1章:告白 第3話

台所へゆくと、住み込みの家政婦で、家族同然であるチカといっしょになって、母も腕をふるっている。


 鱗は取っておきましたからね、と言って、嵩利の漁の成果はもうとっくに下拵えができている。


 ―チャンと、全部やりたかったのになァ。


 と、鷲頭に食べてもらう魚だけに、ちょっとくちを尖らせて拗ねたが、すぐに包丁をとって手早くおろしてゆく。


 「母上、蚊帳は―」


 「もう先刻、お父様が吊ってくださいましたよ」


 「そうですか」


 夕刻ちかくに客人が来たら―それも特に夏は、概ね宿泊させる。そんな独特の慣わしのようなものが、千早家には存在している。まず、避暑地で風光明媚な江ノ島であるだけに、勧められて断られたためしがない、というのもある。


 「タカ、刺身が出来たら、この酒も一緒に持って行っておあげなさい」


 食事は花火を観終わってからでよかろう、と父は言って、肴と自身の好物でもある丹沢の銘酒を持たせる。客間へ案内したからと、嵩利はそこへ向かう。


 父も母も、敢えて顔を出さない。鷲頭は教え子である息子へ会いに来たのだし、静かに過ごすことを好むひとのようにみえたからだ。


 「うん、旨いな」


 卓へ並べた皿の刺身へ箸をつけ、鷲頭は嬉しそうに言う。くっ、と大振りの猪口を干して、飲みっぷりもいい。嵩利はまたこどものように相好を崩して、笑った。やはり海の男はこうでないとナ、とそのすがたを見ている。


 鷲頭は先刻まで着ていた灰色をした縞の単を脱いで、嵩利の母が支度しておいた浴衣へ、袖をとおして寛いでいる。通された客間のとなりには、もう蚊帳を吊った床まで支度されてあり、鷲頭は千早家の“慣わし”に従うことにした。


 「千早くん、給仕などしなくていいから一緒にやろう。きみとて、休暇が明けて戻ったら、地の物は暫く食えぬはずだ」


 鷲頭は徳利のそばにある猪口をとって、酒を注ぐと前の席へそっと置いた。傍でこまごまとした世話を焼いている教え子へ顔を向けて見れば、嵩利は照れくさそうにしている。


 「遠慮しないで、飽きるほど召し上がっていってください。ぼくは餓鬼の時分から、毎日のように食べてきましたから」


 小皿に注ぎ足そうとして醤油さしを持っている手から、それを取り上げてしまうと、怖い顔で詰め寄る。嵩利の肩口へ手をのばして、掛けたままでいる襷の結び目を引いて解く。


 「きみの察しが悪いのか、私の言い方が悪いのか。平たく言えば、きみと差し向かいで酒を交わしたいのだ。普段は言えぬこと、訊けぬようなこともあるだろう」


 そう促されて頭を掻き掻き、向かいの席へ腰を落ち着ける。嵩利としては、じぶんが釣ってきた魚を旨そうに食べてくれる鷲頭を、そっと見ていたかったのだが。


 この家の隣は竹林があり、そこから蜩の鳴く声がきこえてくる。まったく静かで、風向きが変わると海鳴りの音も混じって耳にとどく。


 嵩利はお喋りというほどではないが、快活に良く話すほうではある。しかしこうして、生まれ育ったところに落ち着いていると、却ってことばが邪魔になることを知っている。安らいだ気持ちで、微笑みながら向かいに居る鷲頭と酒を酌みかわす。


 徳利を六本ほど空けたころ、さすがに酒のつよさは人並みの嵩利は酔いが回って、あのことは内緒にしておこうとおもっていたが、言ってしまえと、口をひらいた。


 「不躾なことを言いますけど、今回のぼくは鷲頭大佐に釣ってもらったのじゃァなくてですね。…大佐を釣ったのは、ぼくの方だと言いたいんです」


 「なに…?」

 

 「なンだ、ハゼとかイナとか、そんな小魚の天麩羅なんか、って言って。他の教官は残すか、ひとくちも食べてくれなかったのに、全部きれいに食べてくれたの、大佐だけでした」


 「ふむ、そうだったのか」


 「それで大佐の人柄が、ちょっとわかった気がしました。だから、できることなら航海、ご一緒したいなあ、っておもっていたんです」


 「こいつ…、けしからんやつだ」


 一連の白状をしてしまうと、鷲頭は呆れた顔をしたが、ひと睨みして、ちいさな卓越しに嵩利のあたまを拳固で小突いただけだった。


 「あれが、きみなりの人選方法だったわけか。上官を試すような真似は、あまりしない方がいいぞ」


 「はい、もうしません」


 ひょい、とあたまをさげて謝意をしめす。酔っているからか、仕草がどこかひょうきんで、憎めなかった。

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