Episode 1 Orphans:トキワとハネズ

 トキワはハネズの手を引いて、山林を息せき切って駆け下りる。少年と少女は追われていた。木々をすり抜け低木を薙ぎ倒しやってくる、得体の知れないなにかに。


 二年前から放棄された山林は、崩れた地盤と伸び切った草と木の根で足場が不安定だった。

 走るたび、足は弾け肺は破れるのではないかというほど痛む。酸欠の視界は血の色が滲んでいく。それでも、わずかでも走るのを止めるか、バランスを崩してよろめきでもすればすぐさま、背後からやってくるものに追いつかれる。そんな確信があった。


「あ」

 不意に、トキワの背後から、ハネズの小さな声がした。繋いでいた手が解ける。数メートルの暗がりを隔てて、2人は離れ離れになった。


「大丈夫か!?」

 トキワが後方に駆け寄る。ハネズが木の根に躓いたようだった。

「先、行ってて」

 ハネズは捻ってしまった足首を押さえる。

「するわけないだろ、そんなこと」


「ごめんね。わたしが海を見たいなんて言ったから」

 ハネズは唇を噛み締める。


「違う。ハネズが悪いんじゃない」

 トキワは少しだけ、叱るような口調で言った。


 振り返って、ついに追いつかれたことを実感した。パーカーのフードを目深に被って立つ少年がいて、その背中からは二頭一対の巨大な大蛇が伸びている。それぞれの双眸を煌々と光らせる二つの頭は、舌をちろちろと見せながらこちらを窺う。


 ──2年ほど前から出現した小型エイリアン、ゼノは人間に寄生し、脳を操る機能を有していた。


 そして直感的に、追ってきている少年はゼノに寄生された人間であると思われた。ゼノに寄生された人間が持つ特徴は大きく2つある。一つは、その身体的な特徴が大きく変異することだ。人間の体躯に巨大な蛇を2匹無理やり合成したようなアンバランスな造形は、これまで地球で体系付けられてきた生物のどれとも似通っていなかった。


 トキワは歯を食いしばりながらハネズを背負うと、蛇の少年からわずかでも遠ざかるべく駆け出した。木々の枝葉で肌が擦り切れるのもお構いなしで、下り坂を転げ落ちるように走る。


 背後から、巨大なものが地面を這う音がする。ちらと、トキワは背後を窺った。


二頭の巨大な蛇が大きな口を開いていた。そして、大蛇のいる辺りだけ木が引き倒され、乱雑にへし折られた根本のみが並んでいる。


「……マジかよ」

 トキワは、大蛇のパワーに絶句した。木を引き折り倒しつつ進撃する蛇行に巻き込まれれば、身体もミンチのように轢き潰されることは明らかだ。


「くたばれ」

 少年が呟くと、右側の大蛇はその身を鞭のように振るい、辺りの木々を折り飛ばした。


 衝撃でトキワの身体が煽られる。トキワは背負うハネズを庇うように受け身を取った。


 低く轟く音を立てて、木が倒れる。振り返ると、左の蛇と目があった。いま、蛇の少年とトキワたちを遮るものはない。


「ヤバ……」

 蛇のあぎとが開かれる。赤い口内がぬらぬら光る。地表を捲る轟音を立てて、殺意が白い牙を剥く。

──ゼノに寄生された人間のもう一つの特徴。それは、人間を喰うようになることだ。

 喰われる、とトキワの脳が感じた瞬間、身体が勢いよく弾かれて坂を転げ落ちた。


「は……?」

 さっきまで自分たちがいた場所を見ると、ハネズは数メートル登った先にいた。トキワには、背負われていたハネズが自分を突き飛ばしたのだと気づくまで数秒かかった。


 ハネズの体へと、大蛇の牙が襲来する。脳が認識を拒んでいるのか、眼の前の現状がスローモーションのようにゆっくりと進行する。永遠に思えるほど引き伸ばされた一瞬のうちに、大蛇の頭が叩きつけられた。


