第75話「死角」

 次々と人が死んでいく。


 次々と血が流れていく。


 これがいくさ。目の前でタイラが死に、ゴロウが死に、そしてチヨもまた――あの怪我では助からないと、ワカは確信していた。


 リタとキュウはどうだろう。あの二人は無事だろうか。イヅも、カシラも、ハツも、ギサクも、村の者みんな無事だろうか。


 だが、今はそれを考えている場合ではなかった。


虚狼団ころうだん〉の頭領、アラグイが逃げようとしている。ここで取り逃せば、いずれ復讐しにまたこの村を襲うかもしれない。


 ワカは操縦席の両側にある複数の突起を素早く押していき、それに伴い稼働した盾の状況を確認した。左側に二枚、右側に一枚。どれも斬撃、銃弾、砲弾を浴びたことで凹んだり、あるいは破損、欠損している。背部にあった筒は捨てたし、お手製の球ももうない。もはや武器と呼べるものは、腰に差していた刀のみ。


 今、アラグイはシマダとワカに挟まれた状況にあった。どれだけアラグイが逃げようとしても、シマダの長刀がそれを防ぐ。両腕部からの仕込み刀を抜いてはいるものの、チヨのおかげで無力化された刀よりも心もとなく見えた。


「——ちッ!」


 じり、じり、と〈からくり〉の足を動かしつつ、仕込み刀の先端をそれぞれシマダとワカに向ける。背後には高くそびえ立つ崖があり、〈からくり〉で登り切るのはほぼ不可能に等しい。峠を越えるためにはシマダを討つしかなく、村に引き返そうにもワカがその道を塞いでいる。


 三者の睨み合いが続く。


 すう、とシマダが長刀を肩で担ぐように切っ先を持ち上げた。ワカもまた〈地走じばしり〉の腰を低くして、刀を構える。アラグイは二人を、警戒をあらわに交互に見ていた。


 もはや、言葉は要らない。


 イヅを捨てたというあの男を、許すわけにはいかない——


 先に仕掛けたのはワカだった。足元の木板を全力で踏み込み、〈地走〉の車輪を全速で回転させる。猛烈な重圧に体が押し潰されそうになりつつも、ワカは勢い任せに刀を突き出した。


「見え見えなんだよッ!」


 アラグイはすぐさま――〈地走〉から見て右側——に回り込んだ。それは幽霊のようにワカの視界から消え去り、刀の切っ先が崖に突き刺さる。


「見えないんだろ! 〈からくり〉共々、その目はよぉ!?」


 アラグイが仕込み刀を突き出す。


 その時、〈地走〉が——まるで生き物がそうするように——首が動き、一つだけの目がアラグイの姿を捉えていた。刃がワカに届く寸前、盾が動き、刺突を防いだ。そればかりか盾が勢いよく振られ、真ん中から仕込み刀がへし折れる。


「なッ……!」

「僕の死角は、〈地走〉が見ててくれるから」

「こ、この野郎ッ!」


 もう一刀を振り上げた瞬間——その腕が、シマダの長刀によって断たれる。


「なにッ!?」


 たたらを踏んだアラグイに、すぐさまワカが突貫。残りの盾を全て動かし、立ちはだかる壁の如く、アラグイの視界を全て塞いだ。そのまま驀進ばくしんし、大木に押しつけた。


「ワカ、よくやったッ!」


〈地走〉の背部を駆け上がり、シマダは天空へと身を躍らせる。真上から、長刀をアラグイの〈からくり〉に向け——そのまま頭部ごと、操縦席を貫いた。


 悲鳴はなかった。


 ワカは〈地走〉を退かせると、アラグイの〈からくり〉はぐらりと前に倒れ――地に倒れたまま沈黙した。


「はぁ、はぁ、はぁ……ッ」

流石さすがに、きついな……」


 着地した降りたシマダがそうぼやくのを聞き、ワカはぽかんと目と口を開けていた。「どうした?」と聞かれ、「あ、ううん……」と首を横に振る。


「シマダ様でも、そんな顔をするんだって思って」

「……ふっ。私が、無敵の存在だとでも思っていたのか?」


 その時——荒い足音が聞こえた。〈からくり〉ではなく、人間のものだ。ワカとシマダが首を向ければ、アラグイが峠に向かって駆け出しているところだった。


 シマダが呻くように、「あの瞬間に逃げ出したというのか……!」


 とっさにワカは動いていた。刀を構え、〈地走〉で地を滑る。シマダが制止の声をかけたような気がしたが、意識する間もなかった。


「くそがッ!」


 アラグイの罵声もろとも、彼を叩き斬るつもりで刀を振りかぶった瞬間——真横から、鋭い金属の塊——ランスが突き出された。ワカはとっさに〈地走〉を止め、その持ち主を凝視する。


