第6話 ゆうれいだがしやさん

それは夏休みも終わりが近づいていた、ある日のことだった。

「今日は冒険に行くよー!」

 私の家の前でピンク色の自転車にまたがった杏璃がそんなことを言ってきた。

「ポキモンでも探しに行くの?」

 玄関先で立っていた私が、杏璃に尋ねた。

「それこの間遊花達とやったじゃん!」

三日前、『ポキモンGO』という、世界各地に散らばった『ポキモン』を捕まえるアプリゲームを杏璃と遊花ちゃんと何人かで遊んでいたのだった。

『いくらレアなポキモン見つけたからって周りを確認しないで突っ走ったらだめよ!

 これで交通事故なんて起きたら突っ走ったバカのせいじゃなくてゲームがほぼ全面的に悪いって報道されちゃうんだからね! あとあたしが好きなゲームで事故が起きるなんて絶対嫌だから!』

 遊花ちゃんがそんなことを言ってたのを思い出した。

 遊花ちゃん……たまにまともなこと言うんだけど、微妙にズレてるような気もするんだよなぁ……

「確かに探し物なんだけど、今日探しに行くのはこれ!」

 杏璃がスマホをかざして、ある画面を見せてくる。

「都市伝説……?」

 それは都市伝説をまとめた怪しげなホームページだった。

「その中にこういうのがあってさ! 『幽霊駄菓子屋』って言うんだけど! それがちょうど隣町にあるんだってさ!」

「ゆ、ゆうれいだがしや……?」

「よくわかんないけど幽霊が経営してる駄菓子屋さんがあるんだって! なんだか興味湧かない⁉」

「ゆ、幽霊が経営……? 怖くない? 幽霊が経営してるって……」

「はづは幽霊が経営してる駄菓子屋さんはダメって言うの?それ、幽霊差別だよ!」

「幽霊差別ってなに……?」

 さっきから杏璃の言葉を聞き返してばかりだけどさっきから杏璃がよくわからないことばかり言っているので無理もないと思う。反面、杏璃の目は好奇心できらきらしたものになっているけど。

