第3話 欲望の行方
夫が、庭の池に電話をかざしている。鯉に「威風堂々」を聞かせているのだ。洒落臭い。音楽が止むと「少ない」と乱暴に言い放ち、自分の部屋へ足速に戻った。
昨日、中国語とエクササイズに熱を入れすぎて、近くのスーパーに行けない程、私は疲れていた。また池の鯉を調理してしまったのだった。今回は、空腹に負けて、私も食べた。さすがに3分の1もいなくなると気付かれたか。似たような鯉をストックも含めて発注するか。思案に暮れた。
私は、また探偵会社に連絡をした。鯉を発注する前に見ておきたいものがあった。電車内での夫の様子。依頼から4日後、調査員と一緒に動画を見た。一人で見ても呪いのビデオのようで落ち着かないから、探偵会社のシステムに少し安心した。
夫は5時過ぎに会社を出た。それから駅へ向かう。駅ビルで小さな焼き菓子セットを購入。それと自分の鞄を持って乗車。私が行くことがない土地へ向かう電車に夫が乗っている。2号車の1号車に最も近い場所に立った。そこから、1号車の女性専用車両を見つめている。
「あっ」
突然、夫が下を向いた事に驚き、私は思わず声を出した。
「女性と目が合ったのでしょう」
女性調査員が早口で言った。夫は次の駅で乗り換え、同じ車両の女子高生を眺めていた。乗客は皆、携帯電話に夢中で他人の事なんて気にしていない。夫は、それを知った上で、女性をなめ回すように見ている。視線の方向を他の女子高生に変えた。しばらくして、夫は降りた。向かった先は、お手洗い。追う男性調査員の姿が映っていた。他の調査員にカメラを託したのだろう。出てきた夫の恍惚たる表情は、癪に障った。
「お菓子は、プレゼントされましたか」
男性調査員が尋ねた。
「いいえ」
そんなこと、あるわけがない。野暮な事を聞かないでほしい。
「フェイクですね」
女性調査員が言った。
「ショップの袋はイメージ戦略で利用されます」
女性調査員が続けた。私は、てっきり好みの販売員がいて、近付くために購入したのかと思っていた。
「イメージですか。お菓子屋のイメージ…」
お菓子屋のイメージよりも、お菓子が何処へ消えたのか、気になっていた。自分で食べたか。部下にあげたか。それとも、愛人か。
「家族や恋人達のために買った善人と思われます」
羊の皮を被った狼は、街の狼。私が思考をめぐらせていると、男性調査員が言った。
「警戒心が強く、危機管理能力が高いですね」
「攻めすぎないようにしてるところですか」
私が尋ねると、彼等は頷いた。理解し始めた自分がいた。
「気付かれると、ターゲットを変えてますね」
迷惑行為防止条例を気にしているのだろう。汚い。卑劣極まりない。
「お手洗いでは、個室でしたかね」
私は、興奮のあまり語尾を強めた。
「はい」
「やっぱり」
綺麗好きの夫は、外出先でお手洗いの個室は使わない。そのために胃腸を鍛える程、徹底している。そんな夫が、個室で何をしていたのか、想像がつく。この一年、私は彼女の作品を見ていたのだ。私には免疫が出来ていた。
「個室の滞在時間は」
私が尋ねると、男性調査員が申し訳無さそうに言った。
「2分未満でした」
とりあえず、私は鯉を発注した。
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