Time is Life 1

 あれは、いつだっただろうか。たしか夏休みが終わって2週間ほどだったはずだ。彼女と初めて出会ったあの日。俺の学校生活はそこから変わり始めたのだ。


~Time is Life~


 ホットドリンクが飲料品の棚を侵略し始め、レジ横に肉まんたちが新入り顔で着座するのを脇目に俺はコンビニを出た。年がら年中営業中の街の便利屋が着々と冬支度を始めているのとは裏腹に9月中旬の朝とは思えない暑さが襲ってくる。暑い。早く冬になってほしいという気持ちもあるが冬は冬で寒いので来たところで嬉しくはない。もはや期待できるのはその2つの季節の間に1,2週間ほど肩身が狭そうに現れてくる秋だけであり、そいつは毎年出現日数を減らしていっているのだから世の中生きづらくなったものだ。

 そんなことを考えながら俺は改札を通り、下りホームへと階段を上る。いつも通り8時ちょうど入線してきた8両編成の電車に乗り込み、反対側の扉にもたれかかる。目的の駅までたった一駅、5分だけの乗車だ。

 俺が通う高校は県内の公立高校偏差値ランキングで上位10位にはランクインする、程々頭がいい県立学校だが、全くと言っていいほど人気がない。それもそのはずで、最寄り駅から関東平野のまっ平らな大地を20分も歩く必要があり、もはやそれは最寄り駅ではなく「どこの駅も遠いけれどどれが一番近いかというとあの駅」みたいな感じだ。そして校舎は築60年でアチラコチラで隙間風が吹く(教師いわく「趣がある」)し、名前も市の名前に「北」とつけただけでなんのひねりもないし、部活動などの勉強以外の実績は皆無。野球部なんかは地区大会で2回裏コールド負けしたらしい。最近の賢い受験生はもうちょっと勉強を頑張ってちょっと頭のいいところ(駅徒歩5分・校舎新築)を受験するかランクを落とすだろう。俺だってあとすこし賢かったらそれに気づけたろうに。

 そもそもなんで俺がそんな学校に来たのかというと、それはとしか言い表しようがない。塾の先生に「お前の偏差値とあっている高校だ」と勧められたからでもあり、家の最寄駅から学校の最寄駅まで急行で1駅だったという近さからでもある。考えてみたら電車に乗る時間が短くても歩く時間が長いのだから近くはなかったのだが。あとは好きなライトノベルに登場する学校と名前が似ていたからという理由もちょっと存在したりする。

 そんなで入学した俺を待ち受けていたのは平凡でつまらない日常だった。テストでは常に下から数えた方が早いし、英語の授業にはついていけないし、友だちも中学時代の友人以外できないし、恋愛なんかもっての外。楽しみは朝コンビニで買う昼食ぐらいだが最近殆どのメニューを食い尽くしてしまい飽きてきた。ともかく、俺は入学して夏休みを挟んだ今までの半年間、中学となんら変わりないスクールライフを送ってきたのだ。

 なんか人生を一気に変えてしまう面白いことが起きないものか。せめて高校だけでも面白い日々を送りたい。


 なんてことを回想して俺は溜息をついた。そんなこと考えたってしょうがないな。入学してしまったものはしてしまったのだ。俺はあと2年半もあの超平凡な学校で生活していかねばならん。そんな訪れることのない日々に期待を寄せるより、いかに徒歩20分の登校時間を短くするかを考えた方がよっぽど有意義だろう。


 電車が地平ホームの横にぴったりと止まり、同じ制服を着た学生と共に俺もホームに降り立つ。スマホの時計は8時5分を指していた。始業時間は30分なので一見するとまだ時間がありそうだが何しろこっから20分も歩かなければならないため、遅刻スレスレラインだ。今日はちょっと早歩きをしないといけないな。

 俺は階段を上がり、ポケットから定期ICカードを取り出して改札にタッチして構外に出――られなかった。

「ん?」

 確かにタッチしたはずなのに改札はウンともスンとも言わない。タッチ位置が悪かったかなともう一度カードを押し当ててみるが反応なし。故障か…?と考えた俺は駅員に相談しようと思い顔を上げ----その異変に気づいた。

「え……?」

 誰もいなかった。電車から降りたはずの生徒もサラリーマンも、駅員までも、誰一人いなかった。気がついたら、いや本当に気がついたらとしか言い様がないのだが、俺の目の届く範囲から人が消え去っていた。駅員の控え室の窓に顔を突っ込んで「すみません」と声を出してみた。反応なし。天井にぶら下がっている電子掲示板を見る。次来るはずの電車はそこに表示されておらず、電気すら通っていないようだった。あんなに騒がしかった駅がまるで耳栓をしたかのように静まりかえっている。駅備え付けの時計を見る。時刻は8時5分。


 ……おかしい。


 全身に何か雷のようなモノが流れ、額から冷や汗が流れてきたのがわかった。まるで人が存在しない世界にワープしたかのようだった。インターネットで昔読んだオカルト話が脳裏をよぎる。気がついたら人のいない駅に着いていてそこから消息がわからなくなるというアレだ。アレは本当の話だったのだろうか。いやいやいやと俺の脳が否定している。そんなことあってたまるか。あれは常識的に考えてフィクションだろ。だとしたら……これは夢か。そうだ、これはただの悪夢なのかもしれない。ちょっと想像力の悪い夢なのだ。俺は自分の手を眺めてみた。まるで現実のようにリアルな手だった。昨日深爪してしまった右人差し指までくっきりとリアルに見える。試しに右手で左腕を叩いてみた。痛い。……夢、だよな?