「大丈夫! 幽霊が襲ってきてもあたしがお経唱えて追っ払うから!」

「それ、遊花ちゃんの時にやったデタラメなお経?」

「デタラメとは失礼な! ちゃんと効いたもん遊花には!」

「遊花ちゃんに効いてどうするの⁉」

 ゲーム対決の時に杏璃がお経唱えたところを遊花ちゃんがその圧に動揺したあれのことを言っているのかな……

遊花ちゃんの事を幽霊のように思っているのかな、杏璃は……

 今頃遊花ちゃん、くしゃみでもしてないかな、といらない心配をしてみる。

「とにかく! その幽霊駄菓子屋さんに行こうよはづ! ほら後ろ乗って後ろ!」

 ぱんぱんと荷台を叩いて私を招いてくる。

「うーん……でも、本当にそんな場所あるのかなぁ?」

「それを確かめに行くんじゃん!」

「う、うーん……」

 今までの経験から言って、私が杏璃を止めても聞いた試しがないし……

「ひと夏の冒険したくない⁉ 冒険だよ冒険!」

「むむ……冒険……」

 冒険、とここまで押されると子供心としては正直傾きそうになっている。

「ひと夏の冒険か……まぁ、ちょっとそういうのは憧れちゃうかな?」

 杏璃の言うことにまんまと乗ってみよう。

「言っとくけど、本当は自転車の二人乗りなんて禁止なんだからね」

「わーってるって。そっちこそあたしが運転してるときに変なとこさわんないでよ」

「杏璃じゃないんだから大丈夫ですよーだ」

 横座りの形になって、自転車の荷台に乗る。

 目的地は幽霊駄菓子屋さん。

 その響きはちょっと怖いけれど、ちょっとわくわくする自分がいて。

 杏璃と一緒なら少しだけ怖さが和らぐ自分がいることも知った―――。


◆   ◇   ◆


 出発して四十分は経っただろうか。

 自転車は私達を載せて、隣町の土手道まで来ていた。

 土手のふもとの川は澄んでいて、きらきらと日差しを受けて白く反射している。

 原っぱの緑も同様に日差しを受けて鮮やかに色づいて、見上げると、無限に続く群青と巨人のような夏雲が広がっていた。。

 日差しは強くて暑いけれど、涼しい風が吹いていて気持ちいい。

 この辺りは来たことがなかったけれど、こんなきれいな景色があるとは思わなかった。

 遠くからはセミの声が聞こえてくる。

 近くで聞くとうるさく感じるけれど、遠くで聴くと夏のBGMと感じられる、じりじりとした音。

 そして夏の匂い。言い表すのが難しいけれど、ちょっとしめっぽさもある、それでいてお日様のような匂い。

 私は今、全身で夏を感じている。

 風が吹いていて汗ばむけれど、それほど不快感はない。でも……杏璃はどうだろうか。

「うひぃ……結構しんどい……」

 私を後ろに乗せて自転車を漕ぐ運動と日光により杏璃の身体は汗でぐっしょり濡れていた。。

「大丈夫? 代わろうか?」

「いやー……大丈夫だよ……だってはづ、あたしを後ろに乗せて漕ぐの無理だろうし……」

「な、なんとか頑張ってみるよ!」

「えー……じゃあ代わってもらうけど……あたし、どさくさにはづのお尻とか触っちゃうかもねー?」

「…………休憩しよっか」

 口ではああ言ったけど私が杏璃を後ろに載せて自転車を漕げる自信が元々無いし。それをわかっていて杏璃がお尻触るなんて言ったんだろう。

 ……本当にお尻を触られでもしたらその拍子に驚いて、自転車が転倒しちゃうかも知れないのでやめて欲しいけれど。

 そろそろ休憩した方がよさげだよね。熱中症も怖いし。

 土手道の脇に自転車を停め、土手の原っぱに座り込んだ。

「うひー……生き返るぅ……」

 私の隣に座り込む杏璃がタオルで汗を拭いながら、くぴくぴと水筒のお茶を飲む。

「熱中症には気を付けないとね」

「ねぇ、ちゅーしようって⁉」

「しーまーせーん」

 最近杏璃の扱いに慣れてきた気がする。

 “こいびと”になる前よりも距離が縮まったと考えてもいいのかなぁ。

 初々しさがなくなったという残念な気持ちちょっぴりと、距離がさらに縮まっているという喜びいっぱいの気持ちがあったりする。

「そういやさぁ、こないだお盆だったよね、はづ」

「そうだね。ご先祖様が帰ってくる日だよね」

「そう言えばさ、お盆の日にママがナスビとキュウリに爪楊枝や割り箸挿して遊んでたんだけど、あれなんだったのかなぁ? 食べ物で遊んじゃだめじゃないあれ⁉」

「遊んでるんじゃなくて、あれはご先祖様が帰ってくるための乗り物を用意してるんだよ。

精霊の馬って書いて、精霊(しょうりょう)馬(うま)って言うんだって」

「精霊馬⁉ ゲームのモンスターみたいでかっこいい!」

 精霊馬という響きに杏璃が目を輝かせる。

 見た目はちょっとシュールだけど名前はかっこいいよね。

「あれに一回乗ってみたいなー、いいなー、ご先祖様」

「シュールな絵面だと思うんだけどね」

 結構楽しそうな気はしてきたけど。

「あたしがあれに乗るときはナスビにジェットエンジン付いたやつがいいなー! 絶対かっこいいし速くて楽しいよ!」

「杏璃って時々感性が男の子だよね……」

 もうちょっとメルヘンチックにナスビに乗る夢を見たりしないのかな……?


