第五章 少しばかり重い話
折り返しだし、自己紹介はそろそろ終わっても良い頃だろうか。話が脱線して、脱線した先で語りすぎてしまった。小説向いてないんかな僕。
さて、この長い文章を
話したいことは大きく二つ。興味を惹けるように敢えてこんな書き方をするけれど、どちらも軽い話ではない。僕が元障害者であるということと、僕に「
では一つ目から話していこう。僕が元障害者であるということ。ちなみに気になっている人がいたらあれなので説明しておくとこの障害者という表記に関して、障害者に害はないという意味で障がい者と書いてくれる人がいる。もちろんその気遣いは当時の僕もありがたいと思わなくはなかったのだけれど、正直なところ僕も、当時僕が通っていた病院にいた他の障害者も、おそらくその表記を気にしている人など一人もいなかったと思う。もっといえば、
もう障害者でもなんでもない僕にこんなことを言う権利があるのかは分からないけれど、よかったら頭の片隅にでも入れておいてほしい。子供か子どもかって表記に置き換えたら解りやすいかも。自分らがお供え物みたいに思われてるとか感じたこと無いでしょ。よく考えたらどう言うことやねんって感じ。
また脱線してしまった。本題に戻ろう。
僕が持っていた障害というのは主に、解離性同一性障害という、
一回目の小学四年生の頃。当時いじめを受けていた僕は、医者
当時の症状としては、気がつくと次の瞬間目の前で皿が割れていたり、酷いときには丸一日が経過していたり……といった感じだ。周囲の人が言うには、気性が荒くなって、突然泣き出したり、動かなくなったりしていたらしい。
端的に言って非常に怖かった。多重人格なんてフィクションの世界の話だと思っていたので、いざ自分の身でそれが起こるとあまりにも信じ難かったし、自分が何をしているのか分からないという状況は当時十歳の僕にとっては恐怖以外の何物でもなかった。しばらく学校を休んで通院し一旦その人格も消えたものの、中学二年生のとき、家庭環境の悪化により再発。病院に行ってから学校に向かったり学校を休んだりしていたので、周りの人からは心配されたが、勿論その事は誰にも言っていたなかったので僕の同級生は多分いまこれを読んであーーってなってると思う。そんなことがありました。ちゃんちゃん。
しかしそんなことがあったからこそ、視野が広がったし、人のことをよく見れるようになったと思っている。よく「大人だね」等と褒めてもらえるのだけれど、きっとこの恐怖を味わったからこそ、周りにそんな思いをしている人がいないか気を配れるようになったのだと思う。
もう一度言っておく。当時と今とでは精神力も価値観も丸っきり違うので、再発の心配は無い。安心して今まで通り僕と接してほしい。
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