第3話 超かわいいんだから

杏璃と初めて会ったのは、去年の秋。

放課後、クラスの掃除当番の仕事に精を出していた時だった。

「ストライッ! おっしいー!」

廊下で男子の三人組が丸めた雑巾、箒、ちり取りをそれぞれボール、バット、グラブに見立てて野球ごっこに興じていた。

「………」

彼らが掃除をせずに遊んでばかりなものだから、一向に掃除が終わらない。早く帰って宿題をしなきゃいけないのに。

掃除が終わらなきゃ家にも帰れない。

(注意しに行こう……)

流石に見かねたので、注意しに行こうと彼らの元へ近づく。

「あ、あの……そろそろ掃除、やってくれないかな……」おずおずと、男子の一人にそう言うと。

「あ ⁉ なに⁉ 何か言ったか⁉ 今忙しいんだよ!」

わっ、と大きな声で怒鳴られた。

「ひっ……!」

思わず自分の持っていた箒を抱え、身を竦める。

身体も同年代の子よりも大きく、見た目通りに声の大きい荒っぽい男の子、猿田君だ。

自分には二つ下の弟がいるので、男子に慣れていないと言うわけではないけれど……こんなに乱暴そうな男の子は、やっぱり怖い。

(うぅっ……これじゃあ家に帰れないよぉ……)