(―――お盆、かぁ。)

 おばあちゃん、ちゃんと戻ってこれたかなぁ。

 私が5才の頃に“天国に行った”おばあちゃん。

 どんな人だったか詳しくは覚えていないけれど、今よりずっと小さくて、泣き虫でなかなか友達が出来なかった私を、抱きしめて慰めてくれていたことは覚えてる。

 きっとやさしい人だったんだろうな。

 もし、また会えたら、“ありがとう”って。そんな言葉が言えたらいいな。

「休憩終わり終わり! さぁ乗ってはづ! 冒険はまだまだこれからなんだから!」

 杏璃が立ち上がった。おばあちゃんのことを思い出してしんみりとしかけたことろだったので、ナイスタイミングだ。

「うん、いこっか」

 立ち上がり、手のひらでお尻をはらう。

 冒険再開。一体どんな冒険が私達を待ち受けているのだろうか。

 そんなモノローグを頭の中で流し、杏璃の自転車の荷台に座り込んだ。


◆   ◇   ◆


「まさかこんなとこにあったなんてねぇ」

 休憩場所からさらに自転車を漕ぐこと三十分。

 土手を抜けた隣町のはずれに、そこはあった。

 私達以外誰も通らないあぜ道のような場所に、ぽつんと立つ一軒の木造家屋。

その古びた茶黒の建物には『駄菓子屋 まよいが』と書かれた看板が入り口の上に掲げられていた。

「まよいが……? 変な名前……」

「こら、失礼でしょ杏璃。お店に変な名前って」

「マヨイカだったらおいしそうな名前だったのにね!」

「なんだかお父さんが食べるおつまみみたい……」

 駄菓子屋というよりもお化け屋敷のように見える。その外観からは圧迫感めいたものも感じた。

「都市伝説スポットはこの辺りって書いてあるから間違いないよ」

「間違いないからここにそれらしき駄菓子屋があるんだろうね……うう、なんだか怖くなってきた……」

「なーに怖がってんの! あたしがいるから大丈夫っしょ!」

 そう言いながらぐい、と杏璃が腕で私の肩を寄せてくる。

「で、でも……本当に幽霊が出てきたら……」

「だからお経を唱え」

「なくていいから……引き返すなら今だよ?」

「ねぇ、はづ」

 神妙な声でぎゅ、と杏璃が私の手を両手で包むように握ってきた。

 そして真剣なまなざしで、私を見つめてくるのだった。


「これから何があってもあたしがはづを守るから。それだけは信じて、ね?」

 それはまるで覚悟を決めた王子様のような、きりっとしたまなざしだった。

「…………ぷふっ」

 そんな顔に、私はつい噴き出してしまう。

「な、なんで⁉ なんで笑うの⁉ ねぇ⁉」

「ご……ごめ……! でもあんまりにも普段の杏璃と全然違いすぎるっていうか……!」

「むむぅ……折角人生イチのキメ顔したのにぃ……!」

「あははは……うん、でも元気出た。入ろう」

 実はちょっとかっこいいと思ったりもしたけれどね。

 でも、私の“おうじさま”は。ちょっとしまらないところがまた魅力的だったりする。

 頼りになるんだかならないんだか、わからないことはしょっちゅうだけど。

 それでもこうやって私に元気をくれる“おうじさま”だから。結局は頼りになるんだとは思う。

 私の“おうじさま”が私を元気づけてくれるなら、私もそれに応えなきゃね。

「よし、じゃあ行こう。私が開けるよ」

 杏璃の右手を握る。空いた自分の右手は駄菓子屋の引き戸に。

「…………」

 息を呑み、杏璃の右手を余計に強く握りながら、引き戸を開いた。

 その店の中は――――――

「わ! おもちゃやおかしがいっぱいある!」

 杏璃の言う通り、木製の棚には駄菓子やおもちゃでいっぱいだった。

 お店の中は古びていたけれど、汚いというわけではなく。

 薄明るいオレンジ色の明かりが、『古びた』という言葉を『レトロ』というおしゃれな言葉に変える働きをしていて。

 エアコンは見当たらないけれど、不思議なことにひんやりとした空気があって気持ちいい。

 どこからか流れてくる風に揺られた風鈴の優しい音色とゆっくりと回るかざぐるまが、いっそう部屋の温度を下げるように感じさせた。

 それに……なんだか懐かしい匂いがする。そのおかげか、妙に居心地の良さを感じた。

「あらあら、いらっしゃいな」

 店の奥から割烹着を着たおばあさんが店の奥から現れた。

 このお店の店主さんだろうか。顔に深く刻まれたしわが、より優しさを感じさせる顔立ちをしたおばあさんだった。

「お、おじゃましますっ」

 ぺこ、とお辞儀をする。緊張のせいか妙に改まってしまう。

「おやおや、行儀のいい子だねぇ」

 落ち着いた声でおばあさんが私をほめてくれる。

 おばあさんの顔は笑みによってより深いしわが刻まれた。

「えへへ……ありがとうございます……」

 その言葉になんだか胸が喜びでいっぱいになる。

 行儀をほめられると、行儀を教えてくれたお父さんやお母さんもほめてくれてるような気がして。

(なんだ、全然幽霊駄菓子屋じゃないじゃん。)

 ごにょごにょと杏璃が耳打ちしてくる。

(おばあさんの前で内緒話するのも失礼だけど……そんなに怖くないところだよね。)

