1章:告白 第4話

結局、鷲頭は千早家に一泊し、翌朝になると教え子の両親へ丁重きわまる礼を述べてから、辞していった。


 昨日小田原へ行っていたのは事実だったようだが、嵩利の推察通り、公務ではなかったらしく、帰途もさほど急いでいる様子はなかった。


 ちゃっかり、駅まで送りますと言っておきながら、あちこち案内して歩き、一刻ほどかけて鎌倉へ到着した。

どうやら鷲頭は甘い物もすきなようで、八幡宮の茶店で羽二重餅の大福を食っている間を見計らって、嵩利は例の豊島屋へひとっ走りしてくる。


 駅頭で土産を持たせると、すっかりもてなし終えたという顔つきで、教官が列車へ乗り込むのを見送る。鷲頭も思いがけなく穏やかな時間をすごせたことに、感謝していた。それを表情に出すことはしなかったが、その眼をみれば明らかである。


 無愛想にみえて、その実、かれの眼が語りかけてくるものは多い。それを見逃しさえしなければ、深く知ることができるかもしれなかった。


 俗に言う“付き合いが面倒なひと”であろうが、かれに一目も、二目も置いている嵩利にとっては、苦にならない。


 残る休暇も、別に嵩利は浮かれるわけでもなく、いつもと同じように過ごした。強いて言えば横須賀へ通う頻度が増え、海大の同期と勉強会をひらくことが加わったくらいである。


 両親のいる、あの温かな海辺の家にはけして軍務は持ち込まなかった。礼装どころか、軍服すら着て帰ったことがない。


 海上勤務が長く、めったに帰ってこられない分、誇らしげにして“凱旋”するものなのだろうが、嵩利は父の想いがわかっていたから、そういうことはしなかった。


 「行ってきまァす」


 と、帝都へ戻る日も、釣りへ行くのと変わらぬ挨拶をして家を出てゆく。麻の単を着ただけで、大した荷物も持たずに、テクテクと海岸をあるいてゆく愛息の後ろ姿を、両親はいつもそっと見送る。


 小動にある綿津見神を祀った社を詣でてから、腰越の港へ帰ってきた船に、翩翻と大漁旗が翻っているのをみて、顔を綻ばせる。鎌倉駅まで景色を堪能しつつ歩けばあっという間で、いつもこの瞬間は切なくなる。


 宿舎に帰ると、もう嵩利は海軍大尉、海軍大学校の生徒の顔をしている。休暇はまだ幾日か残っているが、心の舵が学業のほうへ向いてしまっていた。こういうときはとことん打ち込むに限るのだ。


 普段、不真面目とは思えぬにしろ、あの奇態はよく分からぬ、などと陰口を叩かれているが、とんでもない話で、成すべきことは成している。


 それに今後は、鷲頭との約束がある。仕えてみたいとおもった人物から、直に誘いの声をかけられたのだから、俄然張り切っている。


 艦隊勤務に就いたら、きっと周囲は妙な組み合わせだとおもうだろう。もしくはいい厄介払いができたとおもわれるか、それでも別に構わない。


 休暇が明けて、残り半年の講義が始まると、鷲頭は以前にも増して厳しい眼で、嵩利を見守っていった。


 休日は釣りにこそ行かなくなったものの―本人曰く、羽田で釣っていてもおもしろくない。江戸前の漁師は口喧しィからつまらない、らしいが―相変わらず飄々としている。


 それなのに、ほんの僅かでも危なっかしいところを見せない。それだからと、重箱の隅をつつくわけではないが、かなり捻った問いかけをしてみても、ちょっとくびを傾げたあと、なかなか面白い見解を織り混ぜた答えを寄越してくる。


 何もかも自然体で、海にいるために生まれてきたような男だな、と内心で感じいることもしばしばであった。


 こうして明治三十九年から四十年の暮れ近くまで、海軍大学校での日々は終わりを告げた。嵩利は首席ではないが、優等がついての卒業だった。


 一等巡洋艦日進 乗組 鷲頭艦長附大尉


 と、卒業した翌日に辞令が飛んできた。日進は佐世保にいて、一週間もしたら欧州へ、少尉候補生の遠洋航海訓練へ出発することになっている。


 「航海訓練と言っても、常時と変わりません。普段どおりやればよいのですから、緊張せずに務めに励みなさい」


 このように、出発の前日に乗組一同を集めて言った艦長の挨拶はあっさりとそれだけで終わり、さっと壇上を降りてしまった。候補生の中には、あからさまに不安げな顔をする者もいたし、嵩利と同じように、へぇ、と感心した者もいたようだった。


 うちの艦長大丈夫かナ?が、七割がたの意見であったろうが、候補生は上官がきちんと指導すればいいだけのことで、艦長の姿勢としては、何も間違っていない。と、鷲頭贔屓の嵩利は勝手におもっている。


 航海に出たのは日進だけでない。他に磐手と出雲も一緒である。それぞれに浅田と伊丹というふたりの大佐が艦長を務めていたが、早くも三日目にして、それぞれのフネの特徴が表れていた。


 出雲の伊丹艦長は神経質で、それもいい意味ではない。どちらかといえば、自身の機嫌に左右される性質だったから部下は堪ったものではない。


 何かといえば古姑のように煩くくちを挟んでくるものだから、下士官、水兵のあいだで皮肉って、名前の登志雄からもじって、“お登志刀自”という珍妙な綽名がついた。


 磐手の浅田艦長は“スモールハート・ウィングウィング”の典型であったが、性格が温厚でこと細かい気遣いのできる人柄が幸いした。


 これが女だったら周囲が放っておかない性質というべきか、艦内ではかれの出身地の紀伊からとって“紀伊の姫君”という綽名をつけた。


 海軍では狭い軍艦での暮らしが長いから、すぐにこういった上官の粗さがしが始まるわけだが、日進の艦長である鷲頭はどうだったかというと、やはり例に漏れず綽名がついた。“神輿の鳳”である。


 何しろ滅多に口出しも手出しもしないで、舵取りがよほど難しいときや、他の用がなければ出てこない。艦長室でいつも何か読んでいるかしていて、口数もすくない。


 艦のうえに腰を据えているだけ(ではないことは、のちにわかるが)のようすが、神輿の天辺にある飾りに似ているからという理由である。鳳と、名の鷲を引っ掛けたのか、言いえて妙ではあるが、これは褒めているのか貶しているのか、よくわからぬものであった。


 ただ、日進は他の艦にくらべて、いつも入港出航が潤滑で、非常にスマートであったから、操艦を司る艦長の度量がいかなものか、ひと月が経って乗組にも感じられるようになってきたらしい。

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