婚約破棄は彼の愛?〜新しい恋人をつくった王子は、私のために私を追放してくれたらしいけど、それって自己満足じゃないですか?〜
鈴木 桜
本文
「ああ、今日もお美しい。さあ、手を」
屋敷の玄関から出てきた私に、さっと差し出されたのは
「足元に気をつけて」
さらに反対の手で腰を支えられては、今度こそ戸惑いを隠すことなど出来なかった。
「どうされましたか?」
「……こんな風にエスコートされたのは、初めてで」
恥ずかしさから頬を染めた私に、彼が嬉しそうに目を細める。
「私が初めて?」
「はい」
朝日に照らされて、彼の銀の髪がキラリと光った。その隙間から見えるアイスブルーの瞳は、私の方をじっと見つめていて。その色の鋭さとは対照的に、甘く溶けそうなほどに熱を持っている。
「嬉しいです」
「では」
振り返ると、お父様とお母様が涙を浮かべながら手を振っている。私も同じように手を振った。別れの言葉なら、昨晩も今朝も十分に交わしてきた。
私は今日、この
「待ってくれ!」
道の向こうから、一頭の馬が慌ただしく駆けてくる。馬上には、立派な仕立ての服に身を包んだ青年と、可愛らしい少女。
「あれは?」
「……私の、
「ああ、あの方が」
私の手を握っていた
騎馬のままで門をくぐった二人は、私達の前で馬を止めた。先に馬を降りた青年が少女の腰を抱いて馬から下ろす。その際に互いの顔が近づいて嬉しそうにほほえみ合うのを、周囲の人々はシラけた目で見ていたのだった。
「何かご用でも? ライモンド王子殿下」
エミディオ様が貼り付けたような笑顔で対応した。青年──ライモンド王子も笑顔で応える。
「ラウラ嬢に、最後の別れを言いに来た」
薄笑いを浮かべたライモンド王子が、私の方を見た。思わず、エミディオ様の背の後ろに隠れる。
(もう二度と会いたくなかったのに)
私の心中が分かったのだろう、エミディオ様がぎゅっと手を握ってくれた。
「最後の別れとは。あなたが彼女を追放すると言ったのですよ? どういう風の吹き回しですか?」
(あ)
このセリフを聞いて、私は気付いてしまった。
(怒っていらっしゃる……?)
私に向けられたエミディオ様の背から、どす黒い気配が伝わってくる。
「全てラウラ嬢のためだったのだ!」
ライモンド王子が、芝居がかったセリフを
そして、大仰な身振りを加えながら長々と自分勝手に語り出した。
「ラウラ嬢は幼い頃からこの国を支えてきた大聖女。そして、大聖女は王の伴侶となる。それが、この国の法だ。私とラウラ嬢は、お互い望んでいない婚約を強いられていた! 世間は私のことを浮気者と謗るが、それは誤解だ。……私は彼女にも自由でいてもらいたかった。だから、数々の令嬢と浮名を流してきたに過ぎない」
私はため息を吐いた。
婚約者の王子があちこちで女遊びをしているからといって、婚約者で大聖女である私が同じことなどできるはずもないのに。
(そもそも、私は大聖女の仕事で忙しくて遊んでいる暇などなかったのに)
「それでも私とラウラ嬢は、確かに愛し合っていた!」
恋多きライモンド王子の口癖は、『結婚したら、もちろん君一筋だよ』。
(その言葉を信じていたなんて。……私は馬鹿だったわ)
「しかし、私は『真実の愛』を見つけてしまったのだ!」
ライモンド王子が、隣の少女を見た。『今、僕が愛しているのは君だけだよ』とでも言いたげな瞳に、少女──フィオリーナが頷く。その目には、涙さえ
「そして、神ですら『真実の愛』に屈した。神はフィオリーナ嬢に、大聖女に
王子が恋に落ちた男爵令嬢、フィオリーナ。田舎から出てきたばかりの純朴で可憐な彼女に、王子は夢中になった。二人は愛し合い、そしてフィオリーナには大聖女、つまり王妃として相応しいほどの神聖力が神より与えられたのだ。
(よくできたお
「この状況で、君がフィオリーナに嫉妬するのも仕方がない。しかし、だからといって彼女を虐げて良い理由にはならない。だから私は、君との婚約を破棄して国外に追放するという苦渋の決断を下した……」
彼の中では、そういう物語になっているらしい。
ライモンド王子を愛する私は嫉妬に狂い、フィオリーナ嬢を虐げたらしい。彼が言うには、舞踏会で彼女のドレスにワインをこぼし、足を引っ掛けて転ばせ、他の令嬢と共にあざ笑った。さらに、フィオリーナ嬢の自宅にいやがらせの手紙を何通も送りつけたり、街の男をけしかけて彼女を強姦させたり──これは王子の活躍により未遂で終わったそうだ──した、と。
