごんで美しい金属的な余韻よいんが、彼方の山々まで遠く、韻々いんいんと響き渡る。

 鐘楼しょうろうふくれ上がった人魂が、一度に星のような輝きを放ち、朝焼けの空に向かって次々と昇天して行く。

 りく桐寺とうじでも、変化が起こっていた。

 下方でとどろいていた尼たちの読経が、鐘の音が鳴るたびに、小さくしぼみ、消えていく。

 本堂の大屋根や、林の中にうごめいていた人魂も、ひとつ残らずきらめく光となって、朝日の中を、ゆっくりと、穏やかに、天に向かって登り始める。

 山々はバラ色に染まり、雲が五色に輝いていた。

 長濱ながはま盆地には遠くあさもやが立ち込め、近くの林には、サアッと、新しい朝の光が差し込んで来る。

「オオ……カネノ音ガ聞コエル……」

コンカネガ……鳴ッテイル……」

 鐘楼しょうろうにうずくまっていた里人さとびとたちの黒い影もまた、喜びの声を上げながら、美しい虹色の光となって、輝く天に昇って行った。


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