「いけませんわ、ワカ。いけないことですわよ」


 見れば雨と泥にまみれた〈クリムゾン〉が、ワカとアラグイとの間に入り込んでいた。いつもの余裕たっぷりの笑みはどこにもなく、ただただその目は冷えついていた。


「リタ様。なんで、邪魔をするの……!?」

「あなたに人を斬らせては、侍としての名折れというものですわ」

「でも、あいつは! あいつは、イヅを泣かしたんだ……!」

「…………」

「それに、ここで殺さないと、また復讐しに来るかもしれないんでしょ? だったら、今すぐ――」

「その必要はなくってよ」


 ランスの向きを変え、アラグイの鼻先に突きつける。もはやなす術もないといった具合に両手を上げたが——まだ、不敵な笑みを浮かべている。「いやはや、全く……」と首を振っている始末だ。


「まさか、〈城〉お抱えのお姫様もここにいたとは。勝てる道理がねぇわけだ。……で、どうする? 俺を殺すか? あるいは〈城〉にでも突き出すか? あの出来損ないの村人どもの前で、公開処刑でもするか? なんにしろ――」


 そこで、アラグイの言葉は途切れた。


〈クリムゾン〉の槍が彼の腹部を、深々と貫いたのだ。


 口から血を吐き出し、膝から崩れ落ちる。槍が引き抜かれたことで、余計に腹部から血が噴出。アラグイは腹を押さえた自らの手が、真っ赤に染まっていくのをわなわなと見つめていた。


 あごを震わせ、〈クリムゾン〉を見上げる。乗り手のリタは扇子を開き、口元を隠していた。


下衆げすは黙って、お死になさい」

「…………ふ、く、くくっ……」


 べちゃ、と血だまりに顔を落とす。


「あーあ……こんなことなら、もう一度……ミハクを抱いてりゃ、よかったな……」


 もう一度だけ吐血して——アラグイはそのまま沈黙した。


〈クリムゾン〉が槍についた血を振り飛ばす。扇子で口を隠したままのリタに、シマダが近づいた。


「キュウは?」

「……死にましたわ」

「そうか……」


 がし、がし、と〈からくり〉の鈍い足音が村の方角から聞こえてきた。片腕も刀も失ったオシロの〈真〉が、沈痛な顔つきで姿を現した。ワカ、シマダ、リタを見——ほっと息をつく。


「先生。……ワカ殿も、リタ殿も、無事だったんですね」

「ああ。ミハクとやらを討ったのか」

「……ええ」

「そうか。よくやった」


 するとオシロは首を横に振った。


「わたし一人では勝てませんでした。ここに来る途中で、チヨ殿の亡骸なきがらと対面したのです。彼女がいなかったら、わたしは負けていました」

「チヨ……彼女も、亡くなったのね」

「強いお人でした」

「そう言ってもらえれば、奴としても本望だろうよ」


 そして——三人の目はワカに向いた。


 彼は両手をぐっと握り込み、うつむいている。肩を震わせ、唇を噛んでいた。「どうして」と声を発した先には、リタがいた。


「どうして、邪魔したの。ぼくが殺すつもりだったのに」


 シマダ、オシロは険しい顔つきで口を結び——リタは扇子を下ろした。


「ワカ。あなたは血にまみれた手で、あの子を、イヅを抱けるのかしら?」

「……!」

「勘違いしては困るの。あなたの役割は人を斬ることではない。人を守るために、その〈からくり〉はあったはずでしてよ。どんなに怒り狂っても、大切な人がはずかしめられても、それでも超えてはならない一線というものは存在しますの。……そうでしょう、オシロ?」


 突然話を振られても、オシロは動揺することなく――「ええ」とうなずいた。


 リタは扇子を懐にしまい、「さぁ、帰りましょう」


「この村で命を落とした者たちを、とむらってやらないといけませんわ」

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