 私もひそひそ声で杏璃に返事をする。

 おばあさんは笑顔のまま『どんな話をしているのだろう』とちょっとだけ首を傾げているけれど。

「まぁいっか! 色々あるし、見てみようよ!どんなのがあるかなー?」

 早速ワクワクに背中を押された杏璃が、店内を見て回る。

「見て見てはづ! おもちゃの銃だよこれ! ばきゅーん!」

 おもちゃのピストル二丁を両手で持って杏璃がはしゃぐ。

 杏璃が引き金を引くとカチ、カチとピストルから乾いた音がした。

「杏璃ってやっぱりたまに感性が男の子だよね……」

「えー? いいじゃん。かっこいいんだし。あ、これ見て!」

 今度はビー玉やおはじきが詰められた網袋を見せてくる。

「すっごくきれい!まるで宝石が詰まった袋だよこれ!」

「きれいだね……」

 小さいガラスで出来た玉や板の中には鮮やかな赤や黄色の塗料のようなものが浮かんでいて、きれいさを際立たせていた。

 おもちゃの棚を見渡してみる。

 けん玉。竹で出来たおもちゃのヘビ。竹とんぼ。風船セット。シャボン玉セット。

 いくつかは見たことあるけれど……

「ナニコレ⁉ 煙が出る玉⁉ おばーちゃん、どうやんのこれ⁉」

「あ、私も気になります!」

「んん? ああ、これはねぇ……」

 知識としては知っているけれど実物は見たことない、あるいはまったく見たことのないようなおもちゃもあって、私達の興味を惹き続けた。

「わぁ見て! おかし! どれもおいしそう!」

 今度はお菓子の棚を見る。

 ポン菓子。スナック菓子。ラムネ菓子。小さいドーナツ。多様な種類のお菓子がずらりと並んでいた。

 一言で駄菓子と言っても、その種類が豊富なのが駄菓子の魅力なのだと思う。

「あー……そう言えばあたし、ずっと自転車漕いでてお腹空いてたんだ……よーし、いっぱいおかし買うぞー‼」

「おっほっほ。入口の前にカゴがあるから、それを使って買い物してってねぇ」

「はーい!」

 おばあさんに促されるまま、杏璃が小さな買い物カゴを片手に持つ。

「よーし、収穫収穫ー!」

 駆け足気味に店内を回る杏璃。

「もう、杏璃ったらすっかりはしゃいじゃって」

 思わず笑みがこぼれる。今の私達にはここが噂の『幽霊駄菓子屋』さんなんて考えはとうに消えてしまった。

「元気なお嬢さんだねぇ」

「あはは……元気すぎてちょっと困ってます、はい」

 横からのおばあさんの言葉に、はにかんだ笑顔で応える。

「おっちょこちょいでちょっとわがままだけど……あの子といると、いつも楽しくて」

 えっちなこともしてくるけれど、はこの際流石に伏せておくとして。

「いつも私に元気をくれるんです」 

いつも『可愛い』ってほめてくれて。素直な子で、優しい子で。

 私は杏璃のダメなところもいっぱい挙げられるけれど、好きなところはそれ以上に挙げられる。

「あの元気な子のこと、好きなんだねえ」

「ええ―――だってあの子は私の……“こいびと”ですから」

 あ、しまった。つい感極まって余計なことまで言ってしまった気がする。

「い、いえ違うんです! いや合ってるんですけど! でもその……!」

