第2話 嫁の心夫知らず
初太郎は途方に暮れていた。
つい先日、両親と娘の親代わりの老人だけで祝言を挙げて迎えた嫁にどう接すればよいか分からなかったからである。
そもそも、自分の嫁だという実感が無かった。
両親が己の代で祓い屋を廃業したくないからと自分に跡を継がせる為に所帯を持たせようとしているのは、何度も見合いをさせられていたので重々承知していた。
遅かれ早かれいつかは結婚しなければならないと思っていたが、いざそうなってみたらどうすれば良いのか。売られるようにして嫁入りしてきた娘はどうにも扱いに困った。
過去の見合いの席で痛感したが、自分は到底女に好かれるような男ではない。
そんなつもりは無くとも、相手を威圧してしまう鋭い目付きと厳つい人相。冷たい印象を与える低く野太い声音と、無愛想な喋り方。
普通にしているつもりでも怒っているか不機嫌だと思われてしまう。半泣きで震えて言葉を失うか、粗相もしていないのに謝ってくる見合い相手の反応を思い出して、初太郎は落ち込んだ。
祓い屋として一人前になることだけを考えて邁進してきた、鍛錬や座学を欠かしたことはない。遊びや恋愛ごとに費やす時間などなく、またそれを必要とすることも無かった。母以外の異性と関わったことも見合い以外ではほとんどない。
それゆえに女の扱いなどさっぱり分からないし、自分が夫としてどう振舞えばいいのか皆目見当がつかない。
親の決めた相手との結婚が普通とはいえ、嫁にと連れて来られた娘にとっては悲劇でしかないだろう。おそらく本人の意志など無視されて紹介料に目のくらんだ親代わりの老人に差し出され、自分のような凶悪な顔をした男の嫁になり魍魎退治の稼業を継ぐ。
生贄と相違ない状況に置かれた娘の境遇に、初太郎は同情の念を抱いた。いやそんな状況の原因でもある自分がおかしい話ではあるが、申し訳ないと深く思っていた。
裏通りに面した決して広いとは言えない割長屋の一棟で始まった新婚生活は、さぞ苦痛であろう。
祝言の時から何故か狐面を付けていて素顔を知らない娘に目を向ける、娘は朝餉をちゃぶ台の上に運んでいる所だった。
「…………」
なんと声を掛けていいのかわからず、無言でちゃぶ台の前に座る。娘は明るい声で「おはようございます初太郎さま」と頭を下げて、朝餉を用意し終えると畳の上に正座した。おはようと返そうか、いや挨拶程度とはいえ自分が喋ったら怖がらせるかもしれない、結局黙したまま初太郎は頷くだけで終わらせた。
「お口汚しだとは思いますが」
視線(と言っても面で顔を覆われているので顔の向きからそうだろうと見えるだけだ)で拵えた朝餉を差して娘は初太郎に食べることを勧めた。
礼を言おうかどうしようか迷ったが、これまた無言で初太郎は箸に手を伸ばして朝餉に口を付けた。
炊き立ての米と、味噌汁と、浅漬け。
物珍しいおかずはないが、それらは素直に美味だった。火加減が絶妙なのだろうか、ふっくらと甘みを引き出された粒の立った米と、出汁の利いた味噌汁と、ほどよく漬かった食感良い浅漬け。
空腹からだけでなく夢中で頬張っていると、強い視線を感じて初太郎はふと顔を上げた。面で隠されて表情は窺えないが緊迫した空気を纏って、娘がそわそわしながら自分を凝視していた。
食べ方が汚かったのか?と初太郎はばつが悪くなったが、娘は
「その……どうでしょうか、初太郎さまのお口に合いますか?」
と緊張した声で訊ねた。自分の行儀が悪かった訳ではないらしいと安堵しながら初太郎は短く答えた。
「おう。美味い」
素直な感想を言ったが、如何せん自分の無愛想な声では伝わらなかったのでは?恐る恐ると娘を振り返る。しかし初太郎の心配は杞憂だった。
「ああ良かった!」
心底安心したと語る声で娘は胸を撫で下ろし、顔も見えないのに喜んでいると分かる嬉々とした雰囲気を放って「おかわりありますので、足りなかったらおっしゃってください」と上機嫌に続ける。
そんなに喜ぶことか?不思議に思いながら初太郎は頷いてまた食べることに専念する。
自分のような男とひとつ屋根の下で暮らすなど苦行以外の何物でもないだろうが、思っていたよりも娘は普通だ。
怯えたり嫌がる素振りも見せずに、朝餉を用意してくれた。肝が据わっているのか、もしくは恐怖や絶望感が振り切れて躁状態になっているのかもしれない。
祝言の日に連れて来られた時は悲壮感漂う暗い雰囲気を纏って項垂れていたが、三献の儀の時には一転して「喜んで!」と杯をあおり「不束者ですが、どうぞ宜しくお願い致します!末永く!幾久しく!」と気圧されるくらいの勢いで叫び土下座の体勢を取った。
何故そう態度が急変したのかは分からない、まさか自分と結婚することになったことを喜んでいた訳ではあるまい。状況に適応しようと必死になった結果なのだろうか?
