第74話「三人」

 もはや〈大刀だいとう〉の両腕はない。刀を握れない。


 だとしても、まだやりようはある。


 少なくとも、あのいけ好かない優男やさおとこに体当たりをぶちかますぐらいはできる。兜が砕けようとも、操縦席がむき出しになろうとも、それでもチヨはアラグイに猛然と突っ込んでいった。


鬱陶うっとうしいんだよ、雌豚めすぶたがぁッ!」


 アラグイがその場で〈からくり〉の足の向きを変え、勢いのままに回転。さながら刃のついた独楽こまの如き斬撃がシマダを、そしてチヨを近づけさせなくした。周りの木々も、地面も、巻き込んで斬り裂いていく。


「させるかよぉッ!」


 無茶、無謀、蛮勇——リタに言わせれば、今のチヨの行動はそうなのだろう。アラグイの真上に飛び、まるで覆いかぶさるように飛びつく。回転する刃が目の前に迫ってくるにも関わらず、だ。


 鋭い衝撃。そして、脇腹からの激痛。


 アラグイの刃は〈大刀〉の巨体と、チヨ自身で受け止められていた。操縦席を真横から斬られ、チヨの口から血が漏れたが、それでも――腹の底から声を振り絞った。


「シマダぁッ!」

「お主の心意気、しかと受け止めたッ!」


 アラグイの刀は二振りとも、〈大刀〉に固定されている。長刀が迫る中、初めて彼は焦りをあらわに歯ぎしりした。操縦席目がけ、シマダの刺突が突き刺さらんとして——アラグイはとっさに、刀を手放した。シマダの刺突から逃れたものの、荒い息をついている。


「くそが……ッ!」


 じゃき、とアラグイの〈あらくり〉が両腕を振った。二振りの仕込み刀が腕から伸びたが、アラグイの顔から余裕はかき消えている。


 チヨは血を吐きながら——「悔しいか?」


「あんだと?」

「悔しいか、って聞いてんだよ。そりゃそうだ、女どもにここまで虚仮こけにされたんだからなぁ。まだ獲物は残っているみてぇだが、そんなもんあの二人にゃあ関係ねぇ」

「あの二人?」


 ずん、と〈大刀〉の隣で〈地走じばしり〉が立つ。膝を曲げ、「チヨ様……!」と手を伸ばしかけるが、「やめとけ」と血と声を吐いた。


「もう終わりだ、助からねぇよ」

「でも……!」

「ワカ。わかってんな? あと一歩だ。あと一歩で、〈虚狼団ころうだん〉をぶちのめせる。あの村を襲う連中がいなくなる。お前の大事な奴らだって、もう傷つかなくて済む。あの生意気な、火傷やけど女もな」

「…………」

「行けよ、ワカ。……男だろ」


 ふぅー、ふぅー、とか細い息を繰り返す。


 ワカはためらい――ぎゅっと目を閉じて、〈地走〉をアラグイの方に向ける。彼は今、シマダと向かい合い、焦燥をあらわにしていた。


「……チヨ様」

「なんでぇ」

「ありがとう」

「……馬鹿が。さっさと行きやがれ……」


 ワカはそれ以上言葉を放つことなく、二人が相対する戦場いくさばに赴いた。


「冗談じゃねぇ! もう相手にしてられるかッ!」


 その場から飛び跳ねるように、アラグイが逃げ出す。「逃がすかッ!」とシマダも追いかけ、ワカも地を滑って追走する。


 風の音が聞こえた。


 匂いも——血と、硝煙しょうえんと、肉が焼けたものだ。慣れ親しんだ、戦場いくさばの匂いだ。この匂いが自分の体にも染みつくようになったのは、いつの頃からだろうか。


 どれだけ人を斬っただろう。


 どれだけ男たちを尻目に、武勲ぶくんを立ててやったろう。


 周りからの嫉妬を、隠し切れない侮蔑の目を向けられても、それでも侍として生きていく決意を固めたのは、ただの意地——それだけだろうか。


「——チヨ! チヨ!!」


 誰かが叫んでいる。どこかで聞いたことのあるような、生意気な声。半ば閉じられていた両目を開ければ、眼前にイヅの姿があった。目元は赤く、すっかり涙でくしゃくしゃになっている。火傷もあらわになっているが、もはや気にしている余裕もないらしい。


 へっ、といつものように鼻で笑ってやった。


「なんて顔を、してやがる」

「だって、チヨ。その怪我けがじゃあ……」

「ああ、こりゃ助からねぇな。おめぇの兄貴、とことん厄介だなぁオイ」


 こんな時でも――いや、こんな時だからこそだろうか。


 己の口から発される言葉は、いつもの自分自身のものだった。そのことにチヨは、内心で安堵する。アラグイを追い詰めきれなかったのは心残りだったが、シマダとワカならば必ず討てる。


 手が震えている。見下ろせば足下まで、体のほとんどが血塗られている。


「チヨ……」

「いい加減、『様』をつけやがれ、この、火傷娘が……」


 ぽろり、ぽろり、と涙をこぼし——「チヨ、様……」


 それを聞いた時、チヨは大声で笑いたくなった。だが、腹に力が入らない。『火傷娘』などと言ってやれば少しは怒るかと思っていたが、もはやそれどころではないのだろう。


「言えば、できるじゃねえか……」


 がく、と首を天に向けて傾ける。


 空に浮かぶ月は雲に隠れ、あるいは月光をもたらし、すぐに隠れていく。髪飾りや扇子といった華美なものになど興味はなかったのに、なぜかチヨには今、それが美しいと思えた。


 月光の下、自分のために泣いてくれるイヅのことも。


 美しいなんて言葉は、自分とは無縁のはずだったのに。


「……おい、イヅ」

「何……?」

「心配、いらねぇよ。あいつは、ワカは、絶対に帰ってくる。おれが、保証してやる……」

「でも……ッ!」


 瞼が重い。もう持ち上がる力がない。


 それでも、言ってやりたい。伝えてやりたかった。


「信じろ。あいつは……絶対に……帰って、くるってな」


 瞼が閉じ、がくりとうなだれる。最後にイヅから呼びかけられたような気がしたが、もはや応える力もない。


 お主、侍か?


 その言葉を言ったのは誰だったろう。


 ああ、シマダだった。いつも偉そうで、文句を言わせない迫力に満ちていて、それなのにどこにも腰を据えていないような——そう、戦場をさまよう幽霊のように得体の知れない人間。


 だが、思いとやることは同じだった。


 人を斬り、人を守る――


 ああ、そうだ。おれは侍だ。


 人を斬って、人を守った——それしか生きる道のない、侍だ。最後の最後に武勲や褒賞とも関係なく村を守った、天下無双の大馬鹿野郎だ。

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