仕方ない、一人で頑張って掃除しようか……と思っていた時だった。猿田君の横腹を、箒の柄の先端が後ろから勢いよく掠めるのを見た。

「ひゃ、ひゃあん⁉」

猿田君が驚いて転げそうになったのを、なんとか耐えた。

「当ててないんだから大袈裟に変な声出さないでよねー。なに、ひゃあんって」よく通る、可愛らしい声の主が小馬鹿にするような口調で猿田君に強い言葉

を浴びせた。

小麦色に焼けた肌に、きらきらと光る金髪をツインテールに纏めた、目の大きな女の子。

ピンク色の可愛らしい半袖Tシャツに、白いハーフパンツ。見た目から活発なタイプの女の子だと分かる。

「な、なんだよ転校生……!」

顔を真っ赤にしながら猿田君が動揺する。

猿田君の変な叫び声に、周りの男子達が忍び笑いしているように見えた。

「ちゃんと掃除しなさいって、そこの子が言ってたの聞こえかなかった?あんまし女の子困らせないでよ」

私と同じ身長一五〇センチあるかどうかの小柄な女の子が、一回り大きな男の子を叱っているという状況。

さっきまで委縮していた私には到底生み出せない状況だ。

「ちゃんと掃除しないとぉ……」

くるっ、と女の子が手首を返して、箒を構えた。

「あたしの牙突があんたらのボールをブチ抜くからね!」何かの漫画の必殺技だろうか。

どちらかと言うとビリヤードのキューを構えるような体勢になっているけれど。

下向きに構えて、ボール……何となく『察した』。

……女の子の口から、何を察したのかは説明しがたい。

「ひっ……!」

『察した』男子達が、顔を真っ青にする。

「わ、わかったよ! 掃除すりゃいいんだろ!」 そのまま大人しく男子三人組は掃除を始めた。

「あ、ありがとう……」

助けてくれた女の子にお礼を言う。

ボール云々はともかく、助けてくれたのは有難いし、かっこいいと思えた。

「いーよいーよ。女の子を困らせる奴なんて、許しておけないもん。それにあいつ、声と図体がでかいだけで大したことないし」


にこっと、女の子が笑みを浮かべる。

そう言えば……この子、転校してきたばかりの子だったな。

名前は確か…… 橘 杏璃さん、だったっけ。

「ありがとうね、橘さん」

「橘さん、なんてやめてよ。杏璃って呼んで!」雑談をしながら、掃除を再開する。

「じゃあ、杏璃。

転校して来たばかりでよく分からないだろうから、私が色々教えるね。私、朝倉 葉月って言うの」


握手の為に右手を差し出す。


「葉月……じゃあ、はづって呼ぶね! これからよろしく!」女の子にしては強めの力で握り返してきた。あったかい。

私と同じぐらいの大きさの手なのに、物凄く頼りがいを感じる。

「うん、よろしくね。杏璃」

こうして、私達は 友達 になった。



◇ ◆ ◇



転校してきてすぐ、杏璃はクラスに馴染んだ。

持前の明るさと、運動能力の高さで体育の時間で男子顔負けの活躍をし、一躍人気者となっている。

流行りのドラマや音楽番組はほぼ全て網羅していて、ゲームも得意。

話題のアンテナはとても幅広い。

更にはお洒落さんなので、女子は皆杏璃に対して尊敬の眼差しを送っている。どちらかと言うと会話をするときは聞く側に回る私と違って、杏璃は会話の

中心になる。

杏璃を中心とした輪の中の一人になるのが私だけれど……週一の放課後は違った。

「こないだねーちゃんのプリン勝手に食べたらチョークスリーパー食らっちゃってさぁ、思い出すと今でも首が痛くなんのよ」

「あはは……それは杏璃が悪いかなぁ」

「はづは兄弟いるの? 姉妹?」

「弟だよ。二つ下」

放課後、誰もいなくなった教室で、私と杏璃が談笑していた。

週に一度の放課後、二人きりで会話をする時間を設けることにしている。最初は学校の事を教える為に一緒に校内を回った事がきっかけ。

そこから、二人きりでお話する時間を設けようと杏璃が言い出したので、私も賛同した。

ころころとした、可愛らしい声で紡がれる杏璃のお話は、私の心を弾ませるものだった。

「弟かー! いいなー! 可愛い?」

「可愛くないよ。生意気盛りで全然言う事聞いてくれないもん」何てことない、お互いの家族構成の話。

そんな話を、杏璃はとても興味津々に尋ねてくる。

「先月までは一緒にプニキュア観てくれてたのに、今月からは『女の子のアニメだから観ない』って言ってきたんだもん。

なのにライダーは一緒に観ろって言うんだよ? わがままだよねぇ?」

「あっはは! 何それすっごく可愛い!」けらけらと杏璃が笑う。

そんなに可愛いものなのだろうか。

「で、顔ははづにそっくり? はづに似て可愛いとみた!」

……私に似て、可愛い?

「弟と私はよく似てるって言われてるけど……私別にそんなかわいく……」

「いーや! 絶対可愛いもん、はづって! 髪も綺麗だしお目目もおっきいし!」

「そ、そうかな?」

私は自分をあまり可愛いと思った事はない。

鏡の前に立つと、いつも地味な子がいるなぁ、なんて思っている。

「杏璃みたいな可愛い女の子にそこまで言われるなんて、照れちゃうよ」

ちょっとだけ頬が熱く、表情筋が緩んでしまう。変な顔してないかな、私。

「信じてよ、はづは超可愛いんだから」

にひひ、とまるで自分のことかのように、得意げに笑った。

その得意げな笑みは、教室の窓から差す夕陽に照り輝いていた。



◇ ◆ ◇



残暑が過ぎ去った十月も、寒風が肌を刺す十一月や十二月も、放課後を過ごすのは変わらない。

ついでに杏璃のお肌も、肌質の問題なのか、年中外で遊びまわっているからなのか、ずっと日焼けしたまま。

変わったと言えば、放課後を二人きりの過ごす日数。週一日だったのが、週二、週三と増えていく。

二人きりの時間が増えていくのは、なんとも喜ばしいことで。

「うーん、寒いねぇここ最近は」はふぅ、と吐息を漏らす杏璃。

「んっ……! ちょっと……!」

耳にかかった吐息に、私の身体はぶるる、と震える。

寒いからと、椅子に座った杏璃が私を自分の膝に載せ、後ろから抱き着いて密着する形になっているのだった。

確かにあったかいんだけど……

「何も抱きつく事はないじゃない……杏璃、寒さに強いしそんなもこもこ着てるんだし……」

「えー、いいじゃん。はづだってこうしたらあったかいでしょ?」

「そ、そうだけど……」

杏璃の着ている白いファーコートのもこもことした感触と、杏璃自身の体温のぬくもりに包まれる。

羊の山に埋もれたらこんな感じなんだろうか、と考えたりもするけれど……その、とてもこそばゆい感じがする。

最近、杏璃が所構わず手を繋いで来たり、抱き着いて来たりしてくるような、そんな気がする。

杏璃に触れられたり、お喋りしたりするのが、以前にも増して心弾む自分がいる。

そして、何故かそうされるたびに、心臓の鼓動が高鳴っている。

二人きりになるとそれが顕著だ。

何故だかよく分からないけど。なんだか、おかしい。

杏璃はこんなことして、同じような気持ちにならないのだろうか。私ばかりドキドキしてるのは、不公平だ。

「あれ? はづ?」

私はそのまま杏璃の膝から降りて、くるっ、と向き直る。そして……すぐさま胸に顔を埋め、抱き着いた。

「にゃっ⁉」

ふわふわとした感触が顔面を覆う。

杏璃の素っ頓狂な声に、思わず笑いそうになる。

これで杏璃もちょっとは私と同じ気持ちになったかな?

