2章:夏祭 第4話
日進から降りると、佐世保鎮守府で同期の加藤大佐とばったり出くわした。
いつでも穏やかな陽が当たっているような、惹きつけられるところのある男で、鷲頭がもっとも心を許している親友のひとりでもある。昼下がりの遅い休憩をとりつつ、空いている部屋へ引っ込んで語らった。
「おゥ。ハーフがずいぶんといい面構えをして帰ってきたとおもったら、やっぱりお前だったのか」
そう言う加藤は朝日の艦長で、鷲頭よりすこし後に英国への、表敬訪問団としてその任に着き、陸海軍、政党のお偉方を乗せて航海をしてきたという。
鷲頭は陰ながらの役回りが多く、加藤は外向きの、目立つ任務に就かされることが多かった。互いにそのことについて不満はないが、裏方に徹して礎石のように動じない鷲頭に、加藤は常々、あたまが下がるおもいでいる。
「乗っけたリクサンのお偉方で、面白いひとがいてなあ。お前も名前は知ってるだろう、対露戦の満州司令部で参謀副長されとった、杉中将閣下―」
余り他人のことを口伝いに知りたがらない鷲頭だが、加藤の口からは偏りのない人物評が聞けるだけに、ときどき耳をかたむける。
「―ところで、鷲頭。今度の嫁はどうなんだ、また碌でもない奴か?」
「いや、気持ちのいい奴だよ。私が自分から、来てくれと頼みに行ったんだ」
「引き受けたそいつは奇特だな。オイ、おれにも会わせろよ。どれだけナイスか、視てやる」
「もうすぐ戻ってくるから、嫌でも会えるさ」
露骨には見せなかったけれど、からかわれてムッとしたのと、視せるまでもない自慢の副官をおもって、すこし照れてもいた。眉を顰めたのはそのせいである。
「失礼します。艦長、司令長官から受け取って参りました。例の―」
やがて足音も軽やかに、折り目正しく入室してきた副官を、加藤はゆったり寛いだかっこうで、長椅子から眺めた。
上官に先客があると思わなかっただけに、嵩利はかしこまってあたまをさげた。その容姿の端麗さが、まず加藤の目を惹く。
「失礼致しました。お話中に…」
「いや、構わんよ。ふーん…なるほどなあ、確かにお前が目をつけるだけのことはある」
いきなりずけずけと言われ、嵩利はたちまちまごついた。こちらを見る加藤の目つきが、それとなく鷲頭との秘め事まで指している気がして、落ち着かなくなる。
「おい、加藤」
それを察して鷲頭は副官を睨めつけ、うろたえるな、と眼差しだけで厳しく窘める。ついでに、庇うようにじぶんの後ろへ立たせた。
「待て待て、そう怖い顔をするなよ、ただ褒めただけだ。今までの副官と比べたら、まさに月と鼈だからな」
「うむ…」
副官の心情をはかって、つい声をあげてしまった。鷲頭の“鉄則”を知っている加藤がそんな風に見ているはずがない。すぐに、ちらりと謝意のまなざしを送った。鷲頭のことなら、加藤は何でも知っている。それこそ何でも―
「夏休暇が明けたら、また互いに勤務が変わるんだ。こうして会うことも滅多にあるまい。どうだ、よかったら別荘へ来ないか。昨年譲ってもらったばかりなんだ」
「ほう、お前にそんな道楽があったとは驚きだ。どこにあるんだ」
「鎌倉…いや、確か―もっと江ノ島寄りだったな」
故郷の名が加藤のくちから響いたとき、嵩利は反射的に笑みを浮かべる。屈託のない零れるような笑顔を向けられ、加藤は意表を突かれた。笑みに何かの意図など微塵もなかったが、とても嬉しげである。それを、目を丸くして、吸いこまれるように見つめる。
「まだ一度も訪れたことがなくてな、いい所だと聞いてはいるが―。ところできみ、何故そんなに嬉しそうなんだ?」
その笑顔が不思議で、加藤はおもわず訊ねた。
「江ノ島は―、ぼくの故郷なんです。もし土地について不慣れでしたら、よろしければご案内してさしあげられますが…」
と、旅先の宿場の主がみせるような顔つきで、副官が嬉しそうに言う。それで合点がいった。ひとをもてなすのが好きなのか、何にも増して故郷を大切におもっているのが、よくわかる口ぶりだった。
「そりゃ心強いな。遠慮なく頼みたいところだが、案内させるために帰省している実家から、わざわざ毎日通わせるようではなあ。気疲れさせてしまうだろう」
と、加藤なりの気遣いをみせる。嵩利はそんな加藤へ向かって、間髪いれずに首をふってみせた。鷲頭もだまって頷いている。
かれの笑顔をみていると、まだ見ぬ海と空の風景がかすかに透けて見えてくる、そんな気持ちにさえなってくる。鷲頭が、この大尉をすきになった理由が、加藤にはすこしわかったような気がした。
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