第5話 ガラスのお姫様
白と黒のサッカーボールが、綺麗な放物線を宙に描いて飛んでいく。
「そっち行ったぞー!」
燦々と照り輝く太陽の下、公園にあるサッカーコートの上で、男の子達がボールを追いかけていく。
その中に一人、女の子が混ざっていた。
「まかせろー!」
杏璃が男子達をごぼう抜きにして、ボールを確保した。そのままロングシュート。
杏璃によって飛ばされたボールは、見事相手のゴールに収まった。
「すっげー!」
「橘やっぱつえー!」
男子達が杏璃を持てはやす。
杏璃が褒められているところを見るのは、恋人として鼻が高い。つい1時間前。杏璃と公園デートをしていた時の事だ。
クラスの男子達がサッカーをしようとしていたところを見かけ、メンバーが足りないと言うので杏璃が混ぜてもらっていったのだ。
『あたしのかっこいいとこ見てて!』
そう言われたので、杏璃の活躍をベンチで見物することにした。
甲高いホイッスルの音が、試合終了を告げる。試合は5対3で、杏璃の入ったチームの勝利。内3点は杏璃のハットトリックによるもの。
杏璃のプレイは男子顔負けのものだった。
男子をごぼう抜きにするダッシュ。伸びるシュート。巧みなトラップ。更にはスタンドプレーに走ることなく行われる的確なパス回し。
杏璃が一番得意なスポーツと言っていただけあって、すさまじい活躍ぶりだった。
「お疲れ様、杏璃。すっごくかっこよかったよ」汗をいっぱいかいている杏璃に、タオルを渡す。
「えっへへ。まぁね」
汗を拭き終わると、得意げにリフティングを始めた。
まるでボールも身体の一部であるかのように杏璃の脚や額に跳ねる。器用だなぁ。運動音痴の私には到底出来ない芸当だ。
「なんでだよ……」
低く、男子の唸る声が聞こえた。この声の主は……猿田君だ。去年同じクラスだった、威張りん坊な男の子。
その彼が、杏璃を睨みつけながら続けた。
「オレは地元のサッカークラブに通ってんだよ! なのになんで女子のお前に負けんだよ!」
そんなことを、杏璃に怒鳴りつけてくる。
「なに? あたしが強かったことに文句あんの?」
あまり相手にしていないかのようにリフティングをしながら返す。やっぱり度胸あるなぁ、杏璃。私なら委縮してるよ、こんな状況。でも……次の猿田君の発言に、私達は凍りつくことになった。
「はっ、なんなんだよお前。そんなに強いと、女らしくねぇよなぁ?」
その言葉と共にリフティングする杏璃の脚が止まった。
てんてん、とボールが行き場をなくして地面を転がっていく。
「女らしくねぇんだよ、お前。去年とか俺ら男子に喧嘩売ったりよ。女子ならもう少しお淑やかにしてみろってんだよ」
次々と続けていく、杏璃への罵倒。
「お前もしかして男なんじゃねぇの? スカートあんま履かねぇもんな」
「猿田君、言い――――」
言い過ぎ、と私が言おうとした時には遅かった。
「…………!」
ぎり、と杏璃から歯ぎしりする音が聞こえたような気がした。
「――――ッ!」
そして……何も言わず、弾けるように、杏璃が走り去っていった。
「あ、あんりっ―――」
私の制止の声を聞かず、林の方角に吸い込まれるように駆けていく。
私含め、突然の状況に周りにいた男子達はぽかんとその状況を静観する。数秒経って、私ははっ、となった。……追いかけなきゃ。
「………ばか!」
呆けて立ち尽くす猿田君に短く吐き捨て、そのまま杏璃が走り去った方へ向かう。
普段なら絶対ばかなんて言えないけれど、それほどまでに私は彼に怒っている。
でも今は、杏璃が心配だ。
あれは絶対、傷ついている。追いかけて、彼女を見つけなきゃ。
それでまたいつものように笑って、夏休みを過ごせるようにするんだ。
◇ ◆ ◇
この公園はとても広い。
サッカーコートだけでなく、ジョギングコースやテニスコートもある。
私よりも脚がずっと速い女の子を探すには骨が折れる場所だけど、走り去った方角から杏璃がどこに行ったか、大体の予測はついた。
公園の端にある、ジョギングコースのある雑木林。そこに杏璃が立ちすくんでいた。
「 杏璃!」
私は杏璃の背に声を掛けた。声に応えて、振り返ってくる。
目元も、頬も鼻先も真っ赤になって、ぐずぐずに崩れた杏璃の顔。そんな泣き顔が、木々に陰って余計に暗いものに見えた。
さっきまでずっと、誰もいないこの場所で、一人で泣いていたんだ。初めて見る。杏璃のそんな泣き顔。
よく笑い、よく泣く子だけれど……くだらないことで泣いてはすぐに立ち直る女の子なのに。
でも今は……心の底から悲しんでいる。
あと数歩。それだけ詰めれば杏璃に触れられるのに。
初めてみるような顔に驚くあまり、私の足はそこで止まってしまった。
「うっ……えぐっ……!」
「……泣かないで」
原因は明らかに猿田君の発言によるものだろうけれど……気丈な杏璃が、果たしてここまで泣くだろうか。
手の甲で何度も涙を拭いながら、杏璃が続けた。
「………はづに、きらわれちゃう」私が、嫌う? 杏璃を?
