Time is life3

 階段を登って左側、「生徒会室」と書かれた古ぼけたドアをちょっとためらいながら開けた俺は一歩踏み出し部屋の中を見渡した。大きさは普通の教室の半分程度で正面にはベランダ付きのガラス戸、左右には壁に沿ってダンボールやら書類やらが積み上げられた棚があり、真ん中にはさながら会議室のように長机と椅子が並べられていた。その長机の一番奥に男子生徒が座っていて、俺が部屋に入ると顔を上げ

「おー、来たか来たか」

 と言った。俺はこいつを知っている。

「何だ高竹か。なんでこんなところにいるんだ?悪いことでもしたか?」

「お前忘れてないだろ。これでも俺も生徒会役員だぞ」

 この生徒会室で一人悠々と座っているのは俺の友人、高竹だ。部活が一緒の縁で知り合った。生徒会で仕事をしながら部活動に毎日参加し(文化部だが)、週三日のバイトまでこなしているというハイパー人間だ。見た目はタヌキとゴリラを足して二で割ったようなガッチリとした見た目であるが、それとは裏腹に性格は温厚である。

「もっと仰々しい人が出てくるのかと思ったんだが。ほら、生徒会長とか」

「あいにく周辺公立高校合同の会議で2,3年の生徒会員は外出中でな」

「なるほど、それでお前一人なのか」

生徒会室は壁にヒビは入っていて、ガラス戸は汚れて曇っているし、なんだか空気も埃っぽく、お世辞にもきれいとは言い難かった。そして棚と中央に置かれている長机のせいで本来の大きさよりもかなり小さく見える。今はこいつしかいないからいいが、生徒会全員が入ったら身動きも取れないのではないだろうか。

「じゃあ俺を呼んだのはお前か」

「そうさ。あ、夕霧さん、どうもありがとう。わざわざ申し訳ない」

 と、高竹は俺の後ろに向かって声をかけた。なるほどメロンパン少女は夕霧というのか。高竹は女子を名字でしか呼ばないから夕霧ってのも名字なんだろう。それにしても珍しい名字だ。どこかで耳にした記憶もあるが思い出せない。

高竹に労をねぎらわれた夕霧(同学年なんだから敬意はいらないだろう)は、

「あ、うん。全然大丈夫」

 とだけ答えた。

 そういえば、お前とはLINEも交換してるし、わざわざこの子をパシらせなくてもよかったんじゃないか。メッセージひとつで済むことじゃないか。

「どうせ俺がラインしたところで来ないだろう?なんせ俺が知っている中でこの高校1番のめんどくさがりだからな」

「めんどくさがっているわけじゃない、合理的で効率性な行動を心がけてるだけだ」

確かに昼休みに生徒会室へ来いなどとメッセージが来ても素直に従うとは我ながら思わないが。

「だろ?だから直接お出迎えに行っていただいた方がお前が言うところの”効率がいい”と思ったんだ。……それに、お前を確実におびき寄せられると思ってな」

「は?」

 一瞬だけ顔をにやりとさせた高竹はもう一度、俺の後ろに立っている夕霧を見やった。つられて俺も振り返る。キョトンとした水晶玉のような夕霧の瞳が見つめ返してくる。

「ごほん、まあいい。で、俺になんか用でもあるのか。これで昼飯一緒に食べようとか言うなよ。あいにくもう食べ終わっちまった」

「そんなくだらないことのために呼んだんじゃない。とりあえず座れよ、俺はまだ昼飯食ってないんだ」

 そうか、じゃあゆっくりさせてもらうとしよう。俺は入り口に一番近い椅子に座り込んだ。夕霧は俺と長机を挟んだ向かいにゆったりとした動作で腰を下ろした。

「私もお弁当食べさせてもらっていいかな?邪魔にならなければ…」

「もちろんいいよ。と言うか今日は夕霧さんがいないと話にならないし」

 という二人の生徒会役員の会話を横から眺めてふと思った。

「なあ、君たち以外に1年の生徒会役員はいないのか?上級生はどこかに行ってるという話だが、もっとたくさんいてもおかしくはないと思うんだが」

「今の生徒会は3年生4人と2年生2人と俺たちしかいない。2年以上はその全員が役職持ちの幹部だ。だから残ってるのが俺ら2人ってわけだ」

 高竹がコンビニ弁当(冷やし中華)の封を開けながら答えた。

「それじゃあ生徒会役員てのは4,2,2で8人しかいないことになるが」

「そうだ。8人しかいない。つい先日まで2年と1年はもう1人いたんだがやめた」

 といって高竹はズズズーと麺をすすった。

「元は6人ぐらいいたんですけど、仕事が辛くってみんなやめちゃって。今は私達だけだと生徒会の全部の仕事を扱うのは難しいから何割か先生方にやってもらってるの」

 夕霧が答えた。手元にはおかずたくさんの弁当がある。ふうん、生徒会ってそんなにきつかったのか。

「入学したての頃はすっごいきつかった!倒れそうになるぐらい…」

「ハードもハード、学校全体のあらゆることを執り行ってたんだからな。委員会に予算に行事に部活動管理とか。最近は予算が関わる仕事は全部教師が担当しているらしい。それのお陰で俺らも負担が若干だが減った」

 だからそんなのんきに冷やし中華なんぞ食べていられるわけだ。んで、そんな生徒会さんが俺になんの用ですかね?