 俺は必死に状況を整理する。第一に、この駅から人が消えた。第二に、電気が流れていない。第三に、時間が進んでいない。よく見ると時計の秒針は50秒を指したまま止まっていた。

 少し早くなる呼吸と鼓動を治めるため目を瞑って深呼吸をする。

「……ふ〜〜〜〜…………」

目を開ける。変化なし。おかしい。これはどうも変だ。まるで狐に包まれたみたいな、そんな世界に俺はいた。


 頭は混乱したままだが。いつまでも改札の前で突っ立っているわけにはいかないので俺は歩き出した。夢だとしても醒めるまでじっとしているよりは動いた方がいいという気がした。なんとなくだが。

 とりあえず階段をもう一度下って今度はさっき降りたのとは反対の上りホームへと行ってみることにする。階段を降りる俺の小さな足音だけが通路に響く。それがホラー映画みたいで不気味だった。俺はどうしてか獲物の背後から近づく狩猟者のようにゆっくりと階段を降り、ホーム全体を見回した。いつもは人で混雑しているはずの上りホームにも人は誰一人いなかった。俺はまた途方に暮れて何処に焦点を合わせるというわけでもなく、間抜けに前を向いて突っ立った。なんだこの夢は。俺の脳みそは一体何がしたくてこんな夢を見ているのだ。

 しばらくぼーっとしてから俺はもう一度あたりを見渡した。ホームから見える駅の外にも人影は見えない。車も走ってないし信号すら光っていない。ますます心臓の鼓動が早くなる。

俺は目線をホームに戻し、反対側を確認しようと目を動かして…………見つけた。

 下りホームだ。さっき降りた下りホームのベンチに誰かが座っている。あのスカートと座り方からするにうちの高校の女子生徒で間違いない。下を向いていて顔は見えない。眠っているのだろうか。生きていない……なんてことはないよな。

 俺はもう一度階段を上り、女子生徒の座っているベンチを目指した。さっきは誰もいないことが不気味であったが、今度は逆に人がいることが不気味に感じた。何で一人だけなんだ。もっとたくさん出てきてもいいじゃないか。せめて3人組ぐらいにしてくれよ。俺は脳裏によぎり始めた古い都市伝説を意識しないように息を整えた。とりあえず女子生徒に話しかけてみることにする。これがゲームだったら彼女に話しかけない限りストーリーは前に進まないのだ。誰もいないと思った世界にただ一人人間がいた。そしたら俺の行動パターンは一つに絞り込まれる。俺はそう自分に言い聞かせ階段を降りる。

 階段を降り、ホームの端にあるベンチへ足を進める。女子生徒の横顔が見えてきた。目は開いている。寝ているわけではなさそうだ。近づいてくる俺に気づくことなく何か考え込むように地面を見つめていた。

女子生徒から2mぐらいの距離まで近づいて俺は恐る恐る声をかける。

「あの、すみません」

自分でも驚くような小さい声だったが、その声を聞いた途端女子生徒は雷に打たれたように立ち上がり

「えっ…………あの、あっ、えっ――」

と素っ頓狂な声を上げ俺の顔を見た後、周囲を見渡し、もう一度俺の顔を見た。その目はまるで暗闇の中の猫のように見開いている。睫毛の長い子だった。そう思ったのを今でも覚えている。そのときの俺はそれ以上に彼女を観察する余裕なんぞなかった。

 彼女は驚いた顔のまま

「どうして……」

とだけつぶやいた。困惑しているようだ。俺はこの子がおそらく自分と同じ状況を認識したのだと思い、

「気がついたらこうなっていて。なにか知っていることはありませんか…。あるわけないか」

と自己完結的な台詞を吐いた。彼女は目を下に落とし、

「どうして…、今までこんなこと…」

とつぶやいた。そして目だけ動かし俺の顔をおずおずと見て言った。

「どうやって入ってきたんですか…。ここで人がいるなんて…」

「えっ?」

「こんなこと…あり得ないんです…」

「え?」

俺はよくわからずに馬鹿みたいに同じことを繰り返した。この子は俺と同じ状況に置かれているわけではないのか。何か知っているのか。

「どういうことですか?もしかして何か知っている――」

「あの!」

俺の小さな声を遮り彼女が大きい声を出した。

「へ?!」

「あの、このことは誰にも話さないでください。できれば忘れてください。時間がたてば元に戻ります。それじゃ…その、私はこれで!」

そう言いつつ彼女は頭を下げ、言い終わるやいなや走り出した。

「お、おい、待ってく――」

俺の呼びかけもむなしく彼女は階段を駆け上がる。よくわからないがとりあえず追いかける。10秒ほどあっけにとられた後、処理が追いついてきた俺も走り出したが、改札に彼女の姿はなかった。クソッ、何処に行ったんだ。

 俺はそのまま改札を走り抜けようとして――

『ピコーン!』


「うおっ?!」


改札のバーに止められた。後ろから舌打ちが聞こえる。俺は瞬きをしてあたりを見渡す。戻っていた。いつもの駅の風景に戻っていた。改札前で待ち合わせをしている高校生、スマホを見ながら改札を通るサラリーマン、そして迷惑そうにこちらを見ている窓口の駅員も、全員いつも通りだった。まるでフェードインしたかのように雑踏が聞こえはじめ、電車がブレーキをかける音も耳に届いてきた。

 混乱した頭のまま定期券を押しつけ改札を通過した後、駅の壁により掛かった。一体全体どうしたってんだ。俺は駅備え付けの時計を見た。時刻は8時6分10秒。秒針は、動いていた。

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