だから言ったのに、動かないでって

とても綺麗な白い薔薇が咲き誇る庭は、うっかり汚してしまったら目立ってしまうような気がしてしまう。


 いつもは少し距離を置いて薔薇を見ながら庭を散歩しているのだが、今日は違う。


 王太子殿下が隣で一緒に並んで歩いている。


 庭師が庭を手入れしているはずなのに今日はいない。

 殿下の護衛をしている人も姿が見えないのは、数秒前に殿下が手を上げて「来るな」と合図を送っていたのだから。

 デメトリアス家の侍女たちも殿下には逆うことができず、着いてくる気配はない。


 現在は殿下と私の二人しか庭にいないというわけです。


「白い薔薇しかないの?」


 不意に殿下から声をかけられた私は小さく頷いた。


「私、赤が苦手なので」


 赤が苦手。それはきっと両親が死んだ時のショックなんだと私は思っている。

 赤いのを見ると息苦しくなってその場に倒れてしまう。この屋敷に来て、はじめて庭に出たら赤い薔薇が見えたと思ったら息苦しくなり、意識が朦朧となって倒れたのを今でもハッキリと覚えてる。それから赤い薔薇は白い薔薇に植え替えられた。

 薔薇だけじゃない、この屋敷には赤が一つも無いように気を使ってくれている。その小さな気遣いに私はいつまでも甘えてはいけないんだろうなって思ってるけど、まだトラウマと向き合うのが怖くて逃げてしまう。

 あの事件の記憶がないのに。身体が覚えているとでも言うのだろうか?


「見ると倒れてしまうんです」

「そっか」


 なんだろう。この空気。


 とても気まずい。


 どうしよう、話を変えてみようか。


「と、ところで殿下? 私と殿下は婚約はしていないですよね?」


 気まずい空気に絶えられず、私は昨日ノエルとの会話を思い出し、話をしてみることにした。殿下はニコッと微笑んで「ん~。そういうことになるね」と、曖昧に返された。


「殿下、無礼を働いたことをお詫びします。謝っても許されることではないのですが、でも……」


 私はどうなっても構わないからこの屋敷の住人は関係ないし、私が独断でやったことだからなんて、そんな綺麗事なんて言えるはずない。


 それにしても殿下の気持ちが分からない。


 何故、私を気にかけてるのか。理由が分からない。


 悪役令嬢でもあるこの私に淡い恋心を抱くようなことはしないだろう。

 さっきまで気まずそうにしていた殿下は突然口元を押さえ、震えだした。

 何か失礼なことを言ったのでは!? と思い、内心、慌てていると「くくくっ」と、殿下から笑いを凝らしているような声が聞こえ、私はポカンと口をだらしなく開けていた。


「あははっ。そんなこと? 気にしてないよ」


 笑いすぎなのか、涙目になっている殿下はゲームでは見たことがないぐらいの素敵な笑顔を向けていた。

 キュンと胸が高鳴ったような気がしたが、きっと殿下の顔が整ってるせいだ。

 イケメンって罪だな。


「キミはとても面白い子だと思う! だってこんなにも変な令嬢はそうそうお目にかかれないからね」



 ん?



 変な



 令嬢……?


 ちょっと待って、変な令嬢とは誰のこと。


「あの、すみません。聞き間違いでしょうか?」


 きっと聞き間違いよね。そうに決まってるわ。

 そう思った私は殿下に聞き返すことにしたら殿下は眩しいぐらいの満面の笑みを浮かべた。


「だから、キミは面白い子だよ! キミみたいな変な令嬢はそうそうお目にかかれない」

「……」


 危ない、危ない。この人が王太子殿下じゃなかったら殴っていたところだった。


 確かに令嬢らしくはない。それは認める。

 でも、変な令嬢は認めたくない!


 あの失態でそう思ってくれたことに感謝しなければいけないんだろうけど。

 正直感情って難しい。


 この人は私をからかって遊んでいただけだ。

 あんなに緊張していた自分が馬鹿らしくなってきた。


 私は呆れてため息をすると、いきなり私の目の前で跪いたので驚いて目を丸くした。


「ソフィア・デメトリアス嬢! 俺と婚約してくれませんか?」


 この人は一体何を考えているんだ。

 この流れで求婚なんて普通はしないわ。


 変な令嬢と罵ったばっかりなのに、なにを考えてるの。


「俺はキミの気持ちを尊重したい。大丈夫、無理強いはしないから」


 聞いてくるぐらいだし、無理強いはしないとは思ってたけど。

 尊重したいと言ってるから、断っても大丈夫……よね。


「すみません、それはできません」

「どうして? 他に好きな人がいるの?」


 断ればすぐに諦めるだろうと思っていた私は考えが浅はかだった。

 前世の記憶を思い出さなればすぐに二つ返事で返したと思う。


 面白がってからかわれているのに婚約したいと思う人はよっぽど上に立ちたい人か、王太子殿下の美貌に惹かれたのか。


 どっちにしろ私は元々殿下とは婚約はしないと決めていたから変な令嬢と言われようが言われまいが断っていたと思う。

 殿下の問いかけにどう答えるべきかと考えていたらじっと私を見つめる殿下の視線に絶えられず目を逸らした。


「お慕いしている方がいますので」


 それは嘘。好きな人なんていない。

 時には嘘も必要だと思ってるけど、嘘だとわかったら傷付く可能性だってある。

 それでも、諦めてくれた方が助かる。

 だって……だってよ。この人、青年になればかなりの美貌なのよ!