この結婚が嫌だという気持ちや初太郎への恐怖心を押し込め自分の心を殺して、相手の機嫌を損ねないように平気なふりの演技をしているのかもしれない。
(……正直に怯えたり嫌悪を露わにするよりこっちの方が不味いんじゃねえのか?)
感情を押し殺しては返って精神に負担をかけ、我慢の末に耐え切れず心を壊したりするのではないか、との一抹の不安に冷や汗が滲んだが、初太郎は考えるのを止めて箸を動かした。
不器用な自分が解決出来るとは到底思えない、下手に動いて事態を悪化させては目も当てられない。
離縁を申し出られたらすぐに解放してやらねば、自分にしてやれる事はそれくらいしかない。長くは続かないだろう娘との結婚生活に余計な波風を立てず慎重に行動しようと初太郎は決心しながら、咀嚼した米を飲み込んだ。
◆
娘は浮かれていた。この世の春とばかりに。
初恋相手の花嫁になれるという予想もしなかった幸運に舞い上がって、この世の全てが輝いて見えた。
初太郎は覚えていないだろうが、幼い頃に助けてもらったことがある。自分が今生きているのは初太郎のおかげだと言っても過言ではないほど幼い自分は救われて、そして恋に落ちた。初太郎にもらった優しさを、かけられた言葉を心の支えにし、後生大事に胸にしまって温めてきた。
何年も会っていなかったが、三献の儀で顔を上げて見た時に一目で分かった。
あの日、自分を救いそして初めて恋心というものを教えてくれた。あの幼かった男の子が精悍な青年に成長していた。一目で二度目の恋に落ちた、惚れ直した。
初太郎が気にしている鋭い目付きは、凛々しくて素敵!不機嫌そうに見える仏頂面は、硬派で素敵!低く野太い声は、落ち着きがあって素敵!乱暴に取られがちなぶっきらぼうな口調は、男らしくて素敵!
と全てが魅力的に思えていた。
竈に火を起こす手間も重労働の共用井戸からの水汲みも何のその、うきうき調理をして朝餉を拵えながら、初太郎が起きてくるのを待った。
部屋は別で初夜も結局迎えられていないが、娘は幸せでいっぱいだった。好いた相手と再会できただけでなくひとつ屋根の下で暮らしている、顔が見られるだけでも嬉しい。それがこの先ずっと続くのだ。
「私いま人生の中でいっとう幸せです!!」なんて大声で叫び出したいくらいだった。
起きて身支度を整えた初太郎が居間に来たのを足音だけで素早く察知して、娘は出来上がった朝餉をちゃぶ台にせっせと運んだ。冷めないうちに食べてもらいたいと。
ちゃぶ台の前に座った初太郎に「おはようございます初太郎さま」と頭を下げて、畳の上に正座して傍に控える。無視せずに頷いて返してくれたのに胸を弾ませながら
「お口汚しだとは思いますが」と箸を勧める。
初太郎は手を伸ばして朝餉に口を付けてくれる。
黙々と食べてくれてはいるが、自分の作ったものが初太郎の口に合うのか不安だった。好みの味を知らず普段の家事の延長線のようにいつも通り作ってしまったが、初太郎はどう感じているだろうか。
米の炊き加減は硬めかやわらかめどちらが好みだろうか?もうすこし水を少なめにした方が良かっただろうか、それとも多めの方が良かった?出汁は昆布だけで具も少ないが、もっと多く入れるべきだっただろうか、味噌の量と塩加減は大丈夫だろうか?浅漬けは自作のものを持ってきたが、もっと漬かったものの方が良かっただろうか?
はらはら、そわそわ、落ち着かない心持ちで初太郎を見つめる。
「その……どうでしょうか、初太郎さまのお口に合いますか?」
「おう。美味い」
短くもそう答えてくれた初太郎に、娘は不安が払拭され心から安堵して胸を撫で下ろした。
「ああ良かった!」
初太郎は嘘や世辞が苦手な性格だ。成長し子供の頃よりそれらを言えるようになっているかもしれないが、それでも元来の性格はきっとそこまで変わっていないだろうと娘は初太郎の言葉を素直にそのまま受け取った。
美味しいと言ってくれた、自分の作ったものを食べてもらえた。それだけで胸がいっぱいになっていく。面倒だとしか思えなかった家事も、初太郎の為ならばこんなにも遣り甲斐があって嬉しい。
「おかわりありますので、足りなかったらおっしゃってください」
喜びそのままの声音で言って、黙々と食べ続ける初太郎を眺めて娘は幸福に浸る。気持ちのいい食べっぷり、美味いと言ってくれたのはきっと嘘じゃない。
こんなに幸せでいいのかしら?不幸続きだった人生に突然の幸福が舞い込んできて、怖いくらいだ。
狐面の下でだらしなく顔をゆるめ、娘はうふうふ笑った。まさか自分が好かれているなどとは夢にも思わない初太郎が、娘はこの結婚を嫌がっているに決まっていると勘違いしているなどとは露知らずに。
魍魎祓いの恋と鬱 夜船 @yofunemachi
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