Time is life 2
ガラガラ、と教室のドアを開けるとドアの近くにたむろしていた男子4人のうちの1人が
「よう、陸、おはよう」
と、声をかけてきた。俺は「よう」とだけ返事をする。
「寝坊かい?」
壁に掛かっている時計は8時35分を指していた。
「そんなとこ。ホームルームは終わったのか」
「ついさっき終わった。今日もあのおじさん来なかったからこの時間であればごまかせるよ」
そうか、そりゃ助かった。とつぶやきつつ教室の後ろにある席を目指す。今話しかけてきたのは友人というほどでもなく9月になって隣の席になったただのクラスメイトの水泳部員である。運動部特有の人懐っこい性格故に頻繁に話しかけてくるから会話をする仲になった。どうやらクラスに友だちの居ない俺を気にかけてくれているようだった。夏休み中ずっと水泳部の練習に明け暮れていたとかなんとかで真っ黒に日焼けした肌に白い歯が目立つ好青年で、彼の噂話やらなんやらは友だちの少ない俺にとって貴重な情報源になっている。
今彼が言ったおじさんとはクラス担任のことで、めんどくさいのか生徒に信頼を置いているのかは知らないが朝のホームルームに顔を出さないことが多い。だから朝のうちに、クラス委員が取った出席簿を書き換えてしまえば遅刻を隠蔽することができるのだ。これも彼によって1週間前ぐらいにもたらされた情報だった。
「ギリギリまで寝るのは確かに効率的だけど、僅かに寝過ごしただけで遅刻になるのであればもうちょっと早く来て教室で寝た方がいいんじゃない?」
という彼からの善意100%のアドバイスを聞き流しつつ、教壇に無造作においてある出席簿をめくり自分の名前の欄に丸をつけてから、教壇から見て右奥端のやけに日当たりが良い席に戻る。割とクラスの中で特等席と捉えられているその席は俺が1ヶ月前にくじ引きで引いたのであった。左と後ろに誰もいないので、隣の水泳部員以外とは誰とも関わらず、一日の多くの時間を一人で過ごせるのでちょっと気に入っている。
俺は孤独が好きだ。世の中には誰からも相手にされず自然に孤立してしまうタイプと自分から孤独を求めるタイプがいるが、自分は後者だと認識している。一人でいれば誰にも迷惑をかけることはないし、面倒ごとに巻き込まれることもない。しかも色々な場面で自分のペースで生きていくことができる。だから俺は一人でいるのが好きだ。
一限が始まるまで、俺は窓から見えるテニスコートをボーッと眺めていた。さっきの駅の出来事がずっと頭に引っかかっている。早歩きなら始業までに間に合ったはずなのだが、なぜかそんな気力は起きず、のろのろとコアラが歩くかのように2km弱の通学路を通り、今に至る。考え直してみてもアレは現実とは思えなかった。やはり夢だったのだろうか。それとも幻覚か?そしたら俺は相当疲れているんだな。最近寝付きが悪いせいだろうか。
そんなことを考えているうちに一限の英語の教師が入ってきた。今日もつまらない一日がスタートする。
数時間後。
四限の終了を告げるチャイムが鳴った。夢の中へと潜り込んでいた俺は日直がかける号令に合わせて半ば反射的にお辞儀をするとドカーンと椅子に座り込む。うーんと、さっきの数学の授業は何をしていたんだっけな。ダメだ。何も思い出せん。ノートも意識の端では取っていたはずなのだが、古代エジプト語と象形文字を足して2で割ったような記号しか羅列されていなかった。解読するより教科書を熟読した方が早く理解できそうだ。
面倒になってノートと教科書を鞄にしまうのと同時に中からコンビニの袋を取り出す。今朝コンビニで買ってきたサンドイッチと新発売の菓子パン、微炭酸ジュースだ。まずはサンドイッチの袋を開封し右手で口に運びつつスマートフォンを机に置く。中学の友人からメッセージが来ていたので返信。ニュースアプリを開きスマホやPC関連のニュースを閲覧。うん、これが学校唯一の至極の時間。誰にも邪魔されず一人で黙々と好きなことに打ち込める。まあ、やっていることは家にいる時と変わらないので場所が学校である必要はないのだが。
このときの俺は寝起きと言うこともあり、朝の出来事を忘れつつあった。忘れるというよりは考えても何も答えが出ないので記憶の片隅に放り出したと言った方が正しいか。
ちょうどサンドイッチを完食した時、誰かが俺の机に近づいてくるのを視線の端に捉えた。
「おーい、陸。えーっとなんていうか、お客さんが来てるよ。お客さん」
隣の席の水泳部員だった。客?俺にか?