「べつにっ……あいつにどう思われようがどうだっていいの!
でも……! あそこまで言われたらあたし……もしかしたら、女の子らしくないように見えるのかなって……!
そう考えると……あたし、はづに嫌われちゃうんだって……!」
「なんで……?」
「だって……! はづは、あたしを女の子として好きなんでしょう……?
女の子らしくしてなきゃ……あたし、はづに嫌われちゃうって……思ったから……あぁ……!」
余計に泣きじゃくる。この時私は分かった。
杏璃は……私が思っているよりも、ずっと繊細な子なんだ。
いつも明るくて元気な女の子だけれど……傷つきやすい女の子でもあるんだ。
「あたしっ……! はづのことはいっぱいいっぱい好きだけどっ……! でも時々、はづに嫌われてないかなって……不安になんのっ……!」杏璃の嗚咽が更にひどくなる。
「あたしっ……! わがままだしっ……! すぐにはづにえっちなことしちゃうしっ……! お肌だってこげパンみたいに真っ黒だしっ……!
女の子らしくないよねっ……お淑やかじゃないよねっ……!」
「…………」
胸の裡を吐露し続ける杏璃を、私はずっと見ている。
私だって、杏璃に嫌われていないか……たまに不安になっちゃうことがある。
夏休み中、ずっと宿題しようって言ってて、うるさい奴なんて思われてないだろうかとか。
自分の事をあまり主張しないから、自分がない奴と思われていないか。それらと似たようなものなんだ。
それに、杏璃程私は好意を表に出していない気がする。いつも恥ずかしがったりして、はぐらかしたりしてる。
その事が杏璃を不安がらせてしまっている原因なのかも知れない。だとしたら、私に責任があるんじゃないか。
杏璃を苦しめていたたのかも知れなかった事に、私の胸はきゅっと締め付けられる。
「………!」
目の奥が熱くなる。顔の筋肉も強張っていく。
……駄目だ。私も泣き出してしまいそうになる。
泣いちゃだめだ。私のせいでもあるかも知れない事に泣いてしまうのは、とても卑怯な事だ。
それに何より……余計杏璃を不安がらせちゃう。泣くな。泣くな。だから私は、涙をかみ殺して。
「杏璃のこと、絶対嫌いにならない」
目の前で泣きじゃくる杏璃を、私は真っ直ぐ見据えて言い放つ。
「えっ……」
「私は杏璃の事、全部が好きだもん」
泣き腫らした顔を上げて、杏璃が私の瞳をじっと見てくる。
「あたしっ……女の子らしくないのにっ……?」
「何言ってんのっ……! 杏璃はすっごく可愛いんだから!」
おっきな瞳も。小麦色の肌も。ふりふりと揺れる金色のツインテールも。小さな口からちょこんと覗かせる八重歯も。
自由奔放で、元気で明るくて、優しいところも。全部全部、『可愛い』んだ。
私は女の子としての杏璃が好き。
不謹慎だとは思うけれど……自分を女の子らしくないのではと傷ついているところすら、女の子らしく感じて、なおのこと好きになる。
「……ほんと?」
「うん」
自信を持って肯定する。
杏璃の顔が少しずつ落ち着きの色を取り戻していく。そしてそのまま、一歩、一歩。
杏璃が私の方に歩み寄っていく。それに応え、私も歩を詰めた。
「うえぇっ……!」
やがて、私の胸に杏璃の頭が収まった。
そんな杏璃の頭を、私はすぐさま抱きかかえる。
「あたし、すぐに嫉妬しちゃうのに」
「そういうところも可愛いよ」
嫉妬してる女の子は、可愛いと思う。
とどのつまり、『はづの事が好きだから』しちゃうことなんだし。
「はづにすぐえっちなこと、しちゃうのに?」
「……それも、私の事が好きでやってるからだよね」
正直それはちょっと困るけど……そういうことされるのは嫌いじゃない私がいて、最近ちょっと怖いなって思ったり。
「あたし、わがままばっか言ってるのに」
「杏璃のわがまま聞くの、結構好きなんだよ」
