闇夜を歩く無音の人影

 ほどなく……。

「ご寝所しんじょの用意が整いました」

 と、くだんの老僧が三人を呼びに来た。

 顔を合わせた瞬間、老僧が新九郎しんくろうあわれむようにちらっと見たので、彼はほんのちょっと傷ついたが……今度はかねけと迫られることもなく、三人そろって、僧坊そうぼうの一角の、清楚せいそな畳の小部屋に案内される。

 そこは、小窓のついた落ち着いた方丈ほうじょうで、狩野派かのうはのふすま絵が、簡素な中に美しい色どりを添えていた。

 来客用の布団が三組、すみにまとめてあったが、三人は構わず、徹夜覚悟で思い思いの場所に座をめる。

「さて、怪異かいい払いはどうするよ」

 腕まくりして、どっかと胡坐あぐらいた新九郎が、妙に明るく口火を切った。

「どうも出来ねえ 。出て来ねえ限りは」

 真咲まさき仏頂面ぶっちょうづらで応じる。

「出て来ても、払い方知らねーしな……」

「そのことさ」

 二人のやり取りを聞きながら、凌介は真剣にこの寺について考えていた。


 はじめは、誰かの差し金かも知れないと疑っていた。

 山賊、旧豪族にその残党。未だ長濱国ながはまこく守護しゅご土岐とき定照さだてる心服しんぷくしていない勢力は少なくない。

 怪異が広まり人の足が遠のけば、追われる者たちにとって、格好かっこうの隠れ家が出来るのだ。

 しかしこれが人為じんいとなると、真咲まさきの体験はつじつまが合わなくなる。

 そもそも怪異じみた演出をする必要がないのだ。

 それでは更に注目を浴びる。

 訪問者が邪魔でも、その間、息をひそめている方が、より賢明ではないだろうか。

 他にも、得心とくしんの行かないことがある。


 かき消すようにいなくなった本堂の人影。


「そう言えば門前で会った村人も、次見た時には消えていたよ。」

 新九郎が気味悪そうに振り返る。


 この寺は一体なんなのか。

 化け物寺か、一風いっぷう変わったただの山寺なのか……。


「突破口は怪異をどうするかじゃなく、なぜ怪異が出るかだ。理由が解れば手が打てるかも知れない。なにか思いつくことはあるかい?」

 思案をまとめ、凌介が顔を上げたその時だった。


 それまで小部屋を静かに照らしていた行燈あんどんの灯りが、ちらちらとまたたき……ふっと消えた。


 月が雲間から顔を出し、小窓の障子しょうじしにさあっと青白い光があふれ返った。

 ふと立ち上がり小窓を開けはなって外を凝視ぎょうしした凌介の横顔が、一瞬のうちに、厳しく張り詰める。


「あれは……なんだ……」


 同じく外をのぞいた真咲が、押し殺した声を上げる。


 本堂の回廊かいろうのともしびも、よいになり、すでに消えていた。

 その月明かりが青白く落ちる境内けいだいを、真っ黒い影がさわさわと静かに横切って行くのだ。

砂利じゃりの上なのに……足音がしない……」

 真咲の横で、新九郎がうめくように言った。

 人影はみな無言で思い思いの歩調ほちょうだが、その姿は一様に前屈まえかがみで、互いに言葉を交わすそぶりもなければ後を振り向きもしない。   

 それはいつかお城で見た、不思議な動く影絵かげえのようだった。

「夕方、本堂にいた人たちじゃないか」

 つぶやく凌介に、

「だめだ。もう頭がおかしくなりそうだ。なんなんだこの寺」

 新九郎が頭を抱える。

「そうだ。」

 ふと凌介はふところの冊子を思い出した。

 深山六みやまむぎり縁起えんぎ

 素早く引きだし、真咲に見張りを任せて小窓から飛び降りる。

 先程の異質な光景を頭から追い払うと、凌介は月明かりの中、集中して頁をめくり始めた。



 その後もしばらく、真咲は小窓に張り付いていた。

 あのひそやかな影たちは、もう消えている。

 月が山に入り、闇の中からふくろうの物悲しい声が聞こえてくる。

 

 どのくらい時が過ぎただろう。


 新九郎は疲れ果てたか、腕枕うでまくらをしたままいつしか静かな寝息を立てていた。

 真咲も窓辺でうつらうつらしている。

「……解ったぜ。そうか。そう言う事だったのか。」

 凌介が強張こわばった声でつぶやいたその時、突然、怪異が始まった。

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