清楚な本堂と老僧と

 歩き出した凌介の姿に、真咲と新九郎も口論を止めて、渋々その後に続いた。

 ほこりのついた草履ぞうりを脱ぎ、足袋たびはだしとなってちり一つないきざはしを上がる。

「こいつぁすげえ。ただの山寺とは思えねぇ」

 真咲がうなった。

 本堂に入った三人が一番に見たものは、き清められたなめらかな床板だった。中はかなり広々としており、正面には巨大なはちすの台座の上に、外からも見えた銅製の大きな弥陀如来みだにょらい像がえられている。

 見上げれば、天井は遥か上だった。高い場所に縦横にぬきが走り、ふとやかな柱同士をつないでいる。

 長く吊り下げられた灯明とうみょうが、そこここでおごそかにまたたいていた。

 小窓の外はもうとっぷりと暮れて、本堂の中も明かりの届かない四隅よつすみは、音さえも飲み込むような真の暗闇だった。

「誰も、いない……」

 新九郎がつぶやいた。

「なに、入れ違いで帰ったのさ」

 真咲の低い声は自分に言い聞かせているようだった。

 あの時確かに見えていた人影が、今はぬぐい去られたかのように消えている。

 立ち尽くす三人の影だけが、もの言わぬ仏像と対峙たいじしながら、高く低く揺れているだけだ。

 ひやり、と冷気が身体を抱きすくめてくる。

「おかしい。俺たち、誰ともすれ違ってない。なのになぜみんないなくなってるんだ」

 新九郎が周囲を気味悪げに見回した。

「ハッ! 悪い面ばかり見やがって! 見てみろこの床、化け物が掃除したのか!? あの花鉢、幽霊がけたってのかい、ええっ!?」

 真咲が必死であざ笑う。

 確かに、本堂は美しくき清められ、本尊ほんぞんの前にも、花鉢にも、あふれんばかりの季節の花がけられている。

 それは、怪異かいいではなく、きちんと人の手が入っているなによりの証と思えた。

「だけどよ……!」

 新九郎が更に言いかけたその時だった。

「どなたかな」

 一人の老僧が忽然こつぜんと、しょくだいを片手に現れた。

 新九郎が飛び上がり、びくッと真咲が反応し、ハッとしたようにお互いを見て、何もなかったかのようにそっぽを向いた。

 ずっと無言で本堂の中を見回していた凌介が、この時、サッと前に出た。

六桐寺りくとうじのご住職じゅうしょくでいらっしゃいますか。我らは、長濱ながはま長柄ながえ足軽隊の者です。上役うわやくの命により、土岐とき御台みだい様お形見のきり三面鏡さんめんきょうを探しに参りました。これについて、なにかお話をお聞かせ願えませんでしょうか。」

「桐の、三面鏡。御台みだい御形見おんかたみの……」

 凌介の落ち着いた声に、老僧は板張りの床を滑るように近づいてくると、燭台しょくだいで三人の顔を照らすようにした。

「それはそれは。……あいにく拙僧せっそうはお役に立てそうにありませぬ。おおやけには、何も伝えられてはおりませぬでな。されど万一、と言う事がございます。どうぞご随意ずいいにお探しなされ」

「よろしいですか」

「お納戸なんど物入ものいれを持つのは、僧坊そうぼうすみにござる経蔵きょうぞう、こちらの裏手にある講堂こうどう、それにこの金堂こんどう(本堂)でござります。ご使者方には、今宵こよいは当寺にお泊りになられまするかな」

「ご迷惑でなければ」

「承りました。ではあちらに部屋をしつらえましょう」

 一礼した老僧が、僧坊そうぼうの方へと戻って行く。

「なんでい。やっぱりここは普通の寺か。じゃあ凌介、新九郎、探すもの探してさっさと帰るか」

 真咲が、ぐったりと疲れた声音で言った。

「異存なし! はは、やっと意見が一致したぜ。」

 その言葉に、初めて新九郎が嬉しそうな笑みを見せた。

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