 しどろもどろになりながら変なことを言う私。

「おっほっほ。仲がいいんだねぇ」

 そんな私に屈託のない笑みをおばあさんは浮かべた。

「あ……あはは……」

 うぅ……恥ずかしい思いした……

 そんな私の恥ずかしさなど知る由もない杏璃は宝の山を漁るようにお菓子や玩具に手を付ける。

 みるみるうちに杏璃のカゴはお菓子の山を築いていった。

「これもおいしそうだしーこれも買おー♪」

「そんなにいっぱい買うお金あるのー?」

「ここのお菓子滅茶苦茶安いんだもん! 買わなきゃ損だよ!」

「わ……確かに安い……」

 スーパーで売っているようなお菓子の半額以下の値段じゃないかと思わせるぐらいにどのお菓子も安い。

 品揃えも豊富だし、毎日でも通いたくなるようなお店だ。

 私も飴やスナック菓子などをカゴに詰め、杏璃と一緒にお会計する。

「おっほっほ。お嬢さん達いっぱい買ってくれたねぇ。ありがとう」

「こちらこそありがとうございます」

「ありがとーねー! おばあちゃん!」

 紙袋にいっぱいお菓子を詰めて、私達はおばあさんにお礼を言う。

「なかなかここには人が来ないもんでねぇ。お嬢さん達が来てくれてあたしゃ嬉しいよ」

「毎日でも通いたいよ! うちから結構遠いからちょっと難しいけどさ!」

 杏璃、すっかりおばあさんになついてるなぁ。元々人懐っこいもんね。

「お嬢さん達。また来てね」

「うん! またね!」

「はい! また来ます!」

 おばあちゃんに手を振って、お店を出ようとする。

 お店の引き戸に手をかけた……その時だった。

 おばあさんの声で……ある言葉が、耳に届いた。


―――葉月ちゃんにも、大事な人が出来たんだねぇ。その子、大切にするんだよ―――

 

え? 今、なんて――――――

目を大きく見開く。なんで、初めて会ったおばあさんが……私の名前を……?

 名乗った覚えもないし、杏璃だって『はづ』としか呼んでいないのに。

  私は振り向いた。けれど、おばあさんはもういなくて。

( あれ……店の奥に入っちゃったのかな……?)

 ちょっとぼーっとしすぎていたのかな、私。あるいは空耳だったかも知れない。

 けれど……もし、”あの人”だったら。そんなことはありえないと思うけれど。


「はづー。どうしたのー?」:

先に店を出ていた杏璃から声をかけられた。

「あ、うん。今行くから!」

 杏璃を追うように店を出る。


◇   ◆   ◇


 お会計を済ませた私たちは店の前に置かれたベンチに並んで座り、ソーダアイスを頬張っていた。

「いやー、それにしても不思議なお店だよねー」

 そんな不思議なお店の前で杏璃が呑気に言った。

「ほんとね……あのおばあさん一人で経営しているのかな?」

 疑問は尽きないけれど、私の口の中で溶けつつあるアイスは本物のようだ。

 ひんやりとして、噛むと固いけれど口に入れてしまえば柔らかい食感と甘く爽やかな味が身体を潤す。

「んぐっ……まぁ、お菓子が本物だし変なこともないならいいんじゃない? 私たちをお菓子いっぱい食べさせて太らせてから食べるようなおばあちゃんでもないみたいだったし」

