鐘撞(かねつ)き爺と新九郎

 恐ろしい尼たちの襲来に、真咲が血相変えて逃げ出していたその頃……。

 本堂では、一足先に探索を終えた新九郎が、じんとうを脇に、神妙な面もちでぴかぴかの床に端坐たんざしていた。

 目の前では熱いお茶が湯気を立てている。

「御苦労さまでございます」

 と、少し前に老僧が運んできてくれたのだ。

 奥方の鏡台きょうだいは見つからなかったが、山奥の化物寺が思いもかけぬ立派な伽藍がらんを備え、何よりも……一抹いちまつの疑問はあったものの……普通の人々が立ち働いている様子に、新九郎はすっかり安心していた。

「おふた方は、まだお探しですか」

 二つ残っている茶の盆を脇に置いた老僧が、和やかに話しかけてきた。

「はい。でも俺はお先に休ませてもらいます」

 化物との戦闘を覚悟して、ぴりっぴりに張り詰めていた心が一度にゆるみ、新九郎はつい、くつろいでしまっていた。

「お客人は、当寺とうじのことをご存知で? なにやら驚かれているご様子ですなぁ。」

「いや、ここは廃寺はいじになったと聞いたので……あ、御免ごめん……」

「その通りでござります。残念なことに、ここは記録の上では、もうりませぬ」

 老僧の声はほがらかだった。

「廃寺と申しても、鷹田派たかだはの総本山から、登録を廃されたと言うだけでしてな。今いる坊主は私だけですが、こうして今も、檀家だんかの皆様方のご厚志こうしをいただき、成立なりたっております。」

 すべてはそういうことだったのか、と新九郎は安堵あんどの吐息をついた。

「当寺には長き歴史がございましてな。本堂の造りも長濱ながはまでは珍しい古都ことようですが、中でも梵鐘かねは、古くはとうから渡って来られた天日てんにち和尚おしょう寄進きしんとされる名鐘めいしょう長濱ながはま寺社じしゃ法度はっとに基づき、日の出と日没にきまする。明日の夜明けの鐘を、あなた様もいてみますかな?」

 うっ、と新九郎は返答に詰まった。

 まさかこんな形で鐘をくかどうかを問われるとは……。

 六桐寺りくとうじの本堂に居ると出てくる、鐘撞かねつじじい

 そう言えば今、俺は本堂にいて、目の前にいるのは年老いたじいさんだ。

 ヤバい、状況は合ってるぞ。

 この坊さんが化け物だとは思えないけど……だが、しかし、今この時に、この問いか?

 いやいや、落ち着け、俺!

 ここは化け物寺じゃないって言ってた。だから大丈夫だ……と思いかけて、そう断じているのが真咲だけだったと気づき、新九郎は震え上がった。


 真咲アイツの判断など、なんの救いにもなりゃしない!


 くと言っても殺される。

 かないと言っても殺される。


 新九郎の動揺に気付いてか、老僧がいきなり身を乗り出した。しわだらけのまぶたの奥の、つぶらな瞳が急に大きく見開かれ、強く底光そこびかりを発し始める。

いていただけますかな? では夜明け前にお起こしに参りましょう」

「あ……いや……」

 不安がますますふくれ上がってきたが、

「ぜひぜひ、ご体験なされませ」

 老僧の熱のこもったまろやかな声は、化物のすすめとは到底とうてい思えず……。

 ああ、出石、真咲、早く戻って来てくれよ。

 俺、どう返事したらいいんだよ……。

 追い詰められた心地ここちで新九郎は、そわそわと辺りを見回した。



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