「なんか用事があるって。ああ、ごめん、部活仲間との約束があるからじゃあね。お客さんは廊下で待ってるからすぐに行ってあげな」
と言いつつ水泳野郎は弁当箱と思わしきものを抱えながら何処かへ行ってしまった。全くなんだ。俺の天使のひとときを邪魔しやがって。罰としてさっきの数学の授業のノートを見せてもらおう。見たところで理解できるとは思えんが。
そんなことはいいとして客とはなんだろうか。クラス外に俺の知り合いはほとんどいないしそもそも数少ない知り合いたちにはメッセージアプリのアカウントを教えてあるからそっちに連絡してくるだろう。じゃあ面識のない人物か。全くもって面倒だ。俺は微炭酸ジュースをちょっと飲むと菓子パンの袋を持って立ち上がった。菓子パンの袋を持っているのは「まだ昼飯中なんで早めに話を終わらせてくれませんかね」アピールをするためである。
ええっと、水泳坊主が言うところの客は廊下で待っているらしいが――
「あ、あのー、阿武隈 陸さんですか?」
と、廊下に出てキョロキョロしていると、左からおずおずといった調子で声をかけられる。
「え、ああ、そうですけど」
と言って俺は左を向き声の持ち主と顔を合わせ――
「あっ!」
と声を上げた。
なぜならばそこに立っていたのは何を隠そう朝のあの少女だったからである。長いまつげにくりっとした丸い目。髪の毛はふわっとした感じで、肩にかかる程度の茶髪(ミディアムって言うんだっけ?)。身長は俺より結構低い。大体150cm強程度だろうか。俺の記憶と全く同じ少女がそこにはいた。
どうやら彼女も俺を見てびっくりしたようで、朝と同じような目を見開いた顔を俺に向けて出来の良い蝋人形のように静止していた。彼女より先に驚愕から回復した俺は
「君…朝の、えっと、駅にいたよね?」
と聞いてみた。彼女は周りに人がいないことをキョロキョロして確認した後、
「誰にも言ってませんか?」
と小さな声で言った。目を伏せて、縮こまったような声だった。もちろん言っていない。というかあんなことどうやって人に説明すればいいんだ。人がいない駅に迷い込んだんで遅刻しましたなんて小学生でも信じてはくれないだろう。遅刻の言い訳としては最低の部類に入る。
「じゃあ忘れてください。お願いだから誰にも言わないで」
彼女はまた念を押すように上目遣いでそう言った。よくわからないが何だか深刻そうだったので俺は頷く。彼女の様子を見るに何か事情を知ってそうだから、本当はアレは夢ではなかったのかとかいろいろ聞きたいことはあったが、じっと俯いて縮こまってる彼女を見ると何だかこれ以上言葉は出てこなかった。
彼女はそのまま居心地が悪そうに下を見ていた。もしかして俺警戒されてる?とりあえず口を開く。
「わかりました。朝のことは、忘れます。誰にも言いません。今この瞬間で終わり、それでいいでしょう?」
「…いいです。ありがとうございます」
彼女は少し安堵したようでちょこんと頭を下げた。
それから数秒間の沈黙が続き、2人の間に何か微妙な空気が流れ始めた頃、俺はここに突っ立っている本来の理由を思い出した。
「そういえば、俺に何か用ですか」
彼女はそれを聞くとまたおずおずとこちらを上目遣いで見ながら口を開いた。
「えっと、私生徒会役員ですけどあなたにちょっと用があるんです」
と彼女が言った。
「生徒会ですか?俺に?」
「はい……。私呼んできてって頼まれて。だからここに来たんです」
そしたら偶然にも朝に遭遇した男だったと。変な巡り合わせもあるもんだ。
「それで、生徒会室まできていただけますか?」
「ん?今?」
「ええ、今です。その、忙しいことはわかってるんですけど…」
「忙しくはないけど。放課後じゃだめですかね?ていうか内容はなんですか」
書類か何かに不備があったとか、事務的な問題でも発生したのだろうか。しかし、入学してからこの半年間、生徒会という組織と関わったことはなかったはずだ。そもそも何をやっているのかすらいまいち分かっていない。そんな人間を呼び出しとは、全く心当たりがない。
「生徒会としては昼休みに来てほしいらしいです。何の用かは私もよくわからないんです。その、連れてきてとしか言われてないから」
「はあ、そうですか」
少し俺は考え込んでみた。朝変な駅に迷い込んだと思ったらそのときに出会った少女が昼に再登場して生徒会室に来いと言っている。今日は明らかに普段とは違う、今まで経験したことのない日だった。俺は自分でも言い表せることのできない奇妙な感覚を感じていた。何だろうかこの感情は。子どもの頃初めて近所のスーパーにお使いに行った時のような感情だ。普段の俺であればこんな時断っていただろう。なんせ限られた昼休みだ、内容もわからない呼び出しで無駄にしたくはない。だが、きっと魔が差したのだろう。俺の口は
「いいですよ。別に」
と音を発した。なぜかはわからないし考える気もないが、後から思えばこのとき俺の高校生活は非日常へと足を踏み出したのだ。
「そうですか。良かった。じゃあ生徒会室までお願いします」
なぜか安堵の表情を見せて少女は歩き出した。慌ててついていく。さっきの発言と態度からしてどうやら俺は嫌われたわけではなさそうだ。この娘が人見知りなだけなのだろうか。
ふと左手につけている腕時計を見た。時刻は12時40分。12時30分から13時20分までが昼休みだから今日の俺の昼休みは実質10分で終わったか。まあしょうがないだろう。明日も明後日も、俺が卒業するまで昼休みは毎日やってくるさ。
歩き出しながら俺は頭のなかに校内地図を広げた。全部で川の字に3棟に分かれている校舎だが生徒会室は一番南側の事務棟、俺の1年6組は一番北側の教室棟にある。歩くと結構時間がかかる。うーん、時間の無駄この上ない。
先に歩き出した少女を追いかけながら彼女の上履きが青色なのに気がついた。俺たちの代のカラーだ。どうやら俺から1mほど離れて歩いているこの少女は同級生らしい。
「生徒会はなんで俺をよんだんですかね、なんかまずいことでもしたかな?」
と、半分は自分、もう半分は少女に向けた発言である。もし俺が知らないところでヘマをやらかしていたら大変だ。さては夏休みの宿題をいくつかしらばっくれたのがバレたか?