「まぁそうだけど……」

 考えすぎなのかも知れない。あまり難しく考えず、目の前のアイスに集中しよう。

「あむっ……」

 しゃくしゃくとアイスを頬張り続け、飲み込む。冷たいアイスが喉を通る感覚が気持ちいい。

「おいしい……これ食べてると夏が来たって感じだよねー……」

 少しずつ傾きつつあるお日様を見上げる。暑いけれど、日差しを浴びるのはやはり心地いい。

 周りは木が多く、目に優しくいい匂いがして身体が落ち着く。

「たまにはこういうのもいいな」

「そうだねぇ……」

 杏璃もしみじみとした面持ちでアイスを頬張り続ける。

「あ……!」

「どうしたの?」

 杏璃が先ほど食べ終わったアイスの棒を見て、びっくりとした表情を浮かべていた。

「当たりだよ当たり! アイスもう一本!やった!」

 アイスの棒を私に見せ、杏璃がはしゃぐ。

「すごいすごい! 私アイスの当たりなんて初めて見た!」

「あたしも! 早速交換してもらお!」

「もう一本食べるの? おなか壊すよ?」

「えー? でも改めてここに来るのは難儀だしさぁ、今交換した方がいいんじゃない?」

「確かにそうだけど……」

 ここまで片道どれぐらいかけて来ただろうか。1時間半?

