第77話「涙、止まらず」

「今回も、負け戦だったな」


 シマダは崖の上から村を見下ろし、ぽつりと言葉を落とした。「え?」とオシロが聞き返すが、「そうでございますわね」と横からリタが肯定する。


「先生。しかし、〈虚狼団ころうだん〉は壊滅しました。村が蹂躙じゅうりんされることも避けられました。わたしたちは……勝ったのでは?」

「勝ったのは私たちではない。あの村の者たちよ」


 片腕も刀も失った〈まこと〉の操縦席から降りたオシロは、シマダの隣に並んだ。シマダと同じ光景を見、「そう、ですね」と力なく答える。


 シマダは目を動かし、オシロの横顔を見つめた。


「いい顔になった」

「え……?」

「侍として、という意味だ。だがこれから先、侍として生きていけない時代が来るかもしれない。刀も、〈からくり〉も、必要なくなる時代が来ることもあろう。それまでに身の振り方を考えておくことだ」

「そんな。そんなことを言われても……」

「シマダ様。今のオシロにそれを言っても、酷な話ですわ」


 いつの間にか、リタも隣に立っていた。扇で涼やかな細面をあおいだかと思えば、前触れなくぱちんと閉じる。


「オシロはこのいくさで生き残った。己の家族を相手にしても、屈せずに。それだけでも重畳ちょうじょうというものですわ」

「……そうだな、お主の言う通りだ。許せ、オシロ」


 頭を下げようとしかけたシマダに、とっさにオシロが「や、やめて下さい!」と手を振った。


 それからうつむき、握り拳に力を込める。


「先生の言うこともわかります。ただ、ただ……今は、考える時間が欲しいのです」

「そうであろうな」


 次にオシロはリタの方を向き、「ありがとうございます」と一礼した。


「私は何もしていませんですわ」

「いいえ。あなたの言葉がなかったら、わたしは甘ったれのままでした。今も、わたしのことを気遣ってくれているではないですか」

「……冗談はおよしなさいな」


 ぷいと顔を背ける。その仕草で、オシロは苦笑した。


 一陣の風が吹き、三者の髪を揺らしたところで——


「さて、行くか」

「ええ、そうですわね。うかうかしていると、あの子が追いかけてくるかもしれませんわ」

「あ、リタ殿……もう遅かったみたいです」


 振り返ればちょうど〈地走じばしり〉が、斜面を駆け上がってくるところだった。ワカの膝の上にはイヅがおり、三人の前に到着するや、すぐさま降り立った。


「シマダ様! オシロ様! ……あと、リタ」

「ついでのように言わないでほしいですわね、イヅ。あと、『様』をつけなさいな」

「もう、行っちゃうの?」


 同じく〈地走〉から降りたワカが、三人の顔を見比べる。シマダが「うん……」とうなずきかけたところに、オシロが一歩進み出た。


「わたしたちの役目は、もう終わりましたから」

「でも、〈からくり〉だってボロボロのままだよ」

「〈町〉にでも行けば、どうとでもなりますよ。〈星石せいせき〉もムクロ殿から受け取りましたし、しばらくの間は動かせるでしょう」


 ワカは口をきゅっと結び、うつむいた。彼の肩にオシロの手が置かれ、両者の目が交錯し合う。


「共に戦えて光栄でした」

「オシロ様……」

「わたしはひとまず、一人で旅をしようと思っています。本当の強さ、侍とは何かを見極めるために。今のわたしでは、皆さんの足元にも及びませんから」

「でも、オシロ様は勝って生き残った」


 オシロは首を横に振り、「運が良かっただけです」


「チヨ殿やキュウ殿がいなかったら、とうに命を落としていたでしょう。ゴロウ殿やタイラ殿がいてくれたおかげで、攻めに専念できた。いくさとは一人ではできないものと気づきました。わたしは、甘かったのです」

