第三章 人は人を分けがち
嫌いなものをとは言ってみたものの、正直なところ基本的に僕は人や事象に対し、嫌いだと思ったり、嫌だと切り捨てたりすることが非常に少ない。というか限りなく
そもそも差別や偏見といったものに良い印象を持っておらず、その中でも「差別」と「区別」の区別がついていない、デリカシーのない発言に対しては
僕は第二章で述べたように性別という概念に対して関心が薄いのだが、男性だからこう、女性だからこうといった発言には、人一倍敏感である。例えば、基本的に女性は男性よりも記憶力が良いので人に何かを教えてあげたほうが良いだとか、男性は女性に比べて体力があることが多いので荷物を持ってあげたほうが良いだとか、これらは
だが差別と区別を履き違えた人間は、「女性なのに荷物を持つのか」「男性なのに人にものを教えるのか」などと言い放つ。これはきっと大きな間違いであるし、何よりその行動に誇りを持っているその人たちに対して失礼だと思う。
女性だって力仕事がしたいのならするべきだし、男性だって保育士や教師になって何の問題も無いはずだ。てか「女性だって」とか「男性だって」とかそんな言葉すら
勿論のこと、自分の性に誇りを持っている人をどうこう言うつもりは無いし、それは
ここまでいろいろと性別について語ってきたもののあまり上手に伝えられている気がしないので、また自己紹介を交えつつ書いていきたい。
性別に関して関心が薄いみたいなこと言っておきながらガンガン不満ぶちまけるやん、って感じだと思うけれど、僕の言う「性別への関心が薄い」というのは、つまり相手が同性であろうが異性であろうが何の気がかりもなく親しくなれるということだ。「性別」の「性」の部分ではなく「別」の部分が気に食わないと言った方が解りやすいだろうか。先ほどは差別に関する話をする上で、最も例に挙げやすかったのが性の話であったため少しややこしくなってしまった。
ちなみに、もっと言えば
それで思い出した。今からエッセイっぽいこと書くよ。僕は友人の間での立ち位置上、性的マイノリティに関する相談を受けることが
例えば、「自分はレズビアンだと思っていたのに男性を好きになってしまった」だとか、「バイセクシャルだと思っていたのに最近は同性ばかり好きになる」だとか。全部自分をどれかの性に当てはめようとしているから苦しんでいるのであって、そんな悩みを抱えてしまうくらいなら最初から自分をカテゴライズせず、「自分は自分」のスタンスでいるべきだと思う。だってその方が絶対生きやすいでしょ。
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