「はづが半分食べてくれたら大丈夫だよ、まだいける?」

「まぁアイス半分ぐらいなら……」

 半分こ……”こいびと”と何かを分け合うのはちょっと憧れているシチュエーションの一つだったりするし。

「じゃあ早速交換だー!」

 杏璃が勢いよく振り返った……その時だった。


「あれ……さっきまでここに……あったよね……」

「え……? なにこれ……?」

 自分達には信じられないことが起こっていた。

 確かに私たちは駄菓子屋さんの前にいたのに。その駄菓子屋さんが忽然と……『姿を消していた』のだった。

 そこにはただ、木々が生えているだけで。

 まるで狐にでも化かされたような……そんな感覚に陥っていた。ざわざわと全身総毛立つ。

「こ、こわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」

 信じられない体験に私たちは余りの恐怖に二人抱き合って叫んだ。


◇    ◆    ◇


「こ、こわいよぉー‼」

 駄菓子屋さんのあった場所から自転車ですっ飛ばして逃げ帰り、土手道の方まで戻っていた。

 昼間、さんさんとした光に照らされた土手道は、すっかり夕焼けの橙に染まっていた。

「怖すぎでしょあれ……!」

 自転車の荷台の上でぎゅうう、と杏璃の腰を抱きしめながら、恐怖心と戦う。幸い道中何もなかったけれど。

 背中越しに杏璃の心臓音が伝わる。だいぶ呑気してた杏璃も流石に幽霊駄菓子屋さんの恐怖には勝てなかったらしい。

 お経を唱えることも出来ないらしい。

「はぁ……はぁ……」 

 急に自転車が止まる。流石に杏璃も疲れたらしい。

「ここまでくれば何も起こらないっしょ……!」

「杏璃、それホラー映画だと何か起こるフラグだから! 言っちゃだめ!」

「それ今言うー⁉」

「ご、ごめーん‼」

 夕陽の土手道。自転車に乗って、私達は叫びながら駆け抜けていく。

「そ、そろそろ休も……もう限界……!」

「う、うん……そうしよう……」

 私たちは自転車を降り、昼間のように原っぱに座り込んだ。

「はぁぁ……ごわがっだぁ……」

 原っぱの上で杏璃が大の字になって寝転がる。

 杏璃の息は荒く、胸が山なりに大きく膨らんではしぼんでいく。

「はぁ……はぁ……」

 私も大きく息を吸って、吐く。

「つかれた……あまいもの……」

 そう言って、杏璃がカバンから駄菓子屋さんで買ったラムネ菓子を取り出して、口に放り込む。

「だ、大丈夫なの? あそこで買ったもの食べて……」

「だいじょうぶっしょ……たぶん……」

 私もアイスを食べてから身体には何も起こってないので大丈夫だとは思うけれど……

「はぁ~~~……」

 二人同時に、大きくため息。疲労と恐怖が身体にのしかかる。

「うぅぅ……その……ごめん……」

 杏璃がしょぼんとした顔で謝ってきた。

「なんで……?」

「あたしが都市伝説スポットに行きたいなんて言っちゃったからだよね……こんなことになったのも……」

 泣きそうな目で杏璃が私の方を見てくる。

 こういう時の杏璃……本気で悲しいって思ってるんだよね……

「そんなに思いつめないでよ……よいしょっと」

 杏璃に詰め寄り、彼女の後頭部を持ち上げる。そのまま座り込んで膝枕をする形になった。

「最後は怖かったけど……私、結構楽しかったんだよ?」

 本心からその言葉を発する。

「杏璃と自転車に一緒に乗って、きれいな景色見て、変わった場所に行って、一緒にお菓子食べて……そんなちょっとした冒険、私楽しかったんだから。そんなに気を落とさないで?」

 自然と口元がほころぶ。怖かったことも本心だけれど、それ以上に私は杏璃と冒険出来たことがとても楽しかったことも、本心から想っていることで。

 

「杏璃、いつも、ありがとうね」

 そこから私がしたことは……自分でもびっくりすることだった。


「ん……」

 目を閉じ、腰を大きく曲げ、杏璃の唇にキスを交わす。

 やがてゆっくり顔を離すと、杏璃が顔を赤くして大きく目を見開いていた。鳩が豆鉄砲を食らったような顔だ。

「い、いいい……今何したんどす⁉」

 変な訛りとどもりを交えながら、杏璃が尋ねてきた。

 杏璃……いつも私にキスとか仕掛けてくるくせに、自分が仕掛けられると弱いんだな……

「えっと……キス、しちゃいました……」

 事実をそのままそっくり返す。ちょっと恥ずかしいけれど。

「うう……それ、あたしがいつもやるやつじゃん……」

「いいじゃない、たまには。……ねぇ、杏璃」

 杏璃をまっすぐに見つめる。大きく開かれた杏璃の眼は、夕日に輝いた宝石のようだった。

「私、杏璃と一緒にいられて、毎日が楽しいの」

 そのまま一呼吸。

「私は、やさしくて、かわいくて、いつも元気をくれる杏璃が……大好きです」

 全部言い切った。私が今、伝えたい感情を。私の”すき”を。

 伝えきった私の頬は熱いけれど、精いっぱいの笑顔を杏璃に向けた。

「はづぅぅ……」

 目の前の私の”こいびと”さんは感極まって、泣き出しそうになっていた。

「もう、泣かないでよ」

「泣いてないもんっっっ」

「顔真っ赤だよ」

 否定する杏璃の瞳はうるんでいて、頬はさくらんぼのように真っ赤だった。

 今日は私の方がいたずらっぽく笑ってみる。いつもされていることへのお返しみたいなもので。

「なんだか、いつものはづとちょっと違うような……」

「えー? 私はいつもの“はづ”だよ」

 杏璃っぽい口調で言ってみる。こうやって杏璃に好意をずっと伝えているのは……


“―――葉月ちゃんにも、大事な人が出来たんだねぇ。その子、大切にするんだよ―――”

