涙と血の池 本堂地獄

呪般ジュハン友柄トモガラオオクシテェ~……修持シュウジヲシテハアダヲナスゥ~……』


 講堂こうどうに行き着いた尼たちの大読経だいどきょうが、びんびんと空気を震わせ響いてくる。

 まるで盛夏せいかに鳴きさかるせみのように、すさまじい声で詠唱えいしょうが続く。


男女貴賎ナンドキセン化土ケドニユキィ~……呪音ジュオンカネカナァ~……』


 何十人、いや、あるいは、百を超えているのかもしれない。

 深々と顔を隠したあま頭巾ずきん墨染すみぞめの法衣。

 中には血まみれの姿もある。

 手燭てしょくの明かりがこうこうときらめき、りいん! と激しくりんが鳴る。

 それは怪しさを超えて、荘厳そうごんにさえ思える和讃わさんだった。

 尼たちの読経を振り切るように、三人は、渡り廊下を走り抜け、本堂へと飛び込んだ。

 本堂のきざはしを下りれば、境内けいだい

 更に境内けいだいを右手に進んだ突き当たりに、高台の鐘楼しょうろうへと続く丸木の階段。

 三人とも足袋たびはだしだったが、このまま構わず突っ走るつもりだった。



 本堂の床は、ただれていた。

 あれほど美しく磨かれ広やかだった床板の上に、これも怪異か、汚水があふれ、泥と草がぐちゃぐちゃのぬかるみを作っている。

 息を飲んだのは、その変貌へんぼうだけではなかった。

 本堂の床いっぱいに、倒れうめく黒い影があった。


 裸で放り出され、弱い声で泣く赤子。

 虚空こくうをつかむように突き出された腕。折れ曲がった指。

 ぐったりと横を向いた血みどろの顔に、ベタベタに絡まった長い髪の毛。


 眼前に広がっていたのは、怨念おんねん悲涙ひるい地獄池じごくいけだった。


「ここで虐殺ぎゃくさつが、あったのか」

 凌介が呆然ぼうぜんとつぶやく。

「ああ……俺、これは、だめだ……」

 新九郎がうめいた。

「ひでえ! 一体誰がこれをやりやがった! 長濱ながはまに居る、誰がここまでむごいことを……!」

 真咲が絶叫する。

 さすが幾多いくたの戦場を駆けめぐって来た長柄ながえ隊三隊長も、眼前のあまりの凄惨せいさんな光景に、ただ、立ち尽くすことしかできない。


 ひゅううう!


 そんな彼らをあざ笑うように、怪異の人魂がぐるぐると飛び交い始めた。

 ぱっぱっと燐光りんこうしょくの火花が散るたび、本尊ほんぞんが不気味に照らし出される。


「くそっ、追いついて来やがった!」

「ここで立ち止まっていてはダメだ、行こう!」

 気力を奮い立たせるように、強く叫んだ凌介が走りだそうとしたその一瞬!


 バアン!


 突然凄まじい炸裂音さくれつおんと共に、三人の足元の床がはじけた。

「うわっ!?」

「うおっ! なんだっ!」

「危ない、上から狙ってる!」

 凌介が真上を振り仰いだ。

 頭上に、大弓を引く地侍の怨霊がいた。

 腰から下が、反対側を向いている。

 そいつが不自然な形ではりに張り付き、通常の矢を幾本もたばねた太矢ふとやをつがえて、三人の頭を狙っている。

 またズバン! と一撃が来て、足元の床板が飛び散った。

「ははっ、当たるかよ。やっぱり怪異の考えることだぜ! たばねりゃ重くなるだけで、上手く狙いも付けられないよ!」

 新九郎があざ笑う。

「違う。射殺そうとしてるんじゃない。奴の狙いは……足止めだ」

 前方の大扉をにらみながら、凌介が押し殺した声を上げる。

 その言葉にこたえるかのように……

 不意に扉の真下の床が、黒く動いた。

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