第4話 「私は私なの?」

 暁音あかね亜里沙ありさは、前回旧校舎で交した会話のせいで気まずくなっていた。


 暁音は特に気にしていないように振舞っているが、亜里沙が逃げるように顔を逸らしてしまう。

 なにか怖がっているような表情を浮かべており、暁音は不安げに眉を下げため息をつく。


「これ、私が原因なんだよね。のも時間の問題っぽいな」


 そんな言葉を零し、いつも通り席につき本を読み始めた。


 ☆


 それから数週間の時が過ぎる。

 今は逃げる事までしないが、亜里沙は暁音に話しかける事もしない。

 外から暁音は亜里沙を観察するように本の隙間から見ており、放課後旧校舎へと行き月海るかに報告。それを聞いている彼は、相槌を打ちながら顎に手を当て考える。眉間に深い皺を刻んでいるため、良い方向に進んでいないのはわかる。



『多分、もうそろそろだと思う』

『みたいだね。直接見たのは二回だけだけど、その時でもギリギリ保っていた。初めてここに来た時も伸びきっていたしね。が』

『月海さん』

『…………はぁ、分かってるよ。できる事はする。君も、ちゃんとしてね。あと、結果は期待しないで』



 そんな会話を交した次の日。

 暁音は亜里沙に声をかけようと近づいた。だが、本人は気まずそうに距離を置いてしまい躊躇する。


 話せないまま時間が過ぎ、あっという間に放課後になってしまった。今は掃除の時間。亜里沙はクラスメートと一緒に話しながら雑巾を片手に持っている。


 暁音はそんな亜里沙の様子を見て、話しかけるのを諦めた。


「まぁ、今日じゃなくても…………」


 鞄を片手に、暁音は旧校舎に行こうと教室のドアへと向かう。最後に、気づかれないように横目で亜里沙を見る。

 亜里沙は雑巾かけをしようとしているらしく、バケツの近くに移動してしゃがんだ。


 そんな様子を見ていた暁音は、微かな違和感を感じ立ち止まる。


 普通なら袖を汚さないためめくるはずなのだが、話す事に集中している亜里沙は捲らずバケツに手を入れてしまう。

 案の定、袖は濡れてしまった。


「あれ、亜里沙ちゃん。祖で汚れているよ。捲ってあげるね」

「え、だ、だいっ――……」


 触れられるのを拒もうとした彼女だったが、遅かったらしく袖が捲られてしまう。


「――――え、亜里沙ちゃん。その、手首……」

「…………っ……」


 袖を捲った友人は、隠れていた赤い傷を見つけ目を開く。思わず問いかけてしまった友人の言葉に、亜里沙は答える事ができず俯いたしまう。


「それ、どうしたの?」

「なんでそんな事してるの?!」

「何かあるなら話を聞くよ?」


 次から次へと心配の言葉をかけられており、何も答えられず亜里沙は周りの視線から逃げるように俯き続けた。

 左手首を強く掴み、後ろへと下がる。顔を青くさせ、言い訳をしようと目を泳がせていた。だが、次から次へと質問攻めされ言葉を繋げる事が出来ていない。

 このままでは心が壊れてしまう可能性がある。


 暁音は立ち止まったまま、表情一つ変えず見ている。だが、何かに気づきはっとなる。


「ここで声をかければいいのかな」


 誰に聞くでもなく、小さく呟き暁音は足を踏み出した。

 その時「こんな時は、確か……」と考え始める。


 亜里沙の前に立った時には、考えがまとまり顔を上げる。その表情は、少し焦っているようにも見え、本気で亜里沙を心配していた。


「鈴寧ちゃん…………」

「大丈夫?」


 定番の言葉を投げかけた暁音。そんな言葉に少し驚き、亜里沙は目を泳がせ逃げるタイミングを計っていた。その時、教室の後ろから驚きの声が聞こえ始めた。

 その声反応し、亜里沙含め女子生徒は教室の後ろを見る。


 黒い髪で顔半分を隠し、白衣を靡かせている一人の男性が真っすぐ亜里沙の所に移動して腕を掴んだ。


「言っておくけど、これは君に好意を持っている訳では無いから。勘違いしないでよ」


 低音で口にすると、暁音の隣を通り教室を後にした。


「えっ、!?」


 振り返りながら叫び、暁音は月海の背中を追いかけるようにその場から走り出す。


 何が起きたのか分からないクラスメートは、お互い顔を見合わせ無言。だが、追いかけようとする人はいなく、ただ顔を見合わせるだけだった。


 ☆


 新校舎を出て裏山へ。そのまま旧校舎へと走る月海と亜里沙。 

 周りは夕暮れでオレンジ色に輝き、裏山を照らす。だが、木々で遮られているため、森の中は薄暗い。歩き慣れていない亜里沙は、腕を引っ張られながらも転ばないように消えお付けていた。