杏璃のちょっとしたお姫様気質も、魅力的なんだと思う。でも宿題はちゃんとやって欲しいかな。
そして最後に、あの言葉を言おうと思う。
それはあの日から。私が鏡を見るたびに思い出して意識してしまう言葉。 あの言葉を貰ってから少しずつ、杏璃の事を好きになっていったのかなと今
になってみて思う。
その言葉を、今ここで返そう。
「―――信じてよ、杏璃は超可愛いんだから」
杏璃の頭を撫でて、優しい口調でその言葉を贈った。
「……えへへ。はづも超可愛いよ」
いつの間にか、こちらを見上げてくる杏璃の顔に、微笑みが灯っていた。
◇ ◆ ◇
「……ごめん! オレ、言い過ぎた! 負けたのが悔しくて!」
落ち着いた杏璃の手を引いてサッカーコートに戻るや、猿田君が深々と頭を下げてきた。
周りの男子達も目を丸くしてこちらを見ている。
……これだけ注目されるのはちょっと恥ずかしいな。
「猿田君、私もさっきバカって言ってごめんね。……杏璃、どうする?」
「うん、はづに免じて許す!」
胸を張って、杏璃が即答した。良かった。この明朗さ、いつもの杏璃だ。
「ただし」
杏璃が足元にあったサッカーボールを垂直に蹴り上げて、そのまま両手でキャッチした。
「あたしとPK百本やったらね!」
「ひゃっ……百本⁉」
一気に周りの男子達がざわついた。
「ひゃ、百本って無理だろそんなもん!」
「あれー? もしかして反省してるってのは振りなのかなー? いやだなー、あたし泣いちゃうなー」
ものすごくいやらしい笑みを浮かべて杏璃が猿田君を挑発する。杏璃、意外と根に持つタイプなんだな……。
「くっ……ちくしょう! わかったよ! やってやんよ! それでお前の気が済むんならな!」
苦虫を噛み潰した顔で猿田君がこれに同意した。
……彼、意外と筋を通すタイプなんだな。
激しい杏璃のPK百本地獄が始まった。
男子顔負けの球速、正確なコントロール、巧みなフェイント。
それらを全部駆使し、猿田君のキャッチを許すまいとボールが放たれ続ける。
そして終了。百本中九十本、杏璃のシュートを許す結果に終わった。
終わった頃には猿田君の体力が尽きて、ゴールポストを杖替わりにしてなんとか立っていた。
「も……これで……満足か……」
ぜぇぜぇと、猿田君が息を荒げながら杏璃に聞いた。
「んー、満足したー! ほんじゃね」
大きく胸を反らして、杏璃が満足げな表情を浮かべた。
「やっぱり考えるより身体動かす方が性にあってるわー!」
すっかり元の調子を取り戻した杏璃と私は、一緒に帰路を辿る。
「……よかった。いつもの杏璃だ」
「えー? あたしはいつもこんな調子だし?
それにしても汗いっぱいかいちゃったなぁ」ぱたぱた、と杏璃がタンクトップを煽ぐ。
ちらちらと日焼跡の白い胸元が見えるので、ちょっと危ない。
「……はづ、一緒にお風呂に入ろ?」
ぎゅ、と自分の胸を押し付けるように私の腕を組んで、上目使いでそんな事を言ってきた。
こちらを見てくる杏璃の笑顔が、ちょっとやらしい。
「…………」
やっぱりこの子、小悪魔っぽいな。
「だーめ。杏璃ったらすぐえっちなことしてくるんだから」最近、ちょっとあしらい方が分かってきた気がする。
「えー⁉ そう言う事考える方がえっちなんじゃない⁉」
「誘い方がえっちなの杏璃は!」
「私のそういうとこ含めて好きって言ったじゃん⁉ あたしのえっちなトコ、好きなんじゃないの⁉」
「こ、声が大きいって! あとそれいつ言ったの⁉」
住宅街に入ってそんな事を大声で言わないでよ。
やっぱり杏璃には、もうちょっとレディらしく振舞ってほしいものだ。
そんな、くだらないやり取りをしながら杏璃の家に帰る。日付は8月24日。
私達の夏休みは終わりに近づいていくのであった。
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