「ああ、そうだ。生徒会からお前にいくつか話があってな。まあ話してやる」

高竹は一旦話に区切りを置いて、ペットボトルに入ったお茶を飲んだ後こう切り出した。

「お前、2週間後に何の行事があるか知ってるか?」

「行事って学校行事のことか?」

そうだなぁ…。

「文化祭じゃないか。もうすぐだろ、あれ」

この学校の文化祭は確か10月ごろで、受験生を含め夏休みから徐々に準備を始めている。我が一年六組も喫茶店だかをオープンさせるらしいが興味が無いので全く関わっていない。

「文化祭はもっと先だ。10月の最終土日。それまでにもう一つあるだろ行事が」

もうひとつ?特にないと思うんだがな。秋分の日とか?

「違う違う。それは学校行事ですらねーぞ。いいか、あと2週間後にはマラソン大会があるってことをお前は忘れたわけじゃねーだろうな?」

高竹は冷やし中華のきゅうりをシャリシャリ食べる。

「マラソン大会ね。すっかり忘れてた。そうか、もうすぐなんだな」

 うちの学校には『精神力を鍛える』という謎の目的から、毎年の秋に全校生徒が県外にあるどデカい湖まで電車で出向いて湖沿いを30km走って帰るという、地獄のようなマラソン大会がある。ただでさえ低い入試倍率をもっと下げる悪しき習慣だというのが全生徒の共通認識だが四十年前から続く伝統ある行事だそうで「我々はこの伝統を後世にまで受け継いでいく義務がある(体育主任談)」らしい。

「なーに他人事みたいに言ってんだ。そんなこと言ったら全校生徒から罵声を浴びるぞ」

「実際に俺には関係ないし」

「それは知ってるさ。だから――」

「関係ないって?走らないの?」

夕霧が割り込んできた。彼女の目の前には色鮮やかで美味しそうな二段弁当が置いてあり、それがより一層優等生っぷりを引き立てていた。

「ああ、走らない。おそらく見学で会場には行かされると思うけどな」

夕霧は目線を俺の顔からちょっと右下に移す。

「理由はやっぱりその腕?」

「そうとも」

そういって俺は左腕を上げた。手首の下から肘にかけて白いコルセットに巻かれている。そしてその下にある俺の骨にはヒビが入っているのだ。別に自慢したいわけでもないので人に積極的に言うわけでもないが、制服が黒いのに対してコルセットが真っ白なのでどうしても目立ってしまう。

「夏休みの終わりにちょっと色々あってポッキリやっちまった。完全に折れたわけじゃないんだけども、固定してないとダメらしい。この間までは首から三角巾使ってぶら下げてたんだが、やっとコルセット巻くだけで良くなった。手首から先は、ほら、普通に動かせるぜ」

俺はそうやって腕をちょっと動かしてみせる。骨折して数日は痛くてどうしようもなかったが、最近は普通に過ごすくらいであれば痛みはないし、軽いものであれば物も持てるようになった。思った以上に左腕ってのは使わないもので、生来右利きだったことも幸いし、完治まであと2週間ほどかかるがすでに骨折前と同じような生活を送れている。ちょっと動かしづらいのは難点だが。

「その様子だともうランニングぐらいできるんじゃないか?ほら、先週遅刻しそうな時走ってただろ」

高竹は俺の左腕に疑うような目を向けつつそう言った。なかなか鋭い指摘をしてきやがる。確かにもう腕はある程度自由に動かせるのだし、走るくらいなら骨折がハンデになることはほとんどない。ほとんどない……が

「いや、完治はしていないだけだ。遅刻しそうだったのは…その…それはそれであって、体育の授業は休まないとだめだと医者から言われている」

我ながら支離滅裂である。

「じゃあちょっと走ったりできるけど体育の授業はサボってるってこと?」

夕霧が言う。鋭い。俺がオブラートに包んでいたことを直球で聞いてくる。

「だから走らないように医者からいわれていて――」

「そんなことはどうでもいいんだ。俺はお前がサボってようとサボってなかろうと別にいい。体育教師にチクったりはしないから安心してくれ」

ちょっと狼狽えていた俺と夕霧の会話を高竹が遮る。そうしてくれると助かる。俺はこの学校の体育教師が苦手なんだ。

「それでだな、俺が聞きたいのはお前はマラソン大会を見学するのかって話だ」

それはさっき言っただろう、見学する。

「よし、じゃあ決まりだ」

何がだ?