「ハネズ!!」

 駆け寄ろうとしたトキワを、草むらの中から引き止める声があった。


「なァ少年。手前ェはなんで逃げねェんだァ?」

 突如、近くの樹上から声がした。蛇の少年も警戒したように一歩退く。


 ぺちゃ、と音を立て、トキワの前に落ちてくるものがあった。ビニールアートで作った昆虫の失敗作みたいな見た目をした生き物は、人語を流暢に操ってトキワへ語りかける。


「このままだとどッちも死ンじまうゼェ?嬢チャンが言ッたみてェに、手前ェだけでも逃げたほうが良ィんじャねェの?」


 トキワは、町の掲示板に貼ってあった注意喚起のポスターを思い出した。眼の前でうごめく小さな塊は、そこに描かれていたゼノと似た姿かたちをしている。


「怪我してる幼なじみを見捨てて逃げるわけ無いだろ。宇宙人には分かんねぇよ」


「ああ。分かんねェなァ。だから教えてくれヨ」

 ゼノの返答は、予想だにしないものだった。


「教える?」


「オレはキュリオ。テメェに、アイツと殺り合うチカラをくれてやる」

 ゼノは、そう発音した。


 人間を操れる地球外生命エイリアンに身体を明け渡すなんて、冗談じゃない。だが──

 たとえどんな結末を迎えても、ハネズだけは守らなければならない。そうトキワは判断した。

「……わかった、乗ってやる」

「──良い返事だァ」


 ゼノから、触手が一筋撃ち出される。先端の鉤がトキワの胸部に刺さった。

「ぐっ……!!」

 心臓を貫いた痛みは脊椎を走り四肢の神経を通じて全身へ伝播していく。身体からだすべての毛穴が抉じ開けられるような激痛に叫びだしたくなるが、トキワは歯を食いしばって堪える。

 ゼノの体の一部が、首にマフラーのごとく生えた。

「オレがお前ェの脳ミソに、指示する通りに動きやがレ!」


 トキワは深くしゃがんだ。そして、筋繊維の切断音を立てながら跳躍しハネズと少年の間に割って入るように飛び出した。


 少女の左半身、脇腹のあたりが抉り取られ流血していた。白い制服のシャツは鮮血で染め上げられ、紺色のスカートはどす黒く濡れている。左脇腹に痛々しく開いた穴からは血が止まらない。


「逃げて」

力のないハネズの声に、トキワは黙って首を横に振る。


 トキワはハネズを守るようにして立ち、少年の背から生える大蛇を見据えた。眼前の巨大な口の端には、ハネズの着衣の切れ端が血で貼り付いている。

「死ぬな。絶対に」

 トキワは呟いて、目の前の敵を見据えた。表情には決意が漲る。


 トキワの全身から放たれる気迫に、蛇の少年は身構える。

 脳内に流れ込んでくるイメージに沿ってトキワは肺へ大きく息を吸い込む。全身に行き渡るエネルギーを、全霊を以て吐き出す。

「『スクリーム』!!」

 叫んだ音の波は稲妻のようなエネルギーを帯びて、トキワの前面いっぱいへ拡散する。

 音波は殺傷能力をいかんなく発揮し、少年の身体を勢いよく吹っ飛ばした。

「……すげえ」

 一瞬のうちに起こった多くのことに、トキワは口を開けて呆けていた。


 しかし、呆けていられたのもつかの間、少年はおもむろに草むらから戻ってきた。高速でかっ飛ばされたにも関わらず、その身体にはかすり傷ひとつついていない。何事もなかったかのように、身体のホコリを払いながら少年がやってくる。


「なるほど。今ひとつわかッたコトがある」

 トキワの耳元で、ゼノが呟いた。


「なんだ?」

 返答は、至ってシンプルなものだった。

「今のオレたちじゃ、目の前のアイツには勝てねェ」


「そうよ、諦めなさい。楽に殺してあげるから」

 声の下図状を見上げると、枝の上に人の影があった。背中の開いたキャミソールに羽毛の生えた腕が通されており、ホットパンツから伸びる素足は鳥類の足のようだった。


「……帰るぞ」

 突然、パーカーの少年が言った。

「はぁ!?」

 羽の少女は枝からずり落ちそうになって、立て直した。

「なんでよ!」

 正直なところ、トキワも同じことを思っていた。


 少年は返事もしないまま、踵を返し去っていく。

「ちょっと!ねえ!」

 羽の生えた少女は樹上から滑空し、低空飛行しながらついていった。

「何が起こったんだ……?」


 わけが分からず、トキワは少しの間呆然としていたが──

「ハネズ!!」

 ハッとしてハネズに向き直った。

 仰向けの少女のあばらと脇腹からは鮮血が次から次へ流れ出る。全身の血をすべて失うのも時間の問題かと思えるほどだ。


「死ぬなよ……!」

 トキワは自分とハネズのネクタイ、ズボンのベルトを解いて傷を縛る。縛ろうとするが、血はとめどなく溢れ、制服を滴り、土に染み込んでいく。

「どうすればいいんだよこんな怪我……」


 悪戦苦闘するトキワに、キュリオが声をかける。

「一つダケ、方法がある」


「何だ?」


「絶対成功する方法じゃァない。お前ェが人間タチの敵になる可能性もある」


 トキワにとってそれは、ハネズを失うことに比べれば軽い条件に思えた。

「いいから、思い当たることがあれば何でも言ってくれ」


 少しもったいぶった後、キュリオは方法を提示した。

「──この嬢チャンに、ゼノを寄生させろ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る