なんとも奇怪 闇中の読経

 怪異がガセと解れば、後は容易なせ物探しだ。普段使わない寺物じぶつをしまう納戸なんどがあると言う三つの場所を、三人は手分けして探すことにした。

「なに、後は備中守おやじに丸投げすりゃいいんだけどよ。せっかく来たんだ、少し点数かせいどこうや」

 とは、化け物はいないと判断し、みるみる元気を取り戻した真咲のげんだ。

 そこで凌介は書庫も兼ねた経蔵きょうぞう、真咲は講堂こうどう、新九郎は本堂の納戸を、それぞれ分かれて調べることにした。



「何も……異常はねえみたいだな」

 講堂に来た真咲はそろそろと手燭てしょくかざして、室内をのぞきこんだ。

 ここは名の通り、高位の僧が経典を講義したり、説法を行う室で、僧侶が集団で学ぶ文域ぶんいきだ。

 本堂と同じくみがかれた床板に、古風な寄せ木作りの太柱。文机ふづくえが壁に寄せられている。正面には菩薩像ぼさつぞう安置あんちされ、柱には燭台しょくだいがかかっていたが、他に人気ひとけはなく、ともしびも消されていた。

 講堂の納戸なんどは北東のすみにあった。きしむ扉を力に任せて引き開けると、中からむっとカビと古い時代のにおいがあふれ出てくる。

「うへ……」

 真咲は顔をしかめながら手燭てしょくの灯を頼りに中に入る。いずれも由緒ゆいしょのありそうな、珍しい法具ほうぐが並んでいたが、真咲には興味がない。一応真面目まじめに探してみたが、鏡台きょうだいらしきものは見当たらない。

「ったく、うわさに踊らされるなんざ、俺らしくもねえ。オヤジ、義務は果たしたぜ。後はあいつら誘って寝に行くか。酒は……ねえよな。」

 答えるように、ミシッ、とはりがきしむ音がして、ビクッ、と真咲は上を見やった。もとより何の姿もない。

「へっ、怪異なんざ、ふたを開けりゃこんなもんよ。化け物話なんか今時いまどき流行はやらねえ。ハハハハ!」

 わざと大声で笑ってみたが、納戸の闇は、しんとその声を飲み込んで沈黙している。

 道々新九郎をあざ笑って来たが、本当は真咲も摩訶不思議まかふしぎたぐいは大の苦手だった。

 しかし勇猛で鳴る二番隊長、悲鳴を上げて逃げ帰る醜態しゅうたいだけは絶対にさらせない。本当は何度も回れ右をしたかったのだが、無理やり恐怖を笑い飛ばして……その挙句あげく、今ここで一人で探しものをしている。

「……いるなら出て来てみやがれってんだ。」

 誰にともなく捨て台詞ゼリフを吐いて、納戸から出た、その時だった。


 始めは、竹藪たけやぶを渡る風の音かと思った。


 それとも、奥山に獣が吠える声か?


 いや……違う。


 いぶかし気に、講堂の小窓から山の方をのぞく。

 目の前には柴垣しばがきわれ、その向こうはきちんと下刈したがりされたたけやぶだった。手燭てしょくを差し向けた方向にだけ、細竹がおぼろに浮かび上がるが、その向こうは真っ暗な闇が広がっている。


 その闇の向こうから、かすかに何かが聞こえてくる。


 音?

 違う。声だ。


 それも人の声、女の声だ。


 夜風が吹き抜け、ざわざわとなぶられるやぶの彼方から、高く低く、抑揚よくようをつけながら、途絶とだえることなく響く歌声がある。

 それは徐々に大きく明朗になり、やがてやぶの彼方にちらちらと、かぼそい灯りが見え始めた。

 一つではない。

 たくさんの灯りと人影が、藪の中を、どうやら真咲のいるこの講堂に向かって、ゆらゆらと進んで来るようなのだ。


 あれは……。

 あれはなんだ……?


 真咲の全身がぞっと総毛立そうけだったのはその時だった!

 今ではもうはっきりと解る、物悲しく、呪うような詠唱えいしょうの声。

 竹藪の向こうにだんだんと見えてきたそれは、大勢の尼たちが薄気味悪い声をそろえて読経どきょうしている姿だった。

「なっ……!?」

 何人、いや、何十人いるのか。真っ白な衣に身を包み、ぼんやりと光る灯篭とうろうを下げた比丘尼びくにたちが、読経どきょうしながら、真咲のいるこの講堂にどんどん近づいて来るのだ。

「こりゃ、ヤベえ……!」

 直感的に身の危険を感じ、真咲は小窓から飛び離れると講堂を飛び出した。

 背後の詠唱えいしょうが、急速に薄れて行き、やがて消えたが、それに構うヒマもなく、武人の代表も真っ青になって、消えた燭台しょくだいを握りしめたまま、渡り廊下を脱兎だっとの勢いで突っ走る。


「で……出た……出やがった……!」

 ようやく明るい僧坊そうぼうに走りこんだ時、初めて彼の全身が、おこりのように震え始めた。

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