「さっき夕霧さんが生徒会役員だけは走らなくていいって言っただろ?」

言ってたな。

「それはなぜかと言うと、マラソン大会の運営をするからなんだよ」

運営?って言うとあれか?スタートのピストル打ったり給水地点で水を渡すとかか?

「あと、タイム測ったり開会式の進行とかもやったりするよ」

「だけどなー、いまどうしても人手が足りないんだよなー」

わざとらしい声で高竹はつぶやいた。

「そうか」

なんとなくこいつの言いたいことが察知できた。

「さっき言った通り1年生がまた一人辞めちまったんでどうしても俺たちじゃ仕事を賄えないんだ。で、お前のことを思い出したわけ。俺の知り合いで暇な奴ってのはお前しかいない。マラソン大会だけでいいから助っ人として手伝ってくれ」

やだよ。生徒会はきついって話はいろんなところで聞くし。お前らも数分前言ってただろ。

「いや、そんなことはない。楽しいぞ、すごい楽しい。うん、生徒会は楽しい。ね、夕霧さん?」

「えっ…うん、楽しい…かな?」

そのひきつった顔からはどう見ても楽しいという感情が浮かんでこないんだが。

「それは置いておいて、頼むからな、手伝ってくれよ。当日だけだ」

何が置いておいてだ。

 まさかこんな用で呼び出されるとは思わなかった。つまり、生徒会は今人手が足りず、ちょうどいい感じに知り合いの俺が当日暇そうだったから労働力として招集したと言うわけだ。こいつらは俺が首を縦に振るまであきらめないようなオーラ出していやがる。そうか、だから夕霧は何も教えてもらってなかったのか。廊下であった時点でこんな話を聞いていれば俺はホイホイついてくるなんてことはしなかった。かわいい子で俺をつって、生徒会室に閉じ込め無理やり生徒会に参加させようという高竹の策だ。なんと姑息な。

「めんどくさいし、他の人を当たってくれ。いくら人手不足だとしても俺に関わらないでくれ、高竹。夏休みにもいったろ?」

高竹は良いやつなんだが知り合ってから厄介ごとを俺に持ちこむ仲でもある。夕霧もいるのでいちいち列挙する気はないが、入学時から幾度となく用事を振ってきては、俺はそれに振り回されてきた。今回もどうせ面倒なことになるに違いない。だから俺は断る。

「今回はマジで楽だから頼むよ。まだ仕事は決まってないけど、タイム記録とか簡単なやつを1,2時間やるだけだからさ」

高竹は顔の目の前で両手を合わせた。その顔は本当に困っているようでもあり、良いヤツにここまでお願いされるとちょっとかわいそうな気がしてこなくもない。

「確かに人が足りないし、阿武隈君が手伝ってくれたら私も嬉しいな。やってくれませんか?」

空気を読んだのか夕霧まで両手を胸の前で合わせお願いしてきた。まつ毛の長い目が俺を見つめる。うっ、まぶしい。

いやしかしだ、こっちにだって選択の自由はあるし、可愛い子にお願いされただけであっさりと承諾する俺ではない――が、

「まあ、その、ちょっとだけなら良いけど。当日はどうせ俺も見学で暇だろうし、簡単な作業ぐらいなら」

なんとあっさりと承諾してしまった。悲しいかな、女子からのお願い事に耐久がない俺は堀がない大阪城のごとく、いとも簡単に陥落してしまったのであった。

「おっ、そうか。助かるぜ」

そういった高竹はニヤッと笑った。

 

 というわけで俺はマラソン大会の当日は生徒会役員に混ざって何やら現地作業を手伝わされることになってしまった。まあ当日はどうせやることもないし、そのくらいは手伝ってやっても良いかもしれない。それからあっという間にマラソン大会の話は終わり、それ以外俺への用事もないので、俺たちは、生徒会室にエアコンが無いのはなぜなのかとか、生物部がベランダで飼っていた金魚がカラスに食われたとか、そんないわゆる他愛もない話をして昼休みを潰した。

 予備鈴が鳴り、俺たちは生徒会室を出てクラスへと歩きはじめる。

「じゃあマラソン大会の日はよろしくね」

「当日の仕事は決まったら連絡する。左腕を使わない仕事を割り振ってやるよ」

 と、2人と手短に言葉を交わし、俺は生徒会室を後にした。あと2週間は彼らと関わることもないだろう。

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