「…………」

何故か杏璃が押し黙った。

……ちょっと、何か喋ってよ。いきなり黙られると怖いよ。

「やったなこのー!」

杏璃が動いたかと思えば、ふざけて、今度は私の脇腹をこちょこちょくすぐってきた。

「あははは! ちょっ……あんりっ……!」

くすぐったさに身体をくねくねとよじらせ、笑いたくもないのに笑い声を搾り出させられる。

「ひゃっ……もぉっ……やめてよぉっ……あははっ……!」

止めるように言ってもなおも短い爪を立ててのくすぐりが続く。

まるで操り人形かのように杏璃の指のなすがままにされる……が、限界がある。

「も……だめっ……」

糸が切れた操り人形のように、ぼす、と再度杏璃の胸のくぼみに顔が収まる。

「んー? もう終わりー? つまんないー」ぽんぽん。頭を撫でられる。

「むぅ……」

負けた。でも……これはこれで心地いい。 そもそも何をもって勝ちとするのだろうか。

「はぁっ……」

心臓がさっきからどくどくしっぱなし。

杏璃に抱きつかれている時より、くすぐられた時の興奮の余韻が強く残り、そのまま私の心臓を揺らす。

(もう、杏璃って、何考えてんの……)

でも。今、私の頭は杏璃の胸に収まっていて。

私の耳は、杏璃の心臓がどくどくと早鐘を鳴らしていたのを、しっかりと捉えていた。


◇ ◆ ◇



花芽吹く春になった。

始業式が終わり、新しい教室に生徒達が各々入っていく。

「やったー! はづとまた一緒のクラスだぁー!」 いえーい、と新しい教室で高らかにハイタッチ。

「あたし、はづと一緒のクラスになりますようにってずっと願掛けしてたもん!」

「あはは、私も杏璃と一緒のクラスですっごく嬉しい!」ぎゅーっと、教室の真ん中で抱き合う。

ちょっと恥ずかしいけれど、いいよね。

女の子同士なんだから、それぐらい普通だもの……普通なんだから。

(ねぇ、はづ。)ぽそっ、と。

抱きついたときに、杏璃が私の耳元に囁いた。無論、周りの生徒達には聞こえない声で。

(今日の放課後、お話しよ?)

……いつもとは明らかに違う。

何だか、今日の お話 が特別な意味を持っているような気がした。


こくっ、と私は小さく首を縦に振り、その言葉に同意した。


◇ ◆ ◇


「一緒のクラスになれて本当に良かった!」

私達以外誰もいなくなった、新しい教室で、杏璃が喜んだ。

「私も杏璃と一緒のクラスでよかった。

担任の先生も美人で優しそうだったし」

「むー……もしかして杏璃って……ああいう人が好きだったりする?」ちょっと気難しい顔で杏璃が訪ねてくる。

「えっ……で、でも櫻井先生って美人さんだし凄くいい先生って聞くよ?

……どうしたの、杏璃」

何だか今日の杏璃はおかしい。

一緒のクラスになって、舞い上がって変な感じになってるのかな?

「………」

ちょっと俯いて、何かを言いたそうな顔をしてる。

「あ、あのさ……」

さっきからずっと困ったような顏をして、言葉を詰まらせている。こんな杏璃、初めて見るかも知れない。

「どうしたの? 杏璃」

「………あのさ!」

そして……詰まっていた言葉が、勢いよく弾けた。


「……あたし、はづのこと、だいっすきなの!

だからその……あたしと付き合ってくれるかな⁉」


真摯な眼差しで、杏璃が私に告げた……自分への好意。


――――――――。一瞬、面食らう。

杏璃がいきなりそんな事を言ってくるものだから……。


この場合の 好き って……そういうことだよね?

