西日のさす温い部屋/高村 芳 への簡単な感想

 応募作品への、主催者フィンディルから簡単な感想を置いています。

 指摘については基本的に「作者の宣言方角と、フィンディルの解釈方角の違い」を軸に書くつもりです。

 そんなに深い内容ではないので、軽い気持ちで受け止めてくださればと思います。



西日のさす温い部屋/高村 芳

https://kakuyomu.jp/works/16817139554831081366


フィンディルの解釈では、本作の方角は真北です。

フィンディルが読んだ高村さんの過去作も含めて、高村さんが謳う“純文学”はジャンル的に感じられるんですよね。SFとかファンタジーの列に並ぶ感じといいますか。つまり「設定・雰囲気・世界観」というニュアンスで純文学という言葉を使われているように感じました。

ただ大衆文学がジャンルではないように、純文学もジャンルではないとフィンディルは考えます。大衆文学や純文学は「作品のありかた、面白さのありかた」という、ジャンルとは別の階層の種別であると思います。

ただ、純文学をジャンル的に採用するのは決して悪いことではないと思います。“純文学のジャンル化”は大衆文学のひとつの見せ方として全然アリだと思います。「外国の料理を日本人の口に合うようにアレンジした」みたいなものですから、気軽に純文学の空気を感じてもらう作品の見せ方としては全然アリだと思います。

ただ、フィンディルの解釈では真北です。


もし西を志向するならば、以前のフィン感で「設定に頼らない作品作り」を提案してみたので、もしかしたら本作はそれを取り入れたのかもしれません。本作に、設定面で目を惹くものは何もありませんからね。

ただ代わりに本作はギミックの主張が強いんですよね。思えばフィンディルが読んだ高村さんの過去作にはいずれも大なり小なりギミックがありました。設定は作品を立たせてないのですが、ギミックが作品を立たせている。

仮に本作からギミックを省いてみて作品を作品として立たせられるだけの心情描写・人物描写の強度があるのかというと、フィンディルにはあるようには見えませんでした。モラトリアム・性愛・背徳のこねこねぐねぐねが圧倒的に足りませんから。エンタメでも全然出せうる機微のように感じられました。本作の背骨になっているのはギミックです。

ですので追加の提案として、設定頼りでない作品作りと同時に、ギミックを使わない作品作りにも挑戦してみてほしいと思います。

ギミックなしで北性を出すのは何も難しくありませんが、ギミックありで西性を出すのはけっこう難しいです。

ギミックで面白さを出そうという発想だと、北西に至るのはなかなか困難かもしれません。真西が主戦場の人が北に寄せるときのアプローチでしょうから。

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