Episode 14 Awakening:覚醒

 駆除班アビス日本支部では、日課の朝礼が行われていた。しかし兵士たちの前に立ったアーノルド支部長はいつになく苦々しい表情で、なにか言い出すことをためらうような素振りを見せていた。

兵士たちが訝しげな表情で見つめる中、やがて支部長は意を決したように口を開いた。


「……全員、すぐに倉庫にある耐放射線用の装備へ換装し、隔離領域アイソレーションエリアの外まで退却してくれ」


 言葉の意味を咀嚼するわずかな沈黙を経た後で、小さなざわめきが起こる。

「耐放射線用……!?」

 その場の隊員たちの脳裏に、否が応でも一つの可能性が浮かぶ。ソ連の母神マザー駆除に倣って、この街にも核兵器が投下されるのだ。


 支部長がカーテンを開けた。窓から地上を見下ろすと、基地の外周を囲むように人が立ち並んでいる。


 多種多様なプラカードが、群衆のシュプレヒコールに合わせて上下する。駆除班アビス日本支部前には、反駆除班アビス団体が大挙して押し寄せていた。

駆除班アビスは人権侵害を良しとしている」「駆除班アビスゼノに乗っ取られている」「駆除班アビスは政府に都合の悪い発言をする人間を被寄生者ハックド認定している」……悲痛な叫びからほとんど言いがかりにも等しいものまで、警戒色の大きな文字で書き連ねられていた。


「知っての通り、我々は反駆除班アビス団体による抗議活動によって作戦行動に支障をきたしている。しかし我々は警察とは異なり、実力で彼らを排除する権限がない」

 アーノルド支部長は、血が滲むほど唇を噛んだ。


「上層部は、駆除班アビス日本支部に近々再来する母神マザーの覚醒に対処する力がないと判断した。そして、核兵器の使用を決定した」


 アーノルド支部長は、深々と頭を下げる。

「すまない。本部を説得しようと試みたが、叶わなかった。これから起こることは、力及ばなかった私の責任だ」


「頭を上げてください支部長。謝罪したところで、状況は改善しません」

 ヘイムが言い放つ。アーノルド支部長は苦笑いして、顔を上げた。

「ああ……その通りだな」


 ヘイムはくるりと踵を返し、早足で歩きながら通信機へ小声で話しかけた。

「俺だ。たったいま全隊員へ向けて退却命令が出た」


 通話相手のガイラが驚きの声を上げるが、ヘイムはそれに構わず続ける。

「それと、この街に核兵器が落とされるという話……どうやらデタラメではなかったらしい」


 ◆


 胃袋を揺らすような地鳴りが響いて、地面が小刻みな縦揺れを起こす。トキワはバランスを崩したが、体勢を立て直した。


「いまの揺れ……母神が目覚めたからなのか……?」

 あまりに突然の衝撃だったせいで錯覚かと疑ったが、風もないのに木々が揺れている。


「それじゃ、また後でね」

 ミアは翼をはためかせると、空の向こうへ飛び去っていった。


 入れ替わりに、遠くから呼びかける声がした。

「トキワ君!」

 ガイラが、大きく手を振りながらやってくる。

母神マザーが覚醒した。一緒に来てくれ」


「わかった。さっき救助した女の子がいるから、送っていこう」

 それでいいか、とトキワが確認すると、傍らに立つ少女は頷いた。


 ──女の子を麓の安全なところまで送っていったあとで、ガイラが自動車を止めていた場所へ向かった。

 助手席に乗り込むと、後部座席に乗っていたハネズが嬉しそうにひらひらと手を振る。

「……ルリ先輩とヘイムはどうしてるの?」

 シートベルトを締めながら、トキワが訊ねた。


「ルリ君は外縁地区でパトロール中だ。そしてヘイムたち駆除班アビスの隊員たちは、町の外へ退却しつつある」

 ハンドルをさばくガイラは、進行方向を見据えたまま答える。


「退却……って、なんで?」


「反駆除班アビス団体による妨害で、武器を持って歩きにくくなったからだ」


 駅でロイが起こした騒ぎの影響は、じわじわと大きくなりつつあるようだった。トキワとハネズは自分たちにも責任の一端を感じて、少し落ち込む。


「……ただ、これは建前かもしれない」

 ガイラは一段と重苦しい声色で述べた。


 ハネズが疑問を口にする。

「建前、ですか?」


「もしかすれば……街に核兵器が落とされるという計画が実現されつつあるのかもしれない。駆除班アビスには対放射線用の装備が支給されたらしい」

 ガイラの目元に影がさした。

「もしそうなら、私たち被寄生者ハックドが正式に退却を命じられていないことにも辻褄が合う」


 トキワの表情に焦りの色が浮かぶ。

「ヤバいな。急がないと」


「わたしたちなら、大丈夫だよ」

 後部座席から、ハネズが励ます。


「ああ」

 トキワは小さく微笑んで、頷く。


 やがて、目的地に到着した車が停止した。母神マザーの休眠する地帯は住宅街だった面影を失い、瓦礫と塵しか残っていなかった。更に今は、巨塊が動き出した衝撃で舞い上がった砂埃が霧のように視界を遮っている。

 車のドアを開いたそばから、強烈な生臭さを帯びた埃っぽく生ぬるい空気が襲ってくる。トキワたちは思わず顔をしかめて、顔の下半分を手で覆う。


「ガイラだ。神代カミヨトキワ、山吹ヤマブキハネズ両名とともに、これより母神マザー:個体名ベヒーモスとの交戦を開始する」

 ガイラが、通信機でヘイムに報告した。


 すると背後から羽ばたく音がして、トキワ、ハネズ、ガイラの3名は振り返る。翼の生えた少女ミア、そして蛇の被寄生者ハックドシズミも、たったいま母神マザーとの戦いの場に到着したらしかった。

「よろしく。さっきぶりね」

 シズミの姿を認めるとハネズは体をこわばらせ、不安そうにトキワの袖を掴む。ハネズは2人と会うのは、襲撃されたとき以来初めてのことだった。


「警戒しなくてもいいわ。私たちの目的は母神アレを殺すことだから」

 そうでしょ?と、ミアがトキワに目配せすると、トキワが頷いた。

「ああ。母神アイツ蓄力エナジーが目的なんだろ」


駆除班アビスが街から撤退を始めている。いま母神ヤツを倒さないと大変なことになるのは、私たちも彼女らも同じだ」

 そう言ったガイラへ、シズミが恭しく頭を下げた。

「宜しくお願いします。ガイラさん」


 空気中を舞っていた粉塵が落ち着き始めると、母神の姿が顕になった。


 見上げた山のような塊は、いびきのような音を立てながら膨張と収縮を繰り返す。シワだらけの皮膚は細かい穴が無数に穿たれ、重油のような液体を垂れ流している。血走って黄色がかった巨大な眼球が、ぐるんと回転して被寄生者ハックドたちを見つめた。


 母神マザーが大きく咆哮した。5人の被寄生者もまた、母神へ向けて戦闘態勢を取る。


 母神マザーは全身に開いた孔からゼノをボロボロと排出しながら、豚に似た醜い顔をトキワたちへ向けて威嚇するように口を開いた。乱杭歯が覗く捕食口からは、生臭い消化液が滝のように滴り落ちる。


「戦闘、開始だ」ガイラが呟いた。

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