「あっ、あの!! 誰ですか?!」

「い、いいいいい今話しかけないで。君の声を聞いただけで足が震えそうになる」

「なんでですか?!」

「だから話しかけないでって!」


 走りながら震える手で亜里沙の手首を掴み、月海は旧校舎の中へと入っていった。その後ろを少し遅れて、暁音が入る。


 廊下を走っている時、亜里沙は我慢の限界になったのか手を振り払い立ち止まる。


「一体なんなんですか!! いきなり人を引っ張ってきて。それに、なんで旧校舎なんかに連れて来るんですか!!」

「だ、だからぁ。お、おおおお大きい声出さないでよ……」

「…………本当になんで、連れてきたんですか……」


 手を振り払われた月海は、怯えながら亜里沙から少しだけ距離を置きしゃがむ。

 顔色が先ほどより悪く、体を小刻みに震わせながら頭を抱え、何とか亜里沙の言葉に返している。

 そんな彼の姿を見た亜里沙は、本気で何がしたいのかわからず困惑するのみ。疑問を口にするが、返答はない。

 二人の中に微妙な空気が流れた時、遅れて追いかけていた暁音がやっと追いついた。


「はぁ、はぁ。やっと、追いついた」


 肩で息をしながら汗をぬぐい、暁音は今の状況を理解しようと周りを見回す。そして、月海の姿を確認した後、何してんだと言いたげな顔で彼を見た。


「あの、いきなりなんですか。貴方は誰ですか。一体何を目的として私をここに連れてきたんですか!」

「君、僕に答えさせる気ある? そんなに次から次へと質問されても答えられないんだけど。そこはしっかり考えてよ」

「…………月海さん。白衣を頭に被りながらのその言葉は……かっこ悪い」

「うるさい」


 極度な人見知りなため、月海は人の顔を見て話す事が出来ない。今も質問攻めにされ、顔を白衣で隠しながら言葉を発している。

 怖がってはいるが、それでも嫌味ったらしい口調で言い放っているのはさすがとしか言えない。


 二人は月海の姿に溜息をつき、顔を見合せ暁音が先に口を開いた。


「ここまで引っ張ってしまったのはごめんなさい。でも、あのままあそこにいたら佐々木さんは危なかったと思う」

「…………どうして」

「多分、無理やり閉じ込めていた思いが溢れて後悔するこ事になってた」


 冷静で感情のない暁音の言葉に、亜里沙は拳を握り顔を逸らす。


「溢れると、どうなるのよ……」

「そうね……。貴方が貴方ではなくなるわ」


 一度考えるように言葉を止め、口調で暁音は亜里沙に伝えた。まるでそう言わなければならないような。どこか芝居めいているような。どちらにせよ、暁音の本心ではない。そんな彼女の言葉に、亜里沙は目を開き固まった。

 暁音の芝居には気づかず、震える口を静かに開く。


「私ではなくなる。なら、今の私は何?」


 亜里沙の言葉を暁音は理解できず首を傾げた。答えようともせず、時間だけが刻一刻と過ぎていく。

 亜里沙は我慢ができなくなり、再度口を開いた。


「私ではなくなる。でも、今の私が私である証拠は。今の私が、本来の私である証拠はなに? 私ではなくなるって、どういうこと?」

「…………」


 亜里沙は壊れたおもちゃのように、同じ事を。似たような言葉を問いかけ続ける。その声には抑揚がなく、暁音は今までの空気とは明らかに違う亜里沙を感じ取ってしまった。冷や汗を流し、逃げるように後ずさり始める。


「私が私ではなくなるなら、今の私を教えてよ。ねぇ、私はなに。今の私はなんなの。ねぇ、今の私は私なの?」

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