第二話 勇者の事情

 南波七海のちょうど真下では、勇者と魔王が戦っていた。


 もっとも、七海はフリーフォールしているわけであって『真下』という表現は正確ではない。そもそも、ほんの少し手足を動かしただけで、あらぬ方向に回転して落ちていくのだ。


 だから、ここでの真下というのはあくまで便宜上に過ぎないわけだが……まあ、何にしても、そんな落下予想地点のあたりで、勇者たちはこの世界の命運を決する戦いをしてしまっていた。


 勇者の名は田中一郎――


 いかにも平凡な男子高校生だったが、一年前にきちんと王城に勇者召喚された。


 そして、チートとステータスには頼らずに、これまたいかにも地道にレベルアップを重ねて、勇者田中はついに魔王に挑戦した。


 勇者田中の見立てではすでに自分のレベルはカンストしていて、これ以上の修行に意味はなかった。それでも魔王とはほぼ互角――あとはせいぜい装備と経験の差だろうと踏んでいた。


 だが、そんな堅実なはずの勇者田中はというと、戦いながらすぐに不利だと感じてしまった。


 というのも、お腹が痛いのだ……


 この勇者、実は本番にひどく弱いのである……


 実際に、高校受験でも腹痛のせいで第一志望に落ちてしまったほどだ。


 そんなわけで、勇者田中は「ちょっとトイレ行ってきてもいい?」と、魔王にいつ切り出すか、悩みながらずっと戦っていた。


 そろそろお尻の防波堤も決壊しそうだ。脂汗も止まらなくなっていた。貧すれば窮するというが、思考も鈍くなってきている。魔王の攻撃を予想して、受けきることも難しい。これはとてもマズい……


 勇者田中はすでに涙目になっていた。


 そんなふうに涙で歪んだ視界ではあったが、勇者田中はふと不思議なものを見た――魔王の顔にも、なぜか大量の脂汗が浮かんでいたのである。

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