第三話 魔王の焦燥

 魔王に名前はなかった。


 全ての魔族を統べて、その頂点に立つ者。いわゆる、王――それだけで事足りるからだ。


 もっとも、魔王は勇者田中と違って美丈夫だった。


 さながら芸術的な氷像のようだ。世界の命運を決める戦いだというのに、お洒落な黒い外套を纏って、優雅に踊っているようにすら見える。


 そんな魔王はというと、そろそろ戦いにも飽きつつあった。


 当代の勇者は人族にしてはたしかに強い。ただ、その戦い方が基本に忠実すぎた。


 たとえるなら、バナナを剥いて食べるようなものだ。かつてとある魔将軍のパーティーでわざわざナイフとフォークで丁寧に切り分けて食べさせられたことがある魔王からしてみれば、何てことはない戦いだった。


 しかも、魔王はまだ三段階のパワーアップを残していた。それでも勇者に合わせて戦ってあげたのは、当代の勇者に対する礼に過ぎない。


 が。


 ふいに魔王に怖気が走った。


 勇者を見ると、どうやら同じことを感じ取っているらしい。魔王よりよほど脂汗を浮かべていた。


 次いで、魔王はちらりと上空に視線をやった。


 何かおぞましいモノがやってくる。これは邪神か外なる神の類に違いない……


 しかも、かなりの上空にいるはずなのに魔王はたしかな衝撃波を受けた。もちろん、それはいわゆるソニックブームだったわけだが、魔王がそんな物理現象を知るわけもなかった……


 何はともあれ、魔王にとっては決断のときだった。


 いったん勇者と停戦して、上空にある謎の脅威に如何に対処するか――


 さもなければ、この一帯は天体衝突に近い衝撃によって、全ての生物が死滅しまうことだろう。

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