全て、事実無根だ。
にも関わらず、神殿で開かれた
「婚約破棄も追放も、全ては君のためなんだ……! 私の愛を失くして、それでもこの国で生きていけるほど君は強くない。そうだろう?」
勘違いも
(そもそも、あなたの愛を『失くした』とも思っていないのに。そんなものは初めからなかったのだと、私は知っていますよ)
「だが、そのお陰で君はエミディオ王子と婚約することになった。君のために追放を決めた私のおかげだろう?」
ライモンド王子が、パチンと片目を閉じた。ウィンクをしているらしい。
(気持ち悪い)
最悪の気分である。
「ええ。ライモンド王子殿下のおっしゃる通りです」
エミディオ様がニコリと笑いながら言った。こめかみに青筋が浮いて、眉がピクリと動いたことに気付いたのは、おそらく私だけだろう。
「あなたがラウラ嬢を手放してくださったおかげで、私は彼女に求婚することを許されました。感謝しています」
思わず、私の頬に熱が集まった。隣国の王子であり、留学生として我が国に滞在していたエミディオ様は、ずっと私に恋い焦がれていたのだと言っていた。
『王子の婚約者でなくなったのなら、どうか私を見てくださいませんか?』
そう言って、私を口説いてくれたことを思い出す。
『あなたを愛しています。私の、たった一人の愛しい人。どうか、私と結婚してください』
熱烈な口説き文句と紳士的な態度に、私は頷くしかなかった。国外に追放されるのなら、誰かの妻になる方が都合が良いという打算もあった。しかし、その選択をしたことを後悔はしていない。
私もまた、エミディオ様を愛しく思うようになったから……。
そんな私の表情の変化になど気づくはずもなく、ライモンド王子はにこやかに頷いた。
「そうだろう、そうだろう。全て私のおかげだ」
何度も頷いたライモンド王子は、ややあって改めて私の方を見た。
「……これが、私がしてあげられる全てだよ、ラウラ」
ライモンド王子は、うっとりとした表情を浮かべている。その瞳から、一筋の涙がこぼれた。
(完全に酔っているわね。……自分に)
「愛していたよ、ラウラ」
彼の隣では、フィオリーナが
「さようなら」
そう言って、ライモンド王子が
「……なんだったのですか、あれは」
「三文芝居に付き合わせてしまいました。申し訳ありません」
私が謝ると、エミディオ様は眉を下げた悲しそうな顔で私を見つめた。
「傷ついていらっしゃる?」
「いいえ。あの二人のことなど、どうとも思いませんわ」
本心だ。
ライモンド王子が『真実の愛』とやらに気付いた瞬間、私の方は目が覚めたのだから。
「そうですか」
再びニコリと笑ったエミディオ様が、ゆっくりと腰を折った。その肩にかかっていた、結わえた銀髪がさらりと流れる。美しい弧を描く唇が、私の耳元に寄せられた。
「……真実を、教えて差し上げないのですか?」
ささやくような声に、思わず私の肩が震えたことに、彼は気付いたのだろう。嬉しそうに微笑んでいる。
(意地が悪い)
真っ赤になった頬を隠すように顔に手を当てれば、今度はその手を取られた。優しく馬車の中にエスコートされる。
(……意地が悪いのは、私の方ね)
フィオリーナの神聖力は、一時的なまやかしでしかない。私を
それに気付いているのは、本当の神聖力を持つ私だけだ。
私は、それを黙ったまま旅立とうとしている。
馬車に乗って、窓の外の両親に手を振った。今度こそ、別れだ。ただし、両親とは一時的な別れでしかない。近い内に、二人も隣国に移住することが決まっている。大聖女の加護を失ったこの国は、数年内には荒廃するだろうから。
「私のことを、卑怯だと思いますか?」
私の問いに、エミディオ様は首を横に振った。
「卑怯者は私の方です」
向かいに座っていたエミディオ様が、私の隣に座り直す。腰を抱かれて、二人の距離がゼロになった。頬に当てられた手が、熱い。
「真実を隠して、あなたを連れ去ろうとしているのですから」
瞳を閉じれば、唇に温もりを感じて。
「愛しています、ラウラ」
その言葉に、私の胸に温もりが広がっていくのが分かった。
私達は卑怯かもしれない。
けれど彼らは、ただ
婚約破棄は彼の愛?〜新しい恋人をつくった王子は、私のために私を追放してくれたらしいけど、それって自己満足じゃないですか?〜 鈴木 桜 @Sakurahogehoge
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