 惚れない自身なんて私にはないもの! 悔しいけど。


「その人は、誰かな?」

「え?」


 殿下はクスリと笑った。

 もしかして嘘だとわかってる?

 どうしよう。

 どう言えば……。


 私はゲームの内容を必死に思い返し、登場さえしていないものの、同い年の男性の名前を思い出した。

 その人は病気持ちの令息で学園に入学出来なかった人。


「ヒューゴ・マキアーノ様です」


 マキアーノ男爵家の一人息子。ゲーム内では名前だけ登場していたが、この世界が乙女ゲームだからヒューゴ様もきっと綺麗な容姿だろうと思っている。いや、そう思いたい。

 今後、攻略対象を避けるために関わりも持たないであろうヒューゴ様の名前を借りるのはいたたまれない気持ちになるが、仕方ない。


 殿下は驚いて目を丸くしていたが、それも数秒で終わり、すぐに元の表情へと戻って口を開いた。


「ヒューゴ殿に会いに行く?」

「はい? あの、何故そのような」

「お慕いしているんでしょう。俺は構わないよ」


 この人の考えてることが分からない。

 彼は、何故こんなにも冷静でいられるのだろうか。

 他の令嬢から慕われている余裕からなのか。

 どっちにしろ私は、この人のことが苦手なのにかわりはない。

 だからこそ、この人を好きになりたくない。

 青年になれば私好みの顔になるんだもん。


 そうなる前に遠ざけたかった。


「わかりました」


 そう言ったのは、屋敷の外に行けないという確信があった。

 皇帝陛下に許可が必要になるし、陛下が許可するとは思えなかったから。


 それは殿下もわかっていることだと思うのに、会わせようとしてるのか分からない。


「ソフィア嬢」


 殿下が私の名前を呼んだので反応したら殿下の手が伸びてきたので驚いて後ずさりした。


「動かないで!」


 動くなってそれは無理!

 いきなり殿下の手が伸びてきたのよ。驚くでしょ!


 なに? なんなの!?


 後ずさるのを止めなかった私は後ろに池があることに気付かなかった。


 ーーそして


 ドボンッと、池の中に入ってしまった。バランスを崩した私は尻餅をついた。勢いよく尻餅をついてしまったのでお尻がかなり痛い。


 幸いなことに池は浅かったので溺れることはなかったけど全身ずぶ濡れでせっかくアイリスがメイクや髪型をセットしてくれたのに、なんでこうなっちゃうのかなぁ……。


 見上げると殿下が困った顔をして「だから言ったのに。動かないでって」と、苦笑していた。


 それだけじゃ分かるわけないじゃない!


 恋愛経験は乙女ゲームでしかないのに、いきなり手を伸ばされたらドキッとして、気が動転するに決まってる。


 でも、殿下に文句言えるはずがないから「申し訳ありません」と謝るしかできない。


 ドレスが水を吸って肌に張り付いて気持ち悪い。髪もベタっとしてて早くお風呂に入りたい。


「ソフィア嬢」


 殿下は驚きの行動をとっていた。なんと、池の中に入ってきたのだ。


「!? ダ、ダメです! 殿下まで濡れてしまいます」

「ごめんね、ソフィア嬢の髪の毛に薔薇の花びらがついてたからとってあげようと思ってたんだけど、後ずさるものだから咄嗟に動かないでって言ってしまったんだ」

「い、いえ、大丈夫ですので! 気にしないでください。それよりも」


 殿下は私に近付くと、横抱きした。


少女漫画にあろうお姫様抱っこというやつ。


「濡れちゃいます! 下ろしてください。歩けますので」

「驚かせてしまったのは俺が悪い」

「いや、でも」


 驚かせた責任は取ります、みたいな?


 そんな責任はいらないから下ろしてください。


 私を下ろすことが責任を果たしたことになります。なんて、そんなこと言えるはずないわよね。


 頑なに殿下の好意を拒むのは良くない気がする。だからといってこのまま屋敷内に入るとなったら、恥ずかしくて死ぬ!


 うぅ、


 どうしよう。


 そんなことを悩んでいたらエンドランスについてしまった。


 侍女五人とお義母さま、そしてお義父さまが居た。私と殿下に気付くとお義母さまが言葉にならない悲鳴をして倒れそうになったのを侍女二人が支えた。

 お義父さまは放心状態になっていた。


 侍女三人は私と殿下の元に慌てて来た。


 やっと殿下がお姫様抱っこから解放してくれた。


 ああ。


 なんでこんなことに……。










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る