天の助けの大ムカデ

 時は少し以前の、本堂に戻る。

 新九郎は老僧に詰め寄られ、たじろぎながらも必死で答えを引き伸ばしていた。

「ご遠慮なさいますな。どうか、どうか一度ご体験下さいませ」

「遠慮なんかしてませんって! あ、あなたたち坊さんや村の人が、あ、朝夕いてるんでしょ。」

「我らが手では、聞こえませんのでございます」

「いやいや、夕暮れのかね、ちゃんと聞こえてましたよ」

「そうではございませぬ。ともかく、外界げかいの方のお手でいていただきたいのでございます。」

「い、意味が解りませんって!」

「あなたは良いお顔立ちをなさっている。心根こころねのまっすぐなお方と見ました。かねもきっと良い音で鳴りましょう」

「う、嬉しいけど、顔と鐘は関係ないと思うよ!」

「この寺にお越しになったも何かのご縁と思って、どうぞ、天日和尚てんにちおしょう由来の名鐘めいしょうをあなた様の手で鳴らして下さいませ」

 熱く目を光らせ、すがりつかんばかりの老僧の迫力に、新九郎はただもう、恐怖を悟らせない明るい物言いと、引きつった笑顔でごまかし、返事をそらすのに精いっぱいだった。

 これが一騎打ちなら、気迫負けでとっくに首をかれている。

 まるで先日城に来た荷売り並みのしつこさだ。

 あの時は陣刀じんとうつかを叩いて追い返したが、僧侶、しかも老人相手に、そんな真似はしたくない。この老僧、鐘つきじじいの名を持つ化物にしては、売りこみ文句が妙に上手いが、うかつに返事をしたら、何がどうなってしまうのか……

 新九郎はパニック寸前だった。


 その時だ。


 人のぬくもりに誘われたのか、大粒のムカデが一匹、頭上のはりから落っこちて来た。

 ボタリ、と重たい音がして、黒光りする甲身こうしんが、新九郎のひざちかくを、のたうちまわりながら逃げていく。


 これぞ天の助け!


 思う間もなく新九郎は、突拍子とっぴょうしもない悲鳴を上げた!

 凌介たちが経蔵きょうぞうで聞いたのは、この時の彼の声だったのである。

「い、いかがなされました」

 老僧が仰天ぎょうてんして後の言葉を飲み込む。

 新九郎は返事の代わりに、ぱっと床から、すなわち老僧のはたから跳び退すさった。

「で、でっかい百足ムカデがそこに! お、俺苦手なんで! ぎゃあっ、こっちへ来るんじゃねぇっ! 助けてくれっ!」

 半泣きでさやごと床からつかみ上げた陣刀じんとうを振りまわす新九郎を見て、老僧は呆れたように立ちあがった。

「足が多すぎるのも無いのも大嫌いだ!」

 尚も叫ぶ新九郎に、あわれむような一瞥いちべつを投げて、最早無言で、老僧が本堂を去って行く。

 その姿が完全に渡り廊下を曲がって僧坊そうぼうの方に消えたのを確かめてから、新九郎は不意に悲鳴を止め、振りまわしていた陣刀じんとうをだらりと下げた。

「くっそ、あのさげすんだ視線……絶対弱虫って思われたなぁ。」

 悲しそうに言いながら、新九郎は威嚇いかくするようにい寄って来た大ムカデを、陣刀の先で、ぎゅっと押しつぶした。



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