人と道ですれ違う時 道路にはみ出した街路樹と重なりがちなのは何故なのか?

kayako

交差点では! 自転車は!! 降りろぉぉおおおおお!!!

 

 私は昔から、歩くのがヘタである。

 物理的に歩くのは問題ないが、公道を歩くのがヘタなのだ。

 つまり、人と人、人と自転車、人と車がすれ違う道が苦手。

 小さい頃から、まっすぐ前を向いて歩くという歩き方がなかなか出来ず、地面を見つめながら歩くのが当たり前だと思っていた。でなければつまずいて転んでしまうから。

 だから道で誰かとすれ違うと、必ずと言っていいほどどちらによけるべきか迷ったし、お互い同じ方向によけようとすることもしょっちゅうだったし、最悪ぶつかることさえあった。


 それが多少なりとも改善されたのは、自転車の乗り方を覚えた頃だろうか。

 人によって差はあると思うが、自転車は下ばかり見ているとバランスが取れず、うまく乗ることが出来ない。

 だから自転車に乗る時は『真っすぐ前方を向く』必要がある。

 それまで全く乗れなかった自転車が、前を向くことを意識しただけで物理的に操作可能になった。あの時の衝撃は忘れない。

 たかが視線ひとつでここまで変化するものかとびっくりしたものだ。人体の構造って本当に不思議。


 自転車を覚え、下ではなく前を向いて歩くことを意識するようになってから、少しだけ歩き方は良くなってきた(はず)

 教習所に通ってからはさらに意識するようになった。公道を走る際の視線移動について具体的に教わったからだろうか。


 ……免許取るのに平均の数倍時間かかったけどw

 そして取得後最初に同乗した親からは「お前は今後絶対運転するな」と言われたけどw

 その結果今じゃ立派なペーパーだけども!!



 前置きが長くなってしまった。

 今回問題にしたいのは、タイトルにもある通り――

 そんな私が公道において誰かとすれ違う時、起こりがちな問題について。


 一本道で、私の反対側から誰か(Aさんとする)が歩いてきたとする。

 その道にはどこかに、道に張り出した電柱や街路樹、はみ出した自転車など、ちょっとした突出物があるとする(通行できなくなるほどの大きさではない)

 突出物には色々種類があるが、ここでは暫定的に街路樹が道路上に若干はみだしていたとする。

 この場合――



 街路樹がよほど私かAさんに接近している場合でない限り。

 どういうわけか、私とAさんはその、ハミダシ街路樹付近ですれ違ってしまうのである!!!



 街路樹が距離的に私とAさんのちょうど真ん中にあるわけではない。

 多くの場合、真ん中よりちょっとずれた位置にある。

 それでも、私やAさんの速度にあまり関係なく、両者は何故かハミダシ街路樹付近ですれ違い。

 結果、私は肩を縮めながら「すみません……」と小声で呟きつつAさんとすれ違うことになる。


 どちらかが引き返したり途中で曲がったりしない限り、私とAさんがすれ違う確率は100%。

 だけどその途中の、決してそこまで大きくはないハミダシ街路樹付近ですれ違う確率ってどんなもんなのか。

 私は確率統計は大の苦手だから分からないが、少なくとも100%ではないだろう。私とAさんの速度は同じではないし、街路樹も両者のど真ん中にあるわけではない。

 それでも100%に近い確率ですれ違うのはどういうわけだ。



 これは私の歩き方に問題があるのかとずっと思っていた。

 向こう側からAさんが歩いてきて、さらに途中に街路樹があると分かっているからこそ、無意識に速度を調整しようとしすぎてしまい、不器用さが祟って街路樹付近ですれ違いを起こしてしまうのではないかと。

 普段は真っすぐ歩けてはいるものの、油断するとつい昔の癖で下を向いて歩いてしまう。そのせいでおかしなすれ違いを起こしているのではと。


 しかしこの件で、ちょっとググってみると。

 互いの速度や距離、確率統計の問題ではなく――

 心理的にそう思ってしまうだけなのではという意見があった。


 つまり、「Aさんと街路樹付近ですれ違った」という事実は記憶に残るが、それ以外の場所で問題なくすれ違った場合はそこまで記憶に残らない。

「街路樹付近ですれ違いを起こした」という事実の方がより強く記憶されてしまう為に、当たり前にすれ違った時のことは忘れてしまい、結果、「すれ違ったところに何故か街路樹がある可能性=100%!!」になってしまうのではという説だ。


