第2話「鴨川フラッシュバック」
涼子を初めて見た時、まさに衝撃だった。
あれは入学式の前日。クラスでのオリエンテーションのための登校日だ。
開始5分前にドアを開けた彼女は、すでに何かが違っていた。
割と自由な校風で、彼女くらい派手な服装をしている女子はゼロじゃない。
しかし、そう。佇まいとか。オーラとか。そういう部分が違ったのだ。
「おはようございます。席は黒板にある通りです」
「ウッス」
「...それから、入学式では第2ボタンを閉じておくように」
「...ッス」
初老の担任はベテランらしく、慣れた口調で告げた。
そして涼子も、すでに注意され慣れているようだった。
まるで男子のように軽く返事をして、僕の右斜め前に彼女は座った。
「外見だけで何が決まるねん」
入学式から数ヶ月経ち、彼女とはよく話すようになった。
ある日突然、彼女が金髪に染めてきたことがある。
いくら自由な校風とはいえ流石にアウトだったようで、反省文を書かされていた。
そのときの彼女の言葉だった。
「髪の毛の色で成績なんか変わらんやん。ウチの何が分かるねん」
「校則もロクに守れへんってのは分かるんちゃう」
「は?」
「すいません、調子乗りました」
このように、すでに彼女と僕には上下関係ができていた。
といっても、それほど険悪なものではない。
会えば普通に喋るし、遊びに行くこともあった。
噂好きの女子たちが「付き合ってる」とからかうこともあったが、両者ともすぐに否定する。そんな、まさに悪友と言った距離感の関係性。
そして高2となった今でも同じクラスでつるみ続けている。それが僕と涼子だった。
...
涼子は結局、ウィズ・カリファだけでなく、スヌープ・ドッグの新作も借りた。
僕のレンタルの期限はあと2日あったが、もののついでに返却しておいた。
「なんも借りんで良かったん?」
「うん。レッチリの新譜が8月に出るから、金貯めとく」
レッド・ホット・チリ・ペッパーズはジョン・フルシアンテが二度目の脱退をした。そして、ジョンの友人でもあるジョシュ・クリングホッファーというギタリストが正式に参加したらしい。
8月に出るアルバムはジョシュが参加する初めての作品だ。
前評判はさまざまだが、「出るなら買う」というのが僕の決断だった。
「じゃあ、今日はサイゼでいいよ」
「その心は?」
「お金節約するんやろ」
「え、僕がおごるん?」
小テストの賭けはジュースだけだ。昼飯までは賭けてない。
そして彼女の家はそれなりに裕福で、僕にたかる必要もないはずだった。
「冗談やん。自転車こいでもらってる分、お礼するわ」
「涼子にお礼されるなんて、雨でもふるんちゃうか」
「やっぱやめとく?」
「ありがたくご馳走になります、女王様」
それから僕らはサイゼで適当に昼食をとった。
サイゼを出た僕らは2人とも、午後の授業に出る気はしなかった。
だから少し自転車を漕いで、鴨川で時間をつぶすことにした。
5月の鴨川は緑が鮮やかで、気温もちょうどいい。
僕らは河川敷の適当な場所に腰を降ろした。
「CDプレーヤー貸して」
「え、なんで」
「さっき借りたやつ、聴きたいねん」
「しゃぁないな」
iPodを使う彼女がCDを聴くには、一度パソコンで取り込む必要がある。
それまで待てないということだ。
彼女はウィズ・カリファというラッパーの「ローリング・ペーパーズ」というアルバムを取り出した。
「ローリング・ペーパーズってどういう意味なん」
「マリファナ吸う巻紙のこと」
「あぁ、なるほど」
煙を吐き出している黒人の男の顔と、緑色を基調としたジャケット。
まさにタイトル通りのデザインと言える。
「イヤホン、半分貸してよ」
今度は僕が彼女に頼んだ。貸して、といっても元々僕のイヤホンだが。
「え、なんで」
「僕のCDプレーヤーやし、権利はあるやろ。暇やねん」
「しゃぁないな」
どうでもいいことだが、こういうとき、耳垢が乾いている人間で良かったと思う。
湿った耳垢がついたイヤホンなんて彼女に渡せば、脛を蹴られるからだ。
そんなことを考えていると、右耳からピアノの音が聞こえてきた。
それは、意外なほどに美しいメロディだった。
アルバムの1曲目「ウェン・アイム・ゴーン」という題名らしい。
何を言ってるかはわからない。聞き取れるのはほぼNワードだけだった。
それでも良い曲だと、なんとなく感じた。
そして曲を聴き終えたとき、僕は唐突に全てを思い出した。
僕がいつも見ていたのは夢ではなく、過去の、正確には前世の記憶であること。
魂を異なる世界に転移させる魔法で、現代日本に転生したこと。
その瞬間から僕は、剣と魔法の世界から現代日本にやって来た、たった一人の異邦人になった。
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