「生徒会は文字通り生徒で組織されているので、怒られるとかそういうのじゃないと思うけど。私は何も聞いてないから事情はよくわからないんです」
そうですか。そうなるとますますわからん。なんで俺を呼んだんだろうか。ていうかこの子は俺を呼び出すためだけにパシリにされてるわけか。生徒会なんだから校内放送の一本でもかければいいのに。
考えつつ菓子パンを手に持っていたことを思い出す。あぁ、置き忘れた。生徒会室に着く前に食べてしまおう。優等生ばかりが向かい合って難しい顔をしているであろうところに菓子パン持って入っていくのはちとダサいからな。
買ってきたのは新発売のメロンパンで、何やら中に生クリームとカスタードクリームが入っているらしく200円にしては結構な重みがある。開け口が固くて少し苦戦したのちボンッと袋を開け一口……、と思ったのだがちょっと先を歩いていた少女がこちらをじっと眺めていることに気づく。え?なに?校則違反?
「それ、昼食……ですか?」
「そうだけど…」
あー、なるほど。わかった。女の子は俺ではなくメロンパンを見ている。よし、ここでは俺の気前の良さを見せてやろう。
「食べる?」
といって俺はメロンパンをちぎる。本当はひとかけらも失いたくはない…が、こういうときにはジェントルマンでクールで寛大でないといけないのだ。女の子に破片程度のパンをあげるなど言語道断、そんなちっぽけなことなんかしない。という俺の覚悟からメロンパンは大体2分割された。
差し出された少女は目を輝かせ
「くれるの?わあ、ありがと」
と言ったが
「でもお弁当作ってきたし、こんなにいらないかな」
と、俺の出したメロンパンをまた半分にちぎった。俺の覚悟は何だったのか。手に残された4分の1のメロンパンを口に入れる。なかなか美味しい。見ると少女もこれまた美味しそうにパンを小さくちぎりながら食べている。メロンパンが好きなのか生クリームが好きなのか、カスタードクリームが好きなのか、もしくは全部か。
そんなことを考えながら少女を見ていたが、俺はこの娘が結構な美少女だということに気がついた。パチクリとした目に小さな鼻と口、顔はこれ以上ない感じに整っていて主観的だがかわいい。小さい身長も相まってどこか幼さを感じる。まだ中学生、と言っても通用するだろう。だが、どこかに大人のような風格も漂わせる不思議な少女だ。
「美味しかったです。ありがとう」
と言われ微笑まれたとき、不覚にも0,5秒ほど俺の思考が止まってしまったことを笑うことができる男子はそんじょそこらにいるのだろうか。
メロンパン少女は指先で口の周りにクリームが付いていないか念入りにチェックし始めた。生徒会室までの道のりはまだあるが、ここで会話が途切れるのはなんとも気まずい。何か会話を繋げなければ。
「さっき弁当を作ってきたとか言っていたけど、いつも作ってるのか?」
3秒間会話内容を考えた結果がこれである。しょうがないじゃないか、これぐらいしか情報がないんだもの。
「うん。寝坊しなければ毎日。ホントは面倒だから作りたくないんだけど、うちの学校の学食が…なんというか、そこまでだから」
わかる。非常にわかる。俺も入学直後に食べに行ったがカレーライスがしょっぱいという前代未聞の味を体験して以来行ってない。
「でしょ!あそこのナポリタンすごく甘いんですよ?!どんな人が作っているのか気になってくるぐらい変な味!」
「一番ましなメニューはゆで卵とか聞いたことがあるな。そういや」
「そんなメニューあったんですね。私、メニュー自体よく覚えてなくて」
「メニューは豊富だと聞くけど、利用してる人が極端に少ないし、全部食べたことがあるやつが何人いるんだろうね」
「生徒会のこの前の調査だと1割ぐらい……だったかな。なんで継続してるのかわからないぐらい利用されてないって」
「へえ、そうなのか…」
案外会話が続く。女子とこんなに言葉を交わしたのは高校入って何回目だろうか。やればできるじゃないか俺。この後も学食を散々こき下ろすことで会話をつないでいった。少女は終始くすくすと笑っていたがそのしぐさもかなりかわいかった。まるでフランス人形のようだ。
そうさ、この時点では特に何も変わったことはなかった。これからが問題なんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。