第4話 夕暮れ
鯉を購入した途端、アクアショップから頻繁に広告が入るようになった。この鬱陶しさを知る事もなく、夫は携帯電話で「ジンギスカン」を流しながら、池の周りで踊っている。サビの部分で立ち止まり、一心不乱に腰を振る姿は、変質者以外の何者でもない。逃げられない鯉は、暴れていた。
女性調査員が、帰り際、私に囁いた言葉を励みにしていた。
「以前よりもお綺麗になられましたね」
これが世間の評価だったら、私は報われる。
「何かありましたら、またご連絡ください」
男性調査員がそう言ったときには、
「本当ですか」
「いいんですね」
と何度も確認した。今しかない。
翌週、私は、携帯電話を置いて、家を出た。探偵会社の車が迎えに来た。調査員が3名、乗車していた。夫から連絡が入っているかもしれない。胸の鼓動は落ち着くことを知らない。家が遠くなるに連れ、胸が張り裂ける思いは強くなった。夫の会社が見える位置で停車した。結婚前に夫が案内してくれた街。一緒に行った老舗洋食屋は、コンビニになっている。本屋は、スポーツジムになっている。工事中のビルもある。街の変化を目の当たりすると、今、抱ている自分の夢が当然のもののように思えた。
今日は、愛人の日。夫は、定時で退社して、いつも利用するホテルに直行する。調査員達は、そう睨んでいた。無駄を嫌う夫はそうする。私は確信していた。夫の姿が見えた。駅へ向かっている。私達の家のエリアへは行かない路線。電車一本で通勤している夫が、電車を駆使して人生を楽しんでいるように見えた。忌々しい。車が動き出す。夕暮れが、ビル街を包み込んでいる。永遠の美しさ。夫は、自然現象に目を奪われることはない。
ホテル街に移動した。男性調査員が、ホテルの待合スペースへ向かう。今日は、有名アパレルブランドのTシャツ、ジーンズ。待機時間、似たような格好の男性をよく見かけた。
「あれ。来た」
女性調査員が言った。
「あれ、そうです」
私が被せた。コンビニの袋と鞄を下げた夫がホテルに入っていく。威風堂々としている。
「お気を確かにね」
運転席の男性調査員が優しく声を掛けた。女性調査員は、無線で連絡している。
「502」
女性調査員が、携帯電話を見ながら言った。部屋の番号がメールで報告された。それから、沈黙が続いた。
「来た」
女性調査員が叫び、また無線で連絡した。愛人が姿を現した。死んだ目をしている。足取り重く、何もない所でつまづいた。悲愴感が漂っている。一年前の自分の姿を重ねた。私達は、愛人がホテルに入るのを見届けた。
「本当に行かせて良いんですか」
打ち合わせで、何度も確認された。浮気なんて、今更どうでもいい。
「良いんです。行かせてください」
私は、懇願した。
約30分後、男性調査員から無線で連絡が入った。愛人が退室した。女性調査員と私は、車を後にした。
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