日暮れの山道、鐘の音

舟原ふなばらにはお化けなんていなかった。だから長濱ながはまにもいない。多分いない。」

 先程から、新九郎が自分に言い聞かせるようにぶつぶつつぶやいている。

「じじいだか何だか知らねーが、出て来てみやがれ、叩きのめす!」

 真咲まさきがこぶしを突き上げ、気炎きえんを上げる。

 凌介りょうすけは構わず、すたすたと先頭を歩いていく。

 三人は、日暮れの山道を、一路いちろ問題の六桐寺りくとうじに向かって登っていた。

 鐘をくのは、通常、日没時と日の出の二回だ。日暮れた後に寺に入れば、万一変なジジイに襲われても、明け方まで時間を稼げるだろう。それが新九郎と真咲が熱く主張した防衛策だった。

「お化け……ねぇ」

 目的地が近付くにつれ、後ろで声高こわだかに対抗策をこうじ合っていた真咲と新九郎が、急に口数を落として静かになる。

 二人の変化に、凌介は内心苦笑した。

 凌介は怪異におびえることがない。

 おおよそ、この現世げんせに存在するものすべてには、存在するべき理由があるのだと思う。それが自分たちのような人間なのか、生身の体を持たない別の世界の住人なのか、その違いだけのことだ。幽霊、と聞くと確かに心地ここちは悪いが、それよりも、何故、幽霊が出るのか……その理由わけの方が重要な気がしてならない。

 謎の死をげた御台みだい様の鏡台きょうだいに、死に導くと言う鐘撞かねつき番の老爺ろうや

 廃寺はいじになった山中の寺。

 お化け話の舞台は整っている。

 これだけのことで長濱ながはまの殿の威信いしんが落ちるとも思えないが、怪異のせいで誰も寄り付かない場所が出来てしまう。

 長濱本城ながはまほんじょうからわずか八里はちりの山の中に。


「誰かが、裏で糸を引いてるかも知れないな」


 長濱ながはま武人として、凌介はそれを見極みきわめるつもりだった。



 長濱本城の喉元のどもとを守る天槻あまつき城が、彼方の平野に、夕暮れの残照ざんしょうびて輝きながら屹立きつりつしている。

 そのさまを遠く見下ろしながら、刻刻こくこくと影を伸ばしてくる山中の細道を、三人は着実に登って行った。

 寺に続くとされる六桐寺りくとうじまでの参道さんどうは、廃寺となった後も未だくっきりと踏み分けられていた。

 里人さとびと厚意こういか、雑草も綺麗に刈られている。

 日暮れの杉木立を抜ける。

 陽の光のほとんどがさえぎられ、真っ黒な太いみきが、重なり合いながら林の奥まで連なっている。

 白く光る参道さんどうは、その中を心細そうに通り抜けている。

 三人がそこに踏み込んだ時、こずえの向こうの夕暮れの空から、陰惨いんさんかねが遠くかすかに聞こえてきた。

「かっ、鐘! 鐘が鳴ってる!」

 新九郎が仰天ぎょうてんした声を上げて、反射的に飛び退すさった。

「ばっ、馬鹿野郎! あ、ありゃあ、どこか他の寺の鐘に、き、決まってるじゃねぇか!」

 怒鳴りつけた真咲の声も、かなり上ずっている。

「行こうぜ。どこの寺なのか見届けよう」 

 凌介は後方の二人に声をかけると、足を速めた。


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