「だから、旅に出るの?」

「そうです」


 するりとオシロの手がワカから離れ——入れ代わりにシマダが進み出た。


「ワカ。お主にはわかっていると思うが……この村に〈星石〉がある以上、またも狙われるかもしれない。〈城〉からもだ」

「うん」

「今回は運よく面子めんつが揃った。だが、次はそういかないかもしれない。お主の〈地走〉があっても、苦しいだろう」

「うん、そうだね」

「その時はどうする? ワカ」


 ワカはいったん、口を閉ざした。全員の視線が等しく集まる中——「まだ、わからないや」と言葉を落とした。


「そうか……今はそれでもいい。〈虚狼団ころうだん〉を潰したとあれば、〈城〉といえども、おいそれと手は出さないだろうからな」

「シマダ様たちがいてくれたから」

「そう言ってくれるのなら、冥利に尽きるというものだ」


 シマダは手を差し出し——ワカは握り返した。


 ふと、傍らには涼し気なリタと、剣呑な眼差しを向けているイヅがいた。「むぅう」と唸り、今にも噛みつかんばかりの気配を発していたが——それでもリタの表情は崩れない。


 やがてイヅは顔を背け、ちらちらとリタを窺い、「その……」と口をもごもごと動かして——


「む……村を守ってくれて、ありがと」

「ふふ、礼には及びませんわ。どうやら少しは素直になったみたいですわね?」

「うっさい。本当なら、あんたにお礼なんか言いたくないんだから」

「ならば、何故?」


 ばっと扇を広げて口元を隠し、愉快そうに目を細める。


 観念したように、イヅはため息をついた。


「ワカが言えって言ったのよ。そうじゃなきゃ、こんな……」

「あら、そうなの。……ワカ、感謝致しますわ。この癇癪かんしゃく娘に言うことを聞かせられるのは、あなたぐらいですもの」

「うん、どういたしまして」

「癇癪娘って、何よ!」


 肩を怒らせるイヅに背を向け、リタは優雅な足取りで〈クリムゾン〉に向かった。そこに、「待って」とワカから声がかかる。


「キュウ様のことなんだけど……」

「それは言わない約束ですわ」

「でも」

「キュウは己の使命を全うしただけのこと。私にとっては側近が一人いなくなっただけのことですわ」

「本当に、そう思うの?」

「…………」

「ぼくはキュウ様がいなくなって、寂しいし、悲しいよ。リタ様はどうなの?」

「そこまでにしておけ、ワカ」


 シマダがワカの肩を掴む。


 リタは無言のまま、〈クリムゾン〉に乗った。すぐさま、くるりと足の向きを変えて——ちょうど、ワカたちに背を向ける格好となった。


「ワカ」とリタは彼の名を呼んだ。


わたくしも、同じ気持ちでしてよ」


 そして〈クリムゾン〉は地を滑り——そのまま山道を駆け上がっていく内に姿が見えなくなった。


 ワカはシマダの手に自らの手を重ね、「ぼく、余計なこと言った?」


「かもしれんが、私にはわからん。ただ、リタはリタなりにキュウの死をいたんでいる。それだけは確かだろう」

「もし、ぼくがあのまま動かなければ……」

「ワカ。いくさでは『もし』という言葉はないのだ。お主の目と技量は確かに優れてはいるが、これは村を守るための戦い。私情を挟み、視野が狭まるのも目に見えていた。……私の判断の甘さもある」


 シマダはワカの肩から手を下ろし、「さて」とリタの走り去った方向に首を向けた。


「そろそろ行くとしようか、オシロ」

「そうですね、先生」

「……まだ、先生と呼ぶのか?」


 オシロは軽く鼻をこすり、はにかんだ。


「わたしにとって、先生は先生です。実に、多くのことを学ばせて頂きました」

「ふむ。これからお主は、一人で旅をすると言ったな?」

「はい。……またいつか、会えますでしょうか?」

「侍である限りな。今度は私が、お前の敵になるかもしれんぞ」

「ぞっとしませんね……」


 苦笑するオシロを前に、シマダは「ふっ」と短く息を漏らした。


 そして二人はこの場を離れ——ワカとイヅは二人の姿が見えなくなっても、ずっとその場で見送っていた。


「強かったね、みんな」

「そうね」

「ぼく、人を殺したんだ。刀でじゃなくて、大砲でだけど」

「…………」

「こんなぼくでも、イヅはぼくのことを好きでいてくれる?」


 恐る恐る、という具合にイヅの顔を確かめ――ぱん、と軽い平手を食らった。目をしばたたかせているワカに、「バカね」とイヅが切り捨てる。


「当たり前に決まってるじゃない。ワカはワカよ。……ほんと、しょうがないんだから」


 ワカは頬に手を当てたまま、不意に、「あはっ」と声が出た。それはイヅも驚くほどの満面の笑顔で——そして目尻に、涙が浮かんでいた。


「あは、ははっ、あははっ……」


 その涙はとどまることを知らず、笑い続けて——イヅはそんなワカを、優しく抱きしめた。

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