 あの言葉を聞いてから……こうやって、好意を伝えたり、くっついたりしたくなったんだ。

「あたしもはづのことだいだいだーいすき!」

 私に膝枕をされながら、杏璃が腰に腕を回してきた。

「もう、杏璃ったらあまえんぼさんなんだから」

 よしよし、と頭をなでる。こうして見るとほんとに猫ちゃんみたい。

「ねぇ、はづ」

「なぁに?」

「しばらくこうしてて、いい?」

「うん、いいよ」

「それじゃあお言葉に甘えまして……うーん、はづの太ももやーらかーい♪」

 すりすりと杏璃が私のスカートの布地越しの太ももに、自分の頬をこすりつけてきた。

「でもえっちなことしちゃだめだよ、杏璃」

「えー……うーん……多分しない……と思う……」

 それ、多分するやつだよね。

「もう、杏璃ったらそういうムードとかさぁ……」

 指で杏璃のほっぺをつつく。ぷにぷにと柔らかい。

「ところでさ、杏璃。あのお店、確かに不思議だけど……悪いところじゃないと思うの」

「あーうん……確かにそうだね。あのお店、いいお店だったし。おばあちゃんもすっごくいい人そうだったもん」

「あのおばあさんも『またおいで』って言ってたよね。……じゃあもう一回行こうよ。今度は来年ね」

 あの店に入ってから……妙に懐かしい気持ちがあった。

 今にして思うと、家にあるおばあちゃんの写真と、お店のおばあさんがそっくりな気がしてきて。

 もし、おばあちゃんが……お盆、ちょっと過ぎちゃったけど……私に会いに来てくれたのなら……それはすごく、うれしいなって。

 そうだとしても、そうじゃないにしても、もう一度あのお店に行きたいという気持ちは強くなっていた。

「やったー! 来年も冒険できるー! アイスの当たり絶対交換してもらうもんね!」

 そう言って、杏璃がアイスの当たり棒を掲げた。

「それまだ持ってたんだ……」

「絶対交換してもらうもんね! 当たり引いたのに交換出来ないなんてインチキだよ!」

「あはは、まぁそうだけどね……じゃあ交換してもらおう、来年は。

一年越しでも交換してもらえるといいね」

 そうしてしばらく他愛のない会話を繰り返す。そんなひと時が、尊く思える。

 ずっとそんな時間が続けばいいなんて思っているけれど、現実はそうは言ってられない。

 でも、今日と違う杏璃が見れるなら、時間が進んでも構わないと思ったりもするわけで。

「それじゃあそろそろ帰ろうか、杏璃」

「うん。もう暗いもんね」

 気付けば空の紫紺が濃くなっていた。もう帰らないと。

 来た時と同様、杏璃の自転車の荷台に乗る。杏璃も前に乗って、自転車を漕ぎだした。

「…………」

 杏璃の腰を抱く。もうすぐ夏は終わるけれど。

 このぬくもりをずっと覚えていられるように。杏璃の存在を確かめるように。

「あともうちょっと夏休みあるけど何しようかなぁ?」

「まだまだいっぱい遊びたいけれど……杏璃はその前に宿題だよね」

「うぅっ……はい、そうでした……」

 痛いところを突かれた杏璃が小さくうめく。

「……宿題は置いといて……はづは何がしたい? どこへ行きたい?」

「いや宿題は置いとかないでよ。でも、うーん、そうだなぁ……海は行ったし……今度は山、かなぁ?

 あとプールも行ってなかったね。……こうしてみると、夏休みってやりたいこといっぱいできちゃうよね」

「じゃあ行こうよ! もし今年が無理でも、来年も再来年も、いっぱい遊ぼ!」

「うん! いっぱいいっぱい、遊ぼうね!」


 来年も、再来年も、と言ってくれるのが、嬉しい。

 うん。そうだね、杏璃。来年も。再来年も。それからも。

 私はあなたと同じ景色を見ていたいと想う。

 夕陽の傾きつつある土手道を、自転車は行く。杏璃の背中のぬくもりを感じながら。

 小さいけれど、頼りになる背中を、しっかり抱いて。


―――杏璃となら、どこへでも行けそう。


 そんな……根拠はないけれど、夢にあふれた自信を抱きつつ。

 “こいびと”さんの漕ぐ、どこへでも行けそうな魔法の自転車に―――私は揺られていくのであった。


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