人生で初めて、告白を受けてしまった。

それも、 同性に。

でも、次に私が出した言葉は、非常にあっけないものだった。

「うん、いいよ」


杏璃の、勇気の告白への回答。

自分でも驚くほどにすんなりと言葉が発せられたのだった。

「そ、そうだよね! 困るよね! だって女の子同士だもん ‼

ごめん! ほんっとーごめん‼ ああもう忘れて……って……え……」

否定の言葉が飛んでくるのかと予想していた杏璃が、まくしたてるように謝罪したかと思うと……目をぱちくりさせて、

私の方を見続ける。

「うん。私も杏璃のこと、好きだったんだ。ようやくわかった。うん」

告白されたことで胸のつっかえが取れたかのような気分になる。


何故、杏璃といるとドキドキするのだろう。

そうだ。私は……杏璃の事が、好きになってたんだ。友達としてでなく、一人の女の子として。

そして……杏璃もまた、同じ想いであったこと。

「す、すすす好きって……あの……それ、友達としてではなく……⁉」

「うん、一人の女の子として」

「付き合ってって言うのは……その、お手洗いとか買い物じゃなくって……!」

「わかってるよ。恋人になりましょうってことでしょう?」告白された方より、した方が動揺している。

そんな状況に思わず吹き出してしまいそうだけど、そこは抑えて。私はにっこりと、杏璃を受け入れる笑顔を送る。


「じゃあ、今日からこいびと同士ってことで。よろしくね、杏璃」


友達になった時のように、手を差し出す。ただし、今度は両手。

そのまま、杏璃の両手の上に重ねた。

「………うん!」

私達は両手の指を組み合って、繋がれた。 今日から、五年生としての新生活が始まる。

そして、杏璃との新しい関係も。これから、どんな一年になるのだろうか。その期待に、私の胸ははち切れんばかりに膨らむのであった―――。


◇ ◆ ◇


そして現在。その3か月後の、夏休み入りたての時期。

「はづー。もう宿題つかれたぁ~」

「もう、まだ40分も経ってないでしょ」

今日は私の部屋で、宿題をやることにしている。

だけれど、すぐに杏璃が飽きてしまって……私の背中にべったりとくっついて離れない。

「……杏璃。宿題しづらいよ」

「えー。好きな人とくっついちゃいけないのー?」

「………」

丸テーブルの前で正座し、宿題に直面している私と……その背中に体重を預け、腕を前に回して密着してくる杏璃。

好きな人にくっつかれているから、というよりも、単純に重くてやりづらい。好きな人……そう言えば、気になる事がある。

「杏璃は、どうして私の事を好きになってくれたの?」

付き合ってから3か月。不思議と聞く機会のない質問だった。

嫌いになることに理由はあるけれど、好きになることには理由がない。

だからこそ今まで聞くことが無かったのだけれど、やっぱり尋ねたくなる事柄だった。

自分のどこがいいと思っているのか。その答えを、杏璃は迷わずに発した。

「んー、かわいいとこ!」

がくっ、と肩が落ちそうになる。

その、口調がはっきりとしている割に回答が漠然としすぎているというか……

「……杏璃は、私の顔が好きで付き合ってるの?」

「違うもん! 確かにはづは顔も可愛いけど、色んなとこかわいいの!

あたしとお話してて、すっごく楽しそうにしてるとことか! 素直なとことか! ぜんぶぜーんぶひっくるめて、はづはかわいいの! だから好き!」

さらにぎゅぅ、と杏璃が抱き着いてくる。

「………ふふっ」

思わず、笑みが漏れる。『かわいいとこ』か。

私も、杏璃に対して同じように、『かわいい』と思っている。杏璃のコロコロと変わる表情。

明るくて、優しい所も……全部が愛おしくて、『かわいい』。

「ねぇねぇ! はづはあたしのどういうとこが好きなの⁉」全く同じ質問を、今度は杏璃がしてきた。


「――――ひみつ」

何だか恥ずかしくなって、答えをはぐらかす。

「ええー⁉ ずるいずるい! あたしは答えたのにー!」

「宿題やったら教えてあげるよ」

「うっ……が、がんばる……」

悔しそうな顔をして、杏璃が宿題を再開した。

(なんだ、私達、似た物同士なんだ。)

そう、私は心の中で苦笑して……目の前の宿題の山と、格闘し直すことにした。

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