 言われてみれば納得である。

 確かに、普通に誰かとすれ違った場合というのは殆ど記憶にない。

 殆どの社員が真っ当に仕事をしていても、一人の役員が不祥事を起こせば一気に会社のイメージが下落するのと同じ原理だ。



 しかしそれでもやっぱり……

 私と相手と突出物、三者の同時すれ違い=9割以上、の印象は拭えないんだよなぁ。

 相手が向こうから歩いてきて、途中で街路樹が張り出してる……と意識してしまった時の三者同時すれ違いの発生確率はほぼ100%と言ってもいい。

 ヤバイ、と感じた時に何も起こらずすれ違えた試しがないくらい。むしろ、何も起こらなかったケースの方が逆に記憶に残るのでは?というレベル。

 危ないと感じた時は実際にかなり相手や障害物との距離が接近しているから、確率的にも三者同時すれ違いが起きやすくなっているとは思うけど。



 あと考えられることとしては、「突出物」と認識するものが一つではなく、道路上には意外と多いのでは?という説。

 電柱やら街路樹やら、道路にははみだしているものが幾つもあるため、そこですれ違う確率は必然的に高くなる。

 そして、すれ違った時やその直前に初めてそれを「突出物」と認識する為、「道路上に一つしかない突出物付近で、何故か9割の確率ですれ違う」という現象が発生するのでは。



 それから単純に、Aさんと自分との距離が10メートル以下と短く、その間にハミダシ街路樹があった場合、そりゃ確率は高くなるよなと。



 というわけで、この問題は未だに決定的な解決方法が見当たらない。

 中でもさらに問題なのが、突出物にあたるものが電柱や街路樹などの動かないものではなく、人や自転車のように動くものだった場合である。

 最も嫌だなぁと思うのが以下の2パターン。


 私とAさんが一本道ですれ違おうとしているところに


 1.私の後方から自転車が来る

 2.私の前方で、歩みの遅い2~3名がぺちゃぺちゃお喋りしながら並列でのそのそ歩いている


 1は後ろから猛スピードで走ってくる自転車ってだけでも怖い。

 すれ違いが起きるまで私の視界には入ってこず、背後の音がろくに聞こえないような状況だと突然三者のすれ違いが起きるのが怖すぎる(私がAさんに道を譲ろうとして脇に避けた時に……というガチ事故の危険が)

 せめて自転車側はスピードを落としてほしい。


 2はただでさえ前方にいられるとイライラMAX。

 三者のすれ違いが発生する前にさっさと追い抜こうにも、私とそのノロノロ歩行者のスピードがそこまで変わらないと追い抜くにも時間がかかり、結果として三者が重なってしまうという。

 こういう時は最悪、面倒を避ける為に違う道を行くことさえある。


 しかもこういうパターンだと、街路樹などの動かないものよりさらに三者が重なる確率が高く感じる。

 ホントにどういうわけだこれは。


 考えてみれば、1のケースだと自転車から見たら私の方が、2のケースと同じ「のろのろ歩く邪魔な歩行者」なのだけど、自転車は降りて歩くことも可能な分、歩行者より有利だ。

 危ないと思ったら降りて歩いてほしいと思うのだけど、乗ってる側としては冗談じゃないと思うものなんだろうか。

 交差点でも降りずに突っ走る自転車が殆どだしなぁ。

 あまり自転車には乗らないから、その心理はよく分からないけども。



 というかこのすれ違い問題を抱えていると、スクランブル交差点での自転車とのすれ違いがホントに危険。近所にもあるけどマジで危ない。

 スクランブル交差点では、せめて自転車は降りてくれと毎度思う。そこを走り抜けたからといって到着時間にどれほどの差があるというのか。

 すぐそこの看板にも書いてあるだろうが『交差点内では自転車は降りて通行してください』と!!

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