第73話「イヅ」

 キュウが言っていた。お前では足手まといになる、と。


 事実、自分がアラグイ――実の兄であるアツミの〈からくり〉に捕まった時、そのことを痛感せざるを得なかった。


 ワカとシマダとチヨ――三人は今、身構えた状態で一歩も動けずにいる。初めて〈野盗やどり〉が攻めてきた時のように、不意を突くことは難しいはずだ。何より、〈からくり〉で自分を掴んでいるこの男が、そんな隙を与えるはずがない。


「どうした? この女がそんなに大事かぁ?」


 せせら笑い、〈からくり〉の手に力を込める。肺から息が吐き出され、全身の骨が軋む。耳障りな声を立てているのは——他でもない、自分自身だった。


「イヅッ!」


 シマダが止める間もなく、ワカが突撃した。刀を両手に、アラグイ目がけて振り下ろさんとして——その手前で、無理やり動きを止めた。剣筋の先にはイヅがおり、アラグイはまるで人形を手にした子供のようにイヅを揺すっている。


「はははっ、無理か? 殺せないか? てめぇみてぇなガキに、そこまでの覚悟があるものかよッ!」


 アラグイが〈地走じばしり〉を蹴り飛ばす。思いきり背中を打った〈地走〉に、シマダとチヨが駆け寄った。


「馬鹿野郎! 冷静になれ! いつもの調子はどうしたッ!?」

「チヨに言われてはお仕舞だぞ! わかっているのか、ワカ!」

「でも、でも! だって……ッ!」


 三人とも、アラグイと自分とを交互に見ている。


 これは、自分が招いた結果——頭領の首を獲れればなんて、そんな大それたことを考えて突っ走ったわけではなかった。


 ただ、ワカが心配だった。


 いや、自分から遠ざかっていくようで、怖かったのだ。いくさや〈からくり〉に魅入られて、ワカの手が血に染まることなど、考えたくなかったのだ。斬るのは侍たちに任せて、ワカはただワカのままでいて欲しかった。


 それが、自分本位な願いだとしても――


 ワカはこれまでに見たことのない形相をしていた。穏やかでのんびりして、どこか間の抜けた風情の顔はかき消え、ただ目の前の敵を、あらん限りに睨みつけている。


 自分がいるから。自分が、人質に取られたから。


 じり、とアラグイは後退の気配を見せた。その先には〈町〉へと続く峠道がある。その意図を察したのか、シマダが言葉を発する。


「逃げるつもりか」

「ああ、そうだよ。いつまでも付き合ってらんねぇしな。……ミハクも、全然戻ってきゃしねぇ。まさかとは思うが、な。今、〈虚狼団ころうだん〉で残ってるのが俺だけとくりゃあ、もう尻尾を巻いて逃げるしかないだろ?」

「てめぇ、それでも男かッ!!」

「知るか、馬鹿。てめぇの命が惜しくて何が悪いんだよ。〈虚狼団〉はもうほとんど潰れたようなもんだ。こんなチンケな村を相手にしておいてこのザマじゃあ、誰も呆れて言葉もねぇだろうよ」

「知るか! 逃がすと思ってんのか!?」

「だから、このガキを人質にしてんだろ?」


 見せつけるようにイヅを突き出す。


 キュウの言葉が、リタの言葉が、頭をよぎる。二人とも厳しく、それでいて真っ当な言葉をイヅに投げかけていた。自分は何もせず、斬るのは侍たちに任せるつもりか、と。ワカに甘すぎる、と。


 三人が動けないのは自分がいるからだ。


 ならば――


「悪いが、俺はここらで退散させてもらうとするぜ。追いかけようとすれば……わかるな?」


 一歩ずつ後退し、その振動でイヅを掴んでいる手が、わずかに緩む。イヅは腕に抱いたままの短刀をどうにか〈からくり〉の指から引っ張り出し——鞘を投げ捨てた。


「——んッ!?」


 短刀が月光に煌めいた瞬間、イヅはそれをアラグイ目がけて投げつけた。全くでたらめな軌道だったものの、かろうじて操縦席に刃先が刺さる。それを見、アラグイは「はははッ!」と笑い声を上げた。


「なんだ、そりゃあ!? 精いっぱいの抵抗のつもりか!? いいぜ、今すぐお前をここで——」

「ここで、どうするつもりだ?」


 アラグイの意識がイヅに向いた瞬間を、シマダは見逃さなかった。


 神速ともいうべき速さで地を駆け抜け、真下から長刀を振り上げる。アラグイの〈からくり〉の手首を狙ったものだったが——その斬撃は虚しく空を切った。


 「ひゅう! 危ねぇ、危ねぇ……!」とたたらを踏んだ直後に——チヨの〈大刀〉が、両腕のない状態で無暗に突っ込んだ。


「なッ!?」

「イヅ、我慢しろよぉッ!」


〈大刀〉が頭部を突っ込ませ、アラグイの〈からくり〉の左半身に叩き込まれる。その衝撃でイヅの体が宙に浮き——間を置かずして〈地走じばしり〉が彼女の体を受け止めた。


「イヅ! 大丈夫!?」


 彼らしくない声だった。心の底から、自分を案じている。怒りと、焦りと、悲壮とが入り交じった顔。ワカにこんな顔をさせたのは自分なのだと思い知り——イヅはくしゃっと顔を歪め、うつむいた。


「イヅ、痛いの? 泣いてるの……?」

「泣いてなんか、ない……」

「嘘だ」


 きっぱりと言い切った彼の声には、明らかな怒気がこもっていた。


〈地走〉の腕が下ろされる。イヅは何も言わずに手から下りたが、ワカの方を振り返ることはしなかった。というより――できなかった。


「イヅ、離れてて」


〈地走〉が立ち上がる。


 先ほどから立て続けに激しい金属音が響いていた。シマダが、チヨが、アラグイを追い詰めているのだろう。そこにワカも加わろうとしている。


 怒りに満ちた、ワカが。


「——い、いかないで……」


 自分でもか細い声だった。ワカに届いていたかどうかはわからない。もう一度力を込めて「行かないで」と振り返った瞬間には、〈地走〉はとうにアラグイとシマダたちの繰り